政治・国際情勢・歴史

2016年11月23日 (水)

七十歳という年齢

妻と一緒に長い間見続けてきたテレビ番組がある。『チューボーですよ!』(TBS系)がそれで、司会の巨匠・堺正章さんとサポート役の女性の軽妙なやりとりを楽しんできた(今年は男性も一人加わって、賑やかになっていた)。

 長寿番組の一つに数えられるこの『チューボーですよ!』が終了することになったと報じられ、驚くと同時に残念に思った。ネット情報によると、堺正章さんの体調が終了決定の背景にあるという。御年七十歳。1994年にスタートして22年間続いた番組で、そろそろ年齢的に続けるのがしんどくなってきたのは仕方のないことだと思う。

 一方、そうかと思えば、米国の次期大統領ドナルド・トランプ氏のような人物もいる。未知の政治の世界へ飛び込み、リーダーとして世界ナンバーワンの大国を率いていく訳だが、トランプ氏も御年七十歳。昔の日本ならば、隠居してのんびり余生を楽しむ年齢だが、今後公務で埋め尽くされた恐ろしく多忙な日々を送ることになるに違いない。こういうパワーとスタミナ溢れる七十歳もいるのだ。

 全体的に見ればきっと、堺正章さんのようなペースダウンが多数派で、トランプ氏は少数派だが、両者の違いはどこからくるのだろうかと思う。今の私には七十歳になった自分を想像することができない。そこそこ健康で普通に日常生活を送っているかもしれないが、何かに意欲を持ってバリバリ取り組んでいるイメージは持っていない。それどころか、五十代、六十代で永眠しているかも……とも思う。

 まあ、よくよく考えてみると、人と比較しても仕方がない。比較対象がトランプ氏のような超人であればなおさらである。

(2016年11月23日記)

2016年11月22日 (火)

富の配分の問題

 少し前のことになるが、10月23日に放映されたNHKスペシャル『シリーズ マネー・ワールド  資本主義の未来 第3集 巨大格差 その果てに』は大変興味深かった。格差社会の先進国、米国での話である。ある企業の経営者が実行した先駆的な取り組みのようだったが、その経営者が自らの報酬を大幅に削減し、それを原資に全社員の最低賃金(年収)を7万ドルに引き上げた事例が紹介されていた。テレビ映像に映った社員たちは、経営者の発表に拍手喝采。「これで働くモチベーションがアップする」と明言する社員も見られた。

 普通の企業で、これほどの賃上げは殆ど可能性ゼロだろう。日本で大企業の労使が妥協点を探って実現するベアなんて、今の時代微々たるものである。先の経営者は、業績が好調ならば高額報酬が実現するのが当然とされる米国では、異端視されたり、経営者仲間からは目障りな存在と見られるに違いない。ごく一部の企業における報酬引き下げの動きが社会の空気となって強まってはたまらない、と感じると思われるからだ。

 米国も、そして日本も労働力を安く使って企業の競争力を高めるのは当たり前になっているが、富の配分のあり方としてはどうなのだろうか、と思ってしまう。資本主義社会が定着し、成熟し、行き着いた結果、現在の配分の状況が導かれているとすれば、その歪みに暗澹たる気分になる。

 私は“正解”を持ち合わせているわけではない。先の企業の取り組みにしたって、急な収入増を大歓迎した社員たちもじきに慣れてしまい、「もう増えないのか」と不満をかこつようになるかもしれない。人間の欲望には際限がないからだ。だから、先の企業の実践したことが理想形か問われれば、「分からない」と言わざるをえない。

 
一体この問題、どうすればいいのだろう。かのトマ・ピケティ氏は累進税率のグローバル資本課税というアイデアを出して世界に問うた。が、世界の主要国が自国中心主義を強めている状況に鑑みれば、税のあり方も例外ではなく、世界各国が協調して格差を縮小させる取り組みを強化するというのは、絵空事に思えてならない。

(2016年11月22
日記)

2016年11月 9日 (水)

