自然・環境

2016年9月29日 (木)

自生する食材

 27日(火)の『工作と料理』で《鮮魚や肉など、生の食材を扱うのを気持ち悪がらないのは、生き物好きのおかげ》と書いた。さすがに虫は食べる気がしないが、自然の中で育っている植物を採って食べることには全く抵抗がない。

 8月下旬に実家に泊まって庭の手入れをしている時、みょうがが生えているのを発見した。母に聞くと、昔庭に植えた後、勝手に根を伸ばして自生するようになったらしい。高齢の母は庭に出るのが少々億劫になってきているから、私が見つけたというわけである。

 みょうがはクセがあるので嫌いな人が多いようだが、私は大人になって味にも匂いにも慣れてしまった。それで採取したみょうが(写真ご参照)を母にお酢でキュウリと一緒に和えてもらい、早速その日の晩に食したのだった(美味であった)。

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 庭で見つけた食材は他にもある。こちらは採らなかったが、長年の雨水によりできたコンクリートのひび割れ部分に、パセリが生えていた(写真ご参照)。母によると、パセリは自然に種が落ちて広がっていくとのこと。みょうがやパセリなど、食材はスーパーなどで購入するのが都市生活者では当たり前だが、土と光と水があれば自生するものがあるのだ(実家では、大葉(しそ)やニラも育っている)。将来私が庭付きの戸建てに住むことがあれば、こういう食材の調達方法も日常生活に取り入れたいと思う。

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(2016年9月29日記)

2016年7月 6日 (水)

昆虫採集は自然破壊か

 昨日の『チョウを追う旅』(小岩屋敏著、ヘキサポーダ)に、日本人の自然観のようなものの変化を感じさせる記述があった。つい読み流してしまいそうなところだが、私は気になって立ち止まった。

198890年頃、「夏休みの宿題に昆虫標本を出したら、虫が可哀そう、と先生から叱られた」「みんなから殺虫鬼と言われた」といった悩みや相談事が日本のアチコチから聞こえてきました。

 ちょうど日本自然保護協会流の「花は摘まない、虫は採らない」「残すのは足跡だけ、持ち帰るのは思い出だけ」(歯が浮きそう)という観察原理主義が浸透した時期。

「昆虫採集は自然破壊」と非難されるようになり、その延長が「殺虫鬼」騒ぎになったワケです。

 不思議なことに、多数派の趣味の魚釣りや狩猟は非難されない。絶対的少数派の趣味である昆虫採集だけがなぜか標的に。

 このままでは「虫屋のような少数派が、少数派というだけで苛められるようになる。こういう風潮は良くない」と考える昆虫愛好家が「日本昆虫協会」を作って、現状をマスコミに訴えることになりました》

(『チョウを追う旅』(2014年発行、小岩屋敏著、ヘキサポーダ))

 子どもの頃虫好きだった私は、標本作りに熱中したことは一度もなかった。振り返ると、これは私が生きている虫、動いている虫にしか関心が向かなかったのに加え、標本の作り方を学ぶ機会がなかったせいである。それでも、もし友達の誰かが夏休みの宿題に、捕まえた昆虫の標本を学校に持ってきていたら、きっと羨望と尊敬のまなざしで眺めただろうと思う。

 「昆虫採集は自然破壊」には、実は有力な(と私が考える)反論がある。本で見かけたのだが、私は「なるほどなあ」と唸った記憶がある。

《虫は沢山卵を産むので、人間が昆虫採集でとったくらいでいなくなることはない》

(『森毅の置き土産 傑作選集』(2010年発行、森毅著、青土社)) 

 絶滅が危惧されるような昆虫でなければ、少々人間が捕まえたところで個体数が大きく減ったりはしないのだ。「昆虫採集は自然破壊」と主張する人たちは、そもそも虫の生態をよく知らないから、極端な考え方に囚われるのかもしれない。「自然破壊」という大仰な非難ではなく、「虫を殺すのは可哀そう」という素朴な気持ちは分からないではないが……。

