メディア(テレビ・ネット他)

2017年1月 9日 (月)

コミュニケーションの流儀

 昨日は休日出勤をした。休日出勤は義務ではなく、「出られる方は是非……」という呼びかけに応じたものである。業務量が積み上がっているため、人手が多ければ多いほどよいというのが呼びかけた側の考えであろう。朝、平日同様に職場に姿を現した派遣スタッフは、私を含め4人であった。全体の頭数からすれば、多くも少なくもない人数である。

 お昼どき。休日ゆえ、食事ルームは閑散としていた。4人のうち1人は外食に出て、3人だけ中に残った。そのなかの1人(女性)に、「たまには一緒に食べませんか?」と誘われた。「“たまには”じゃなくて、“初めて”が正しいんだけどなー」と心の中でツッコミながら、私は彼女の座るテーブルへ移った。その女性とさして親しくもないもう1人は、同じテーブルの少し離れた席に座って既に食べ始めていた。

 私に声をかけた彼女と、食事をしながら仕事に関する会話をした。お互いに愚痴めいたことも口にしたけど、有意義で楽しかった。しかし10分ほど経って、彼女はスマホを取り出し画面を触り始め、黙ってしまった。家族からの連絡のチェックだろうと思ったが、私はちょっと違和感を覚えた。彼女は突然、一人の世界に籠ってしまったのである。こんなことなら、私はテーブルを移らなければよかったと思った。話をしないのなら、彼女の隣にいる意味がないではないか。

 彼女はスマホの世界から時々戻ってきて、思い出したように私に話しかけてきた。それに反応して私も言葉を発したが、気まぐれにスマホと行き来する彼女のペースに振り回され続けたのである。

 人によってコミュニケーションの流儀は違って当たり前だが、私はこういう昼休みの過ごし方は向いていないことを確信した。話をするのなら、食事をしながらちゃんと会話を楽しみたい。そうならないなら、一人で食べて、その後は昼寝か読書をして過ごしたいと思う。


 
もっとも昨日経験したような、食事ルームがごく少人数のシチュエーションは休日ならではと言え、そうそうないから、あれこれ考えずに平日はまた一人飯に戻るだけである。

(2017年1月9日記)

2017年1月 3日 (火)

“初”言い訳

 今日やるべきことの優先順位トップは、昨日から決めていた。大学時代の部活同期への年始挨拶メールを送ることである。付き合いの長い仲間へは、数年前に年賀状からメールに切り替えていて、今回は12月に体調を崩したこともあり、今日まで送らずじまいだったのだ。

 ところが、文面を作り、十数個のメールアドレス宛ての一斉メールが、なぜか送れない。サーバーの不調か、受け取り拒否のアドレスがあったのか、何か原因があるはずなのだが、技術的なことが分からない私は途方に暮れてしまった。昼食をはさみ、あれこれ試してみたが、何回送信しても、メールはパソコンの“送信トレイ”に残ったままになった。

 休みの貴重な時間をこれ以上費やすのは耐えられない  そう思って方針を切り替えることにした。私に賀状を送ってくれた人に対し、ピンポイントで送ることにしたのだ(一人宛てメールはなぜか問題なく送れた)。すっきりしないが、折角の三が日にイライラしたくないから、ここはもう割り切りである。

 考えてみると、私に賀状もメールも送っていない人については、私が送らなくとも失礼には当たらない(おあいこだから)。送ってくれた人には、かろうじて今日メールしたから、なんとかご容赦頂けるだろう。さらに、私の年始挨拶のこういうスタンスをブログで知った仲間は、「そういうことか」と思うだろうし、ブログを見てない仲間は私への関心がそもそも希薄なはずだから、お互いに挨拶を気にする必要がなさそうである。以上のように、私は自分を納得させた。

 言い訳というのは大抵見苦しいもので、今日のブログも例外ではないが、やむなしとしよう。自分が独り相撲でイライラしている方が、私にはよっぽど耐え難く感じられるからである。

(2017年1月3日記)

2017年1月 2日 (月)

妻が太る理由(?)