ドナルド・トランプ氏、米大統領選に勝利

 ドナルド・トランプ氏がアメリカ大統領選に勝利した。私はこのブログで過去2度ほどトランプ氏を取り上げたことがある。今回が3度目である。

『政治家ドナルド・トランプ氏に注目』(2015年8月31日(月))↓

http://minato-kashiwamoto.cocolog-nifty.com/blog/2015/08/post-4533.html

『勢いづくドナルド・トランプ氏』(2016年3月4日(金))↓

http://minato-kashiwamoto.cocolog-nifty.com/blog/2016/03/post-4240.html


 今回の選挙戦、下馬評ではヒラリー・クリントン氏有利と伝えられていたから、トランプ氏勝利のニュースは衝撃となって世界を駆け巡ったが、私は比較的冷静に受け止めた。これには理由があって、11月5日放送のNHKスペシャル『揺らぐアメリカはどこへ 混迷の大統領選挙』を観て、「トランプ氏が勝つ可能性は結構あるのでは?」とそれまでの見方が変わっていたためである。

 この番組で私は、アメリカで中間層以下に位置する白人の“トランプ氏待望論”を実感することになった。アメリカ人の雇用を脅かす移民政策を変更し、低所得に喘ぐ労働者の生活を向上させようとするトランプ氏の姿勢が、こうした層に沈みこんだ人達の心を掴んだことがよく分かった。今思い出しても不思議な感覚なのだが、「もし自分がアメリカ人だったら、トランプを支持するかもしれない」と映像を見て思ったほどだった。

 これは、“チェンジ”を実現できなかった民主党・オバマ大統領と、その路線を引き継ぐヒラリー・クリントン氏の下では、何も変わらないに違いないと見切ったアメリカ人が多数派を占めたことの裏返しでもある。私もそう思う。ヒラリー・クリントン政権では、豊かな者は豊かなまま、貧しい者は貧しいままという構図が維持されることになっただろう。ヒラリー・クリントン氏はどうにも現状維持的に映るのである。

 ドナルド・トランプ新大統領の誕生が確実になったことで株価が暴落(トランプ・ショック)するなど、この日一日世界は大きく振り回された。でも、トランプ氏に票を入れたアメリカ人の気持ちは分かる気がする。「今のままでは生活に希望を見いだせない。トランプ氏なら思い切ったことをやってくれる気がする。怖い部分もあるけれど、リスクを取って彼に賭けてみようではないか」-そんなところではないかと私は想像する。リスクを恐れないアメリカ人の国民性が垣間見えた大統領選であった。

(2016年11月9日記)

2016年11月 5日 (土)

将棋・第三者調査委員会はフェアか?

 将棋・三浦弘行九段の不正疑惑について。日本将棋連盟が三浦九段に出場停止の処分を下して以降も、三浦九段が反論文書を公にしたり、週刊誌が一連の経緯と舞台裏を報じたり、当事者の一人渡辺明竜王がブログで真意を明らかにしたりと、事態は沈静化していない模様である。

 外からは処分を一方的に下した格好に見える将棋連盟は、このままではまずいと判断したのだろう。第三者調査委員会を設置することをホームページで明らかにした。以下のように、10月27日付と11月4日付の二度掲載されている。

《過日発表の通り、当連盟常務会では1012日付で、三浦弘行九段を出場停止(20161012日~1231日)の処分と致しました。

本件につきまして1024日に理事会を開催し、第三者により構成する委員会を設け、調査することを決定しました。委員長には但木敬一氏(弁護士、元検事総長)が決まりました。出場停止処分の妥当性、三浦九段の対局中の行動について、調査を要請しました。》(20161027日)

《三浦弘行九段に対する出場停止処分の妥当性や、三浦九段の対局中の行動について調査する第三者調査委員会(但木敬一委員長=弁護士、元検事総長)は本日、初会合を開催しましたので、お知らせします。

 なお、初会合開催に先立ち、永井敏雄氏(弁護士、元大阪高等裁判所長官)、奈良道博氏(弁護士、元第一東京弁護士会会長)の2人が新たに委員に選任されましたので、あわせてご報告いたします。》(20161104日)

 以上を読んで私が感じたのは、第三者調査委員会はフェアたりうるのだろうか、ということである。委員会のメンバーは、将棋連盟が選任し調査を依頼したと考えられるが、当然ながら対価を支払っての調査のはずであり、将棋連盟寄りの結論になるバイアスは避けられないのではないだろうか。