 が、この「虫を殺すのは可哀そう」にしたって、実は少々バイアスがかかっている。例えば動物園は、人間の見せ物にするために、狭い場所に動物を押し込め、その動物を飼うために生餌を与えたりしている。動物園は人間が生きていくのに不可欠なものではない。だから、生き物の命を不必要に奪っていると言えなくもない(動物園を全否定するつもりはありませんが)。「虫を殺すのは可哀そう」なら、これだって「可哀そう」であろう。

 もっと言うと、私たちの“食べる”という行為も残酷さは否めない。牛、豚、鳥など昆虫よりずっと高等な動物を、わざわざ美味しい食材として口に入れるために繁殖させ、殺すのである(牛も豚も鳥も可哀そう)。人間がたんぱく質を摂取するためなら、大豆など代替食品があるにもかかわらず、である。

 小岩屋敏さんは“原理主義”という難しい言葉を使われたが、「昆虫採集は自然破壊」という凝り固まった見方は危険を孕んでいると私は考える。もっと視野を広く持ち、様々なことに疑問を感じつつ、柔軟に自分の頭で考えることが望ましい。そうしないと、文明社会を築いた人間の存在そのものが、自然破壊の最大の元凶であるという大切な事実を忘れかねないと思う。

 
あっという間に暑い季節の到来である。そろそろ、セミなどを虫かごに入れた子どもが近所にも現れそうだが、私は虫を毛嫌いしたり問題視するどころか歓迎したい気持ちでいる。

(2016年7月6日記)

2016年6月 9日 (木)

小2男児のたくましさ

 親のしつけが原因で、小学2年の男児が北海道七飯町の山中で行方不明になり、6日ぶりに保護された一件について、少し書いておきたい。「事件性なし」ということもあり一件落着、メデタシメデタシだが、一連のニュースを見て私の頭に二つの思い出が蘇ってきた。

 一つは、私が小学1年か2年の時、学校の帰り道に、近所に住む同級生の男の子1人、女の子1人と3人で雑木林に探検に行ったことである。時間など気にせず遊んで、日が暮れてしまったころにのこのこと家の近くまでやってきたのだが、大勢の大人が道に出て集まっており、ただならぬ雰囲気である。私の親をはじめとして、「子供たちが帰ってこない」とお騒ぎになっていた。“行方不明”となっていた私は、その夜家で親から怒られたかどうか全く覚えていないが、夜七時頃だったか、五歳年上の兄が心配する大人に混じって、自転車にまたがって私を探していたのは記憶に残っている。

 二つ目の思い出は、大学時代のものである。福井県に住んでいた中学からの友人のもとへ遊びに行った時のこと。誘われて名所の東尋坊に一緒に向かい一周したのだが、再び夜に車で訪れた時は東尋坊の威容に圧倒された。確か陸側から橋がかかっていたと思うが、その向こうに巨大な黒色の塊があって空間を支配していた。日中は単に緑の森にしか見えなかった東尋坊が、夜は恐ろしくて近づく気すら起きなかった。真っ暗な自然を前に、ただただ恐怖を感じた。

「進んでいけば、きっと戻ってこられないに違いない」

 以上の記憶が蘇った後、北海道の男児がたくましく思えて仕方がなかった。たった一人で山の中を歩き続けたことも、真っ暗な夜を一人で何夜も過ごしたことも、子ども離れしている。この子が置かれた環境は、大人だって心細さのあまり、泣いたりへたり込んでしまうようなものに思えるのだ。

 今回の一件は、事の大きさに比して世間が騒ぎすぎた感があるが、あまりに稀有な体験は男児の記憶に間違いなく残るに違いない。これからの人生において、何かプラスに作用すればいいが(例えば、孤独に耐える自信がついた)……などとお節介にも思った次第である。

(2016年6月9日記)

2016年4月 2日 (土)

私の好きな春の花

 去年だったと思うが、家の近くに小さく白い可憐な花が咲き乱れている植え込みがあった。あまりに綺麗で壮観だったので写真に撮って、実家に帰省した時に母に見せた。すると、さすがは母である。「ユキヤナギじゃないの」と教えてくれた。家に戻ってからネットで調べると、まさしくユキヤナギだった。