 元旦夜に、『芸能人格付けチェック!』(テレビ朝日)を見た。これといってやることのないお正月に、毎年観るのを楽しみにしている娯楽番組である。今回呼ばれたゲストの中で、私は堀江貴文氏(ホリエモン)に注目したが、番組初めに妻の目を惹いたのはスレンダーな女優・三田佳子さんであった。

妻:「三田さん、体細いなー」

私:「ほんと、確かに細いね」

妻:「こういう女優さんは太らないなー」

私:「しょっちゅうテレビに出るから太れないんだね」

妻:「うんうん。あたし普段出てないから」

私:「……」

(2017年1月2日記)

2016年12月26日 (月)

『SMAP×SMAP』最終回を見て

SMAP×SMAP』(フジテレビ)の最終回を少しだけ見た。妻は今までこの番組を毎週観ており、今回は長時間のため録画して後で再生するという。私が見たのは、SMAPのメンバーが力を振り絞って、ヒット曲を1時間近くメドレーで歌い続けた昔の映像だった。

 S
MAPファンは特別な気持ちで最終回を観たと思う。懐かしさ、感謝、悲しみなど入り混じったものがこみ上げてきたのではないだろうか。今回の最終回はグループの解散とセットだから、普通の番組が終了するのとはわけが違う。ファン心理がある程度想像できた一方で、私は思ったことがあった。

 
最終回の放送で、メンバーの生出演はなかった(らしい)。予め録られた番組の収録と過去の映像が流されたのであって、放送時間中にSMAPメンバーとテレビを観ているファンが直接向き合ってはいなかったのだ。同じ時間を共有しておらず、私は「ファンが置き去りにされている」と感じないわけにはいかなかった。アイドルグループはファンがいてこそだが、“アスリート・ファースト”(2020年東京五輪)ならぬ“ファン・ファースト”には程遠い終わり方だったと思う。

 意地悪な見方をすれば、最終回の収録が終わった時点で、SMAPメンバーの気持ちは切れて、番組が放送された日(今日)は、各自が今後の仕事のことを考えたり、年末年始の休みの準備をしていたかもしれないのだ。いや、収録自体だって、メンバーは全く異なる心境で臨んでいたかもしれない。以上のように考えると、やはりファンは置き去りにされたのだ。

 SMAPファンに真摯に向き合ったのは、むしろテレビ局の番組制作に携わった方々ではないか。例えば、膨大なストックの映像からこれはというものを探して編集し、ファンの視聴者に喜んでもらう、楽しんでもらう労力は大変なものだっただろう。

 そもそもファンというのは、アイドルなどの有名人に、“夢中にさせる魔法”をかけられる存在である。今回は、テレビ局がその“魔法”が解けないように力を尽くした一方で、肝心の“魔法使いたち”は魔法使いの服を脱ぎ捨ててその場を去り、それぞれ別の場所に向かって歩いていた……そのように私には感じられた。

(2016年12月26日記)

2016年12月14日 (水)

ピコ太郎さんへの〇〇な質問

 メディア・リテラシーの高くない私がピコ太郎さんを知ったのは、妻が職場で「面白い人がいるって話題になってるよ」と教えてくれたからである。早速ネットで『Pen-Pineapple-Apple-Pen』の動画を探し、あまりの奇抜さ、くだらなさに大笑いした。

 そのうち日が経つにつれて、テレビという旧来型メディアが、ネット発で名前が知られるようになったピコ太郎さんを取り込もうとしているのがよく分かった。番組名は忘れたが、あるテレビはピコ太郎さんにインタビューし、「月収は幾らになりましたか?」という質問をしていた。レギュラー番組を持ち安定的に稼いでいる先輩芸人が、ブレイクしたものの“一発屋”と揶揄されるお笑い芸人に向かって、「君、あの時幾ら稼いだの?」と質問する、ありがちな構図を私は思い出した。

 幸いなことに、ピコ太郎さんは今年10月の月収を訊かれていたため、「まだゼロ円です」と回答して切り抜けていたが、他人の収入金額を聞き出して、その情報を売るやり方は、いくら視聴者の関心事とはいえ、なんだか卑しく思えてならない。訊く側が「自分はこれだけ稼いでいるけれど」と自分の情報を開示してから訊くのならまだ分かるが、「あなたのテレビの露出を増やしているんだから、それくらい言って当たり前」といった態度はいかがなものかと思う。

 質問者のこういう態度を何と称するのが適当なのだろう。“はしたない”も“卑しい”もいいが、私の中では“下衆な”というのが、今のところ一番しっくりする。もっと適当な形容詞がありそうな気がするが思いつかず……ここで少し問題だと思うのは、私たちがこういう態度を糾弾する言葉の扱いに慣れていないということである(慣れていれば、先の質問はもっと嫌悪されるようになると思うのだが)。

(2016年12月14日記)

2016年12月 7日 (水)

自分の考えは他者の考え、バイアスか本質か

 今、ある企業から打診されている契約社員について、ネットで色々と調べてみた(便利な世の中になったものである)。当然ながら、その企業及び契約社員という働き方につき、好意的な意見とネガティブな見方が混在していたが、そのなかに私の目を惹いたものがあった。次のようなくだりである。