 “第三者〇〇”で思い出すのは、政治資金の私的流用疑惑で辞任に追い込まれた舛添要一前都知事である。疑問視された数々の支出について、「厳しい第三者の専門家の公正な目で調査してもらう」と連呼。しかしながら、出てきた報告書のトーンはかなりマイルドだったと記憶している。これで果たして公正と言えるのかな、と当時感じたのを思い出した。

 私の予想だが、今般の第三者調査委員会の報告によって、年内の対局をなしとした出場停止処分の妥当性が否定されることはないだろうと思う。穿った見方をすれば、将棋連盟がこれまでに取った行動と意思決定(=処分)を追認せんがための第三者調査委員会設置と見られないこともない。

 
以上のように私は、“第三者〇〇”と聞いて、無条件にそのフェアネスを受け入れられない人間である。偏屈に感じられたかもしれない。しかし、鵜呑みにせずに懐疑的な視点を残しておくのが、実はバランスの取れた見方だと思うのだが、いかがだろうか。

(2016年11月5日記)

2016年10月23日 (日)

ボブ・ディラン氏は悪くない

 メディア報道によると、ノーベル文学賞に選ばれた米国の歌手ボブ・ディラン氏が受賞に何の反応も示さず、選考委員会であるスウェーデン・アカデミーはディラン氏に連絡を取れない状態が続いている。そのため、スウェーデン・アカデミーの委員からは、「無礼で傲慢だ」という声があがっているという。

 この非難の弁を知って私は、「選考委員自身に突き刺さる言葉だなあ」と思った。そもそも文学の世界に身を置いていなかったディラン氏にとって、ノーベル文学賞受賞は予想だにしなかったことだろう。スウェーデン・アカデミーに「選んでください」とか「受賞を心待ちにしています」といった態度で待っていたものではないはずで、選考する側が“片思い”で贈った賞と言っていい。

 それを、相手にされなかったからといって、不快感を示したり非難のコメントを公にするのは、ちょっと筋違いという気がする。ディラン氏は内心、「文学賞は自分が受ける賞ではない」と考えているかもしれないし、「そもそも(権威主義的な)ノーベル賞には関心がない」という価値観をお持ちかもしれない。ディラン氏が沈黙している理由も分からないのに、勝手に責めるというのはいかにもおかしい。

 ゆえに「無礼で傲慢だ」は、ディラン氏を選んだ委員自身に跳ね返ってくる言葉であると私は思う。つまり、そういう発言をした人こそ「無礼で傲慢」であることを示しているのだ。こういう人は、「ディラン氏はノーベル文学賞を侮辱した」とでも言いたいのだろうが、ディラン氏に自分がメンツを潰されたため、我慢ならなくなった、というのが真実ではないだろうか。予定されている受賞式にディラン氏が姿を見せず、メダルと賞状が宙に浮いてしまうお寒い光景を想像すると、“メンツを潰されたから”というのが、コメントの背景にあるように思えてならない。

(2016年10月23日記)

2016年10月 7日 (金)

過疎の地方と首都圏を分かつもの

 携帯に届くメールを見て、父の一周忌で四国の田舎に帰っていた時のことを思い出した。昔から住んでいる叔母さんに話を聞くと、過疎化が進んでいて町の人口はピーク時から半分ほどに減っているという。近くにある高校も一学年が僅か1クラスとなり、廃校が検討されているそうである。

 若い人が減り、高齢化が進んでお年寄りばかりが住むようになった理由について、「ここは仕事がないからね」と叔母さんは言い切った。農業や漁業は一部残っているだろうが、雇用を創出するような目立った産業がないということである。町が廃れれば、情緒ある懐かしい景色が自然とともに見られるとはいえ、観光業も苦戦するだろう。

 考えてみれば、不思議な感じがする。東京を中心とする首都圏は、人の口に入る食べ物など衣食住に直結する“もの”を殆ど生産していないにも関わらず、二、三千万人もの人が集まっているのだ。まるで路上に落ちた甘いお菓子に群がる無数のアリのようである。これだけのアリ、いや人を首都圏に集める吸引力は、お金であり雇用であろう。あえて具体的には示さないが、サービス業には“虚業”とでも呼びたくなるような“生活非直結型”の産業が沢山あって、お菓子を欲しがる人たちを呼び込んでいる。