 花が咲いていない季節だろうが、その植え込みは枝が茂りすぎていたせいか、いつのまにか集合住宅の管理業者(?)の手で短く刈り込まれてしまって、今年は花の量がうんと少なくなってしまった。以前東京の中野に住んでいた頃、枝先まですらりと伸びた立派なケヤキの並木通りがあり、そこを通るのを楽しみにしていたが、「枝が落ちてくる可能性があり危険」とかいう理由で、沢山の枝が無残にも切り落とされてしまったことがある。こういう決断をする人たちにも少しは美意識があるのだろうから、景観との折り合いをつける努力をしてくれればいいのに、と感じたのを思い出す。

 さて、一般的には今は桜の季節である。桜は美しすぎるせいか、一週間程度で見頃の時期が終わってしまう。が、幸いなことにユキヤナギの場合、一カ月程度咲いていてくれる(と記憶している)。この間、花が比較的多く咲いている場所を近くに見つけたので、写真におさめる気になった。折角なので、「こんな花です」という意味を込めて今日は載せておこうと思う。

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(2016年4月2日記)

2015年12月11日 (金)

都市生活者

 きっかけは忘れたが、職場で五十代とおぼしき女性と食事の話になった。「大根の葉っぱは食べられるのよね」(彼女)、「そうですね」(私)という会話の流れで、彼女はこんなことを口にした。

「夫について都会に出て来るまでは、野菜がお金を出して買うものだとは知らなかったわ」

 地方に住んでいて、家が野菜を作っていた彼女にとって、野菜はお金を払わずに採れるものであった。それが、夫とともに“都市生活者”になることによって、野菜をはじめ食べ物はお金と交換しなければ入手できなくなってしまったのである。

 “都市生活者”は、仕事にありつきやすいという意味で恵まれている。大都市東京は顕著で、選びさえしなければ簡単に仕事は見つかると言ってよい(つまり現金収入を得やすい)。しかしその代わり、食べ物を直接的に得る手段は、多くの人は持ち合わせていない。

 かたや地方に住む人たちは、都会と比べて仕事を見つけるのが大変である。しかし、農地や山林があれば、野菜や果物を育てて直接胃袋を満たすことができる。このように、都会と地方の農村は対称的であり、いいとこ取りは困難になっていて、世の中はなかなかうまくできている気がする。

 尤も、“都市生活者”であっても、お金のかからない食べ物を完全に諦めなければならないというわけではない。土地があれば、ちょっとした“果実”を得ることは不可能ではない。先日妻が、東京に比較的近い実家から、ゆずを2つばかり持ち帰った。庭のゆずの木が小さな実をつけたのだという。

 我が家で早速食してみた。皮はせん切りにして、圧力鍋で作ったブリ大根に乗せ、果肉はスムージーの材料に使用した。どちらも美味で十分堪能できた。大満足である。

 
私の次なる関心事は、この年末年始に妻の実家に行った際、庭に回って枝にゆずの実が残っていないか確認し、できれば少し失敬して帰ることである。

(2015年12月11日記)

2015年11月25日 (水)

生命の進化の不思議

 少し前のことだが、ショウワノートの『ジャポニカ学習帳』の表紙から昆虫が消えたのが話題になった。昆虫少年だった私には信じ難いのだが、大人も子どもも昆虫を気味悪がるようになったのが“消滅”の背景にあるという。時代の移り変わりを強く感じさせられた。

 こんな私が最近図書館で借りたのが、『世界のカマキリ観察図鑑』(2015年発行、海野和男著、草思社)である。私は昆虫の中でもカマキリが一番のお気に入りだったのだが、子どもの頃に獲ったことがあるのは、日本にいる15種ほどのうち、オオカマキリ、チョウセンカマキリ、ハラビロカマキリ、コカマキリの4種だけだったので、世界各地のカマキリを写真で紹介したこの本には本当に痺れた。童心に返り、見ていて飽きがこない。