「契約社員という名のバイト」

 これを見て私は、かつて外食産業でクローズアップされた“名ばかり管理職”を思い出した。これに倣うと、「契約社員という名のバイト」は私の解釈で嚙み砕けば、‘契約社員という、会社の一員という体裁を見せておきながら、実態は安い賃金で働かせる使い捨て可の労働力’という意味になる。もし私を誘っている企業の契約社員が「契約社員という名のバイト」に当てはまるならば、これから契約社員となる身にとってはモチベーションが下がる情報である。

 冷静に見ればこれは面白いと思うのだが、私はネットに書き込まれたこうした見方を知るまでは、契約社員を先入観を持って見てはいなかった。殆ど予見なく捉えていたと言っていい。それが、外部の視点によって影響されることになった。これが本日のお題の前段『自分の考えは他者の考え』である。私たちはバイアスをかけられやすい社会に生きていることを痛感する。

 一方で、今回の例で言えば、私はネガティブなバイアスをかけられたのではなく、本質に触れたのだと言えるのかもしれない、とも思う。「契約社員なんて、ただ安くこき使われるだけ。アルバイトとなんら変わらないではないか」という感想を、仕事を通して実際に抱くようになれば、あの言葉は本質を突いていたなぁと未来の私は振り返ることになるだろう。お題の後段『バイアスか本質か』―はそんなことを考えて出てきたものである。

(2016年12月7日記)

2016年11月12日 (土)

「右腕(うわん)」はまずい

 他人の揚げ足を取るような話で恐縮だが、今日夜7時のNHKニュースを見ていて耳を疑った。正確な文章はあいにく覚えていないのだが、アナウンサーが「ドナルド・トランプ氏の右腕として活躍した長女……」というくだりの“右腕”を“うわん”と読んだのだ。

 人間誰でもミスや失敗はするものである。しかし、アナウンサーという職業の性格に鑑みれば、これはちょっとお粗末な恥ずかしいミスと言わざるを得ない。国語力の無さを露呈してしまった格好である。

 こういう事態を防止するために、NHKはこの際、ニュース原稿の漢字すべてにふりがなを付してはどうかと思う。ベテランのアナウンサーは「屈辱的」と感じて受け入れがたいかもしれないが、ミスを限りなくゼロに減らすには、小学生に作文を読ませるようなやり方も仕方あるまい。

 
いや、もしNHKが漢字にふりがなを付すやり方をすでに採用していて、その結果今回のミスが生じたとすれば、ふりがなを付したスタッフが悪いということになる。もっとも、アナウンサーに正しく“みぎうで”と読む力があれば、間違ったふりがなに引きずられることもなかった、と言うこともできる。やはり根本的には、アナウンサーに国語力を高めてもらうしかなさそうである。

(2016年11月12日記)

2016年11月11日 (金)

将棋で考えた著名人のSNS活用方法

 ちょっと名前の知れた人やファンを抱えた人は、ブログやツイッターは細々とでもやっておいた方がいいのかもしれない  将棋ファンとして、三浦弘行九段の不正疑惑問題の成り行きを見守っている際、そのように思った。

 10月に持ち上がった将棋ソフト使用の不正疑惑は、当事者や関係者に取材を行った週刊誌(20日発売の週刊文春)でも大きく取り上げた。しかし、そこに書かれた内容やトーン、ニュアンスは、一部の棋士が違和感を覚えるものであったことが後に明らかになった。

 まず、週刊文春で《「(三浦九段の件は)限りなく“黒に近い灰色”だと思います」という内容のメールを日本将棋連盟の理事に送っていた》とされた羽生善治三冠は、奥さん(元女優・畠田理恵さん)のツイッターを使って、訂正する趣旨の次のような文章を投稿された。

《一部報道で誤解を招くような表現がありましたのでこの場をお借りして説明をさせて頂きます。まず、「灰色に近い」と発言したのは事実です》

《今回の件は白の証明も黒の証明も難しいと考えています》、

《疑わしきは罰せずが大原則と思っていますので誤解無きようにお願いを致します》

 渡辺明竜王(現二冠)も自身の思うところを明らかにした。10月12日付のブログで《大変な事態になってしまいましたが、引き続き将棋界へのご声援を宜しくお願いします。 詳細は各種報道に任せて、ここでは省略します》と静観する態度を示していたが、週刊文春の記事の内容が自身のイメージしていたものと違っていたようで、ブログで次のように軌道修正を図っている。

《一連のこと。

昨日は月例報告会で棋士に一連の経緯と自分の行動意図を説明しました。その後に囲み取材を受けましたが、報道された記事でこれでは発言が後退しすぎと言うか、最初から何もしなかったほうが良かったという体になってしまっているので、そこは訂正させてもらいます。連盟の公式HPでなく個人のブログに書くのは褒められた行為ではないかもしれませんが、ずっと誤解されるのは耐えられないので。(以下略)》(2016-11-01