 首都圏を生活基盤にしている私は、そういう“虚業”を内心蔑んでいるところがある。「そんなもの、人間の欲望を煽っているだけで、本質的には社会に要らないじゃないか」と思うことが多々ある。百歩譲って、要るかもしれないが、「偉そうに振る舞って欲しくない」という気持ちが生じている。先の叔母さんは果物など地元で採れた食べ物を時々宅配便で送ってくれるのだが、地方の方が人間の生活の根本を支えているように私には思える。

 冒頭のメールについて。今日もお仕事紹介のメールが何通も届いた。そう、これが都市というところなのだ。給与や待遇面はともかく、お金を貰える仕事がある。虚業だろうが何だろうが、お膳立てされた仕事が現実にかなりの数存在するのだ。その中から選択して私も応募することがあるのだから、本当は批評家ぶってあれこれ言えた柄ではないかもしれない。

 過疎の地方と首都圏を分かつもの。それは仕事があるかないか、である。

(2016年10月7日記)

2016年10月 5日 (水)

現場力の強さ?

 昨日の引用に《日本の組織における現場力の強さ》というものがあった。しかし、こちらにはかなり翳りが見られるように思えてならない。私自身、こんな経験をしたことがある。

 ある単発仕事でのこと。二十数人が集まる現場に、定刻に一人が姿を現さなかった。30分ほど遅刻する旨の電話が途中で入ったが、到着したのは集合時間から遅れること1時間10分。二十代らしき女性が、汗ひとつかかずに平然と歩いてきた。遅刻の理由は、「電車に反対方向に乗ってしまい、気付いて途中で引き返したものの、今度は降りる駅を乗り越してしまった」というものだった。

 当然、こういう人が一人出れば、現場の仕事にはしわ寄せが生じる。朝から人繰りがタイトになって、仕事場全体の空気も微妙に悪くなるのだ。なのにこの人は、自分のミスを挽回しようというそぶりすら見せなかった。一貫して受け身のスタンスで、一日仕事をしたのである。

 
思うに、現場が“オール正社員”の時代から、短期契約等で雇用した社外の人たちを積極活用する時代になって、日本企業の現場力はかなり落ちたのではないだろうか。社外の人たちがみな問題ありということではない。が、昔のように現場で働く者が創意工夫しながら協力して仕事に取り組む風土が、色々なバックグラウンド、職業観・勤労観を持つ人たちが加わることによって、失われたように思うのだ。

 今日は少しバイアスのかかった書き方をしたかもしれない。しかし、と思う。数十年前、1時間10分も遅刻して悠然と歩いてくる社員が日本にいただろうか? 寡聞にして私は聞いたことがないのだ。もはや日本企業全般について、現場力をアピールポイントとするのは無理があるように思えてならない。

(2016年10月5日記)

2016年10月 4日 (火)

意思決定能力の弱さ

 今の日本で、解決まで時間がかかりそうな問題として、築地市場の豊洲移転と東京オリンピックの準備が挙げられるだろう。これにより、芸能人・著名人のくだらない不祥事を追いがちなマスコミは暫くの間、真面目な政治・経済・スポーツの分野でネタに事欠かない慈雨に恵まれた、と見るのは穿ちすぎだろうか。

 
移転先の豊洲で土壌汚染対策の盛り土がされていなかった前者の問題では、「責任者を特定できず」という結論が導かれた。東京オリンピックについても、開催費用が当初見込みの4倍にも上ることにつき、誰がいつどう意思決定した結果、このように大きな齟齬が生じたのかよく分からないままである。後から満足な検証すらできないというのは、どう考えたらいいのだろう。

 新味ある見方ではないものの、日本人の意思決定について参考になりそうな記述が最近の本にあったので紹介してみたい。“舞台”は平時ではなく戦時だが、日本人の特徴を巧く捉えている気がする。

《「最強の軍隊はアメリカ人の将軍、ドイツ人の将校、日本人の下士官と兵だ。最弱の軍隊は中国人の将軍、日本人の参謀、ロシア人の将校、イタリア人の兵だ」というジョークがある。これが揶揄するのは、日本の組織における現場力の強さと意思決定能力の弱さである》