 初めて目にした数々のカマキリの中で特に感動したのは、ハナカマキリという熱帯アジアに生息する種類である。体色は白く、見た目は花(ハナ)に似ており、まるで5枚の花びらを持つ花のように見える。本では、《おいしい花の蜜を吸うつもりでやってきたら、逆に食べられてしまうのだから、チョウやハチにとっては怪物以外の何者でもない》という解説文で紹介されているが、全くその通りである。このように、周囲の環境に容姿を似せているのを“擬態”という。

 ここから先が私の頭に浮かんだことになるのだが、なぜこのような見事な“擬態”が、生物の進化の過程で起きたのか不思議に思えてならない。というのも、ハナカマキリは、「自分が他者からどのように見えているのか知りようがないはず」だからである。ハナカマキリの視点は自分自身に付いた目からのものであり、チョウやハチの視点ではないはずである。なのに、どうやって自分自身を花に似せるように進化できたのであろうか。

 ちょっと分かりにくかったかもしれないので、比喩にて補足説明してみたい。例えば女性がお化粧をする場合、鏡がなければ(自分の顔を確認できなければ)、申し分なく綺麗なお化粧はできないだろう。他者の視点を自分が持ち得てこそ、お化粧が成立しうると思うわけである。

 そういう理屈から、私にはハナカマキリが自分の力で今の姿へと進化したとはどうも思えない。造物主(神)と呼ぶのが適当かどうかは分からないが、生き物のあり様を変え得る何か大きな存在が、カマキリの祖先に細工を施して、今の姿に変えてしまった、と私には思えるのである。“擬態”というのは、造物主(神)の所業ではないだろうか。

 本日、以上のような私の“昆虫談義”に付き合わされた昆虫嫌いの方々には、申し訳なく思うのだが、最後にあと一つだけ書き添えておきたい。先の『世界のカマキリ観察図鑑』は明日、図書館に返却しなければならない。というのも、予約が入っているからである(3人待ち)。圧倒的少数派に違いないこうした昆虫好きが、肩身の狭い思いをせずに住み続けられる人間社会であってほしいと思う。

(2015年11月25日記)

2015年10月18日 (日)

チャンスも平等ではない

 一昨日、『リアリストの目』の中で、世の中の不公平性について書いたが、私はかねてからチャンスも平等ではないと思ってきた。世のビジネス書や生き方指南本では、しばしば「誰にでもチャンスはあるもので、それを掴めるかどうか」ということが述べられているが、ここも納得しかねるところがある。

 番組名は忘れたが、確かNHKであった。今年観たテレビで最も衝撃を受けたのは、NHKの番組に映った水俣病に苦しむ人の姿だった。工場の海外移転が進んだ今の日本では、公害は社会問題となっておらず、せいぜい1980年代頃までの事象だったという感じがする。その番組に登場したのは、魚を食べた母親の胎内から水銀を取り込んでしまい、水俣病に罹った子どもであった。月日は経ち、今は成人の年齢だが一人で生活できず、施設暮らしであり、言葉も自由に発することができない様子だった。私は「水俣病はまだ終わっていないんだ」と強く思った。

 こうした現実を見ると、「誰にでもチャンスはある」などとは到底言えない気持ちになる。この方には、多くの人が人生において期待できるチャンスがない、と感じざるをえないのである。こう書くと、「そんな特殊な事例を取り上げるのはおかしい」と見る向きがあるかもしれない。しかし、そういった少数の事例を排除して、一言で人間というものを均等に語ろうとするやり方には、私は入っていくことができない。

 だから私は、「チャンスすら与えられていない人もこの世にはいるのだ」と思って生きている。それが時に、感謝であったり悲しみであったり謙虚であったりと、様々な感情や心構えを私に呼び起こしている。

(2015年10月18日記)

2015年10月12日 (月)

粋な計らいとその後

 二日間、『悪意はないが配慮もない不作為』について書いたが、善意があって配慮が感じられた経験もないことはない。今日はそんな良い話を書き残しておこう。

 ある単発の一日仕事でのこと。勤務時間は実働が6時間と少々、休憩は45分という予定であった。「昼食支給なし」となっていたので、家で朝お弁当の用意をして仕事場に向かった。ところが、どうしたことか、昼食をとれるような纏まった休憩時間がない。次から次へと仕事をこなしているうちに、時計の針は午後2時近くを指していた。

 大勢の人が参加してはかどったせいか、その頃には業務全体が落ちついており、終息を迎えつつあった。そして、2時を過ぎて、責任者の方が全員に向かってこう宣言した。

「皆さん、お疲れ様でした。今日はトラブルもなく順調でしたので、これで解散にしたいと思います。休憩は45分を予定していましたが、おそらく取れていないと思います。その分、早く終わりにしたいと考えますが、いかがでしょうか?」

 周囲の反応はというと、あちこちで拍手が起こったように、大歓迎された。実入りが減らされることなく、仕事が45分早く終わって自由になれるのである。私は「粋な計らいだなあ」と感じた。

 さて、余談ながら、ここから話は大きく脱線する。私はまだ昼食を食べていない。時刻は2時を過ぎている。仕事場は解散になって、みな帰り始めている。他の人は、昼食はどうするのだろうか?

 「ひょっとして」と思って、私は就業確定の通知書を鞄から取り出し、昼食欄に目をやった。すると、重大なことを見落としていた。こう記載されてあったのである。

《昼食:支給なし ※休憩時間はありますが、昼食は召し上がれません》

 「あちゃー!」である。お弁当はいらなかったのだ。私は急遽、食べられる場所を探すことにした。レストランとかファストフードというわけにはいくまい。この日は元々、仕事終わりに、電車に乗ってお気に入りの図書館に行くことにしていた。図書館前の道路をはさんで、夏はヒグラシがカナカナと鳴く趣きある林がある。林の中にはぽつんとベンチがある。そこに座ってお弁当を広げるのは、森林浴も兼ねたみたいで良いのではないか、というアイデアが湧いた。

 
実際、これはなかなか良かった。林の中に入り、ベンチに座る。すると、少し離れた草むらからコオロギの鳴き声が聞こえる。足元には、数え切れないほどのどんぐりが地面に落ちていた。日本の秋を切り取った素敵な世界―こういうありのままの自然は大好きである。私は朝、自分で用意したベーグル、ロールパン、それに果物(バナナとみかん)を美味しく頬張り、贅沢なひと時を過ごした。

 
さて、その日の夜。前日実家に泊まっていた妻が家に帰ってきた。早速、この日あったことを、脚色なく報告する。やはり突っ込まれたのは、《昼食は召し上がれません》の見落としであった。こう言われてしまった。

「ヌケ作なんだからー」

 “ヌケ作”とは、妻が私につけた、十指でおさまらない数あるあだ名の一つである。時々、とんでもなく抜けている私、ドジを踏む私を、深い愛情を持って(?)揶揄した言葉なのである。“ヌケ作”はかなりしぶとい頻出タイプで、これからも、私が何かやらかす度にこのあだ名は登場してくるに違いない。

 
この日一日のことは、シンプルな言葉では総括ができない。それで、『粋な計らいとその後』というタイトルでお茶を濁すことにした。後年読んで楽しめるよう、吹けば飛ぶような小さな出来事を記した備忘録である。

(2015年10月12日記)

2015年10月 2日 (金)

イモリ騒動

 九月某日の朝。実家の居間で、「うわあー!」と兄の叫び声がした。台所にいた私が急行すると、イモリがカーペットの上を這っている。すぐに母が事情を解説してくれた。

「どこからか入ってきて昨日から家の中にいるのよ。殺虫剤を撒いたけどダメで、困ってたの」

 殺虫剤ではなかなか退治できまい。ここは、虫好き、生き物好きで鳴らした私の出番である。腰の引けた兄はあっという間に姿を消し、私がイモリと対決することになった。子どもの頃捕まえて遊んでいた経験があるので、勝手は分かっている。私は逃げようとする相手の動きを読み、胴体の真ん中辺りを素手で掴み、そのまま玄関へ行って家の外へ放り投げた。殺す理由はないから、放免である。