(『戦略がすべて』(2016年発行、瀧本哲史著、新潮社))

 第二次世界大戦後、惨敗した日本軍について行われた種々の分析の中にも、同様の指摘があったと記憶している。あれから七十年以上の月日が経ったが、日本人の気質は本質的なところであまり変わっていないということかもしれない。

(2016年10月4日記)

2016年9月28日 (水)

今のリーダーに欠けがちなもの

 日本では今も昔も社会の至るところで、「リーダー不在」を嘆く声が多く聞かれる。これは、形の上でのリーダー(肩書を持ったリーダー)は存在するが、合格点をつけられるリーダーがいない、という意味であろう。私は特別“リーダー論”に関心があるわけではないが、なるほどと思ったことがあった。将棋の大ベテラン、加藤一二三九段の著書で見つけた次のような一文がある。

《「なにかを決めるときは、決めた人間が損をするようにしろ」とは丸田さん(丸田祐三九段)の名言です》

(『求道心 誰も語れない将棋天才列伝』(2016年発行、加藤一二三著、SBクリエイティブ))

 確かに、自分が損をする形で物事を決断するリーダーには、なかなかお目にかかることがない。それが結果として上手くいくというのは、リーダーに私心、私利私欲がないことが周囲に伝わり、求心力が高まって、組織全体があるべき方向に動いていくからなのだろう。

 そういえば、小池百合子・都知事が《東京大改革実現に向け、自ら身を切る覚悟、姿勢を示すため》に、都知事の報酬(月々の報酬とボーナス)を半額にする条例案を提出する意向を明らかにしている。都の山積した問題に係る決断と都知事の報酬は直接リンクしていないが、都知事が自主的に自ら不利益を被る意志を示したことは、好ましいリーダー像の一端を示したと言えるのではないかと思う。

 もっとも、現段階で、小池都知事が本物のリーダーかどうかを判断するのは早計であろう。私腹を肥やさんとした舛添要一前都知事と比較すれば、大抵の行動がプラスに評価できる上、問題となっている東京オリンピックの開催費用および築地市場の豊洲移転を巡るゴタゴタは、過去のミスを明らかにし“正常化”することがこれまた功績となるからである。

 ちょうど今日、小池都知事の下で初となる都議会が開会した。上記の諸問題が解決されたその先において、小池都知事が何をされるか、どういう結果を出すかで、リーダーとしてどうだったのかを判断するのが適当ではないだろうか。自ら報酬半減案を打ち出した今までのところは合格点だと考えているのだが……私は東京都民ではないけれど注目して見ていきたいと思う。

(2016年9月28日記)

2016年8月25日 (木)

気持ちの悪い依頼

 妻宛てに、見たこともない葉書が届いた。タイトルは『市民意識調査(郵送)にご協力ください』である。差出人は某大学の調査研究センターで、文面を見ると《市民のみなさまを対象に調査を実施し、いまの政治の見方や選挙への対応などについて、ご意見をお聞きしています》とある。妻は「なぜ自分が……」といぶかしがっていたが、これについては《選挙人名簿から、無作為に1000人の方を抽出したところ、今回はあなた様にご協力をいただくことになりました》との説明が付されていた。

 私が過敏すぎるのかもしれないが、ちょっと気持ち悪い依頼である。県や市などの行政機関からこうした葉書が届くのなら理解できる。が、大学は一般家庭の個人情報をこんなに容易に入手できるものなのだろうか(選挙人名簿は広く公開されているのだろうか)。回答内容については、《情報管理を徹底いたします》と書いてあったが、回答以前に、そもそも妻の名前と住所が、我が家と何の関係もない大学のコンピュータに保存されているのがしっくりこない。

 調査票は後日送られてくるようなので、妻が回答するかどうかはその時に決めればいいと思ったが、私の感じた“気持ち悪さ”を妻に素直に伝えたところ、意外な反応が返ってきた。

:「選挙のこと聞くんだって。何も考えてないのに」

私:「確かに人選ミスだね」

妻:「「いつも投票は、ポスターの顔見て選んでます」なんて、書けないしなー」

私:「……」

 結局今日も、主役は妻である。

(2016年8月25日記)

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