 この手柄は、母と兄に大変感謝された。特に母は、すばしっこいイモリに手を焼いていたから、とても有り難がられた。私が捕獲しなければ、イモリは長い間、母を気味悪がらせながら、我がもの顔で家中を歩き回ったことだろう。

 兄は母とは全く違う角度から、私に「あれはイモリか?ヤモリとの違いは何だっけ?」と聞いてきた。ここも私のフィールドである。林修先生ばりに、「イモリは爬虫類で、ヤモリは両生類だよ」とすらすら答えた。私は高校時代、理科で『生物』を選択した元受験生でもある(エヘン!)。

 ところが数日して、私は心に妙な引っ掛かりを覚えた。私があのイモリの胴体中央部分を掴んだのは、尻尾を切られて逃げられるのを避けるためである。すると、あれはトカゲではなかったか……。そうだ、少しザラッとしたあの体表の感触は、トカゲに違いない……。

 イモリとヤモリの説明も間違っている気がしてきた。そして、実家から家に帰った後ネットで調べると、やはり“イモリは両生類、ヤモリは爬虫類”とあった。全く逆で、私は愕然とした。

 
今はもう、このイモリ騒動から随分日が経った。権威のガタ落ちを避けたい私は、母にも兄にも“修正報告”をあげていない。母はネットを使っておらず、兄はこのブログを見ていない(はずだ)から、何とか凌いでいるだろう。こんなことで神経をすり減らすとは、やれやれである。

(2015年10月2日記)

2015年9月 6日 (日)

子どもの頃の残虐性

 暑さが和らいだ頃を見はからって、実家に帰った。そして、母の手伝い等をする合い間に、『「少年A」この子を生んで…… 父と母悔恨の手記』(1999年発行、「少年A」の父母著、文藝春秋)を読んだ。そう、神戸市で起きた連続児童殺傷事件(1997年)の加害者であり、あの『絶歌』の著者、少年Aの両親の懺悔の書である。加害家族のつらさ、大変さが痛いほど伝わってきて、読み進めるにつれて少年Aが憎らしく思えてきた。

 その一方で私は、少年Aと、人殺しなどしない私を含むその他大勢の人を分けるものは何かというのが気になり始めた。『「少年A」この子を生んで…… 父と母悔恨の手記』によると、少年Aは《小学校五年生頃から最初はナメクジ、蛙、そして猫を殺した》というから、生き物を殺すことは殺人の予兆的な行動に思えた。そして、実は私も似たような経験があったので、妙な胸騒ぎがしたのだ。

 私は小学生の頃から虫好きで、カマキリ、バッタ、鈴虫、カブトムシなど、色々な種類を家で飼った。なかでも夢中になったのはカマキリで、肉食ゆえに、餌となる虫を与えて育てたから、私が死に追いやった虫は延べで言えば数百匹にはなるに違いない(数千匹かもしれない)。カマキリが生餌を左右の鎌で捕えてかぶりつくのを見て、可哀想とは思わなかったから、今から思えばゾッとするところがある。昔の私にかなりの残虐性を認めざるをえない。

 私は高齢の母親に、「子どもの頃、虫を沢山飼っては殺したけど、後で人を殺すような大人になるとは思わなかった?」と聞いてみた。すると、意外にも即答があっさり返ってきた。

「思わないわよ。だって虫だもの。虫と人間は違うでしょう」

 母はそこに明確な線を引いていたことを初めて知った。そして、母に心配をかけていなかったことで、なんだかホッとした。この歳になってホッとしたもなにもないが、自分には異常な残虐性はなかったと再確認できたような気がした。

 数日後。母と一緒に家の玄関のサビの具合を見ていた。ドアを開け閉めして、サビをどう取るか考えていたのである。すると、一匹のアリがドアのすぐ近くを通りがかった。母はこれを見逃さなかった。サッと足を出し、靴の裏でアリをすり潰してしまった。瞬殺。母は昔も今も変わっていないことが分かった。

(2015年9月6日記)