《最後に。

昨日ので最後にしようと思いましたが、言い足りないことがあったので最後に付け加えます。

自分ではブレてないつもりでも、言葉があちこち飛び交ったのは自分の責任です。急所を自分のブログで書くのを怖れてメディア任せにしたのもいけなかった。この点、自分も身を挺しきれていなかったです。

週刊文春に掲載された記事内容は、個人的にはおおむね間違っていないように思いますが、矛盾の印象を与えそうな言葉や、本意では伝わらない恐れがある表現は、誤解を解くような努力をしなくてはいけなかったと反省しています。時間が経ってからでは状況を見て態度を変えているように思われるのも仕方がなしです。(以下略)》(2016-11-02

 ここまで書いて私は、「著名人は自分の意見を表明するツールとしてSNSを持っていた方がよい」ということを言いたいわけだが、同じ将棋界で、それがさらに感じられた“事件”が起こった。10月30日の公式戦(第2期叡王戦(ドワンゴ主催))で、トップ棋士の一人久保利明九段が対局開始時刻を勘違いして不戦敗となった。この対局はニコ生でネット中継されることになっていたから、対局観戦を楽しみにしていた久保ファンは待たされた挙句、がっかりしたに違いない。皮肉にもこの不戦敗はヤフーニュースのトップページにも掲載され、ネットの威力により多くの人の知るところとなった。

 私の知る限り、久保九段はブログやツイッターはされていないようだが、もし使っていれば直接、ファンの方々に釈明なり謝罪をできただろうに、と思う(ファンあっての将棋界である)。著名人がSNSを通じて過剰に自分を演出する姿は見ていて気持ちのいいものではないが、ここぞという時に自分の意見や考え、思いを表明するのは望ましいことであり、SNSはそのための有効なツールたりえるのではないか、と最近の将棋界の動きを見て考えた次第である。

(2016年11月11日記)

2016年11月 2日 (水)

NHKとハロウィン

 10月の28日か29日だったと思うが、夜NHKのニュースを見ていて失望した。ハロウィンを目前に控え、街が盛り上がっている様子を報じていたのだが、それを紹介している女性アナウンサーが黒いマントか何かを羽織って“変身”していたのである。

 街の人がどう盛り上がろうと今は大して気にならないが、ニュースを読むのが仕事のアナウンサーまで着飾る必要はないだろう。視聴者の歓心を買いたいという意図が見えてしまい、またアナウンサー室あたりで「どの衣装にしようかしら」と同僚と盛り上がっていたさままで想像されて、私は不愉快に感じてしまった。

 このニュースでは後半に、「海の向こうもハロウィンで盛り上がっています」とアメリカの映像をご丁寧に流していた。“海の向こうも”の“も”が、これまた私は気に入らない。「ハロウィンはアメリカこそ本場、本家本元でしょうが!」と突っ込みたくなった。日本のハロウィンは、みんなでワイワイ盛り上がるのを好む軽佻浮薄な日本人が、ビジネスにもなるからと積極的に取り込んだだけの話である(東京ディズニーリゾートが火付け役という説も)。

 妻が言うには、今の職場でNHKの受信料を支払っていない人が結構いるらしい。私はNHKをそこそこ観ているから当然支払ってきたが、女性アナウンサーの姿を見てなんだか馬鹿らしく思えてきた。金額は微々たるものだけれど、きっとあの衣装代は契約者の受信料から出ているのでしょうね……。

(2016年11月2日記)

2016年9月25日 (日)

呪文

 昨日の話の続きを少々。売れている芸能人のように高収入を得ている人は、本当は自由に人生の選択ができるはずである。解散が決まったSMAPを例に挙げると、20年以上トップアイドルグループとして活躍してきたメンバーはそういう人たちに該当するだろう。解散決定を機に、芸能活動への意欲が減退しているメンバーもいるとメディア報道されている。そういう人が、「辞める」と決断すれば、今のアイドル、タレントの仕事から完全に降りることは実は簡単なことだと思う。

 「辞める」という選択肢が浮上したのは、皮肉にもメンバー間で生じた軋轢、不仲がきっかけだろうが、冷静に考えてみれば、そういう状況に陥らなくても、こういう人たちの生き方における自由度は非常に高いはずである(メンバーの殆どは独身だから、浪費家でなければなおそう言える)。

 
それを当人に感じなくさせていたのは、社会的地位や名声、高収入、ファンの存在、所属事務所との関係などだったわけだが、<SMAPとして仕事をしていくことが当たり前>という“呪文”が解かれた今、立ち止まってゼロベースで人生を考えることができるようになった、と言えるだろう。私たちは、社会も周囲の人間も、そして自分自身も「~すべき」調の呪文をかけ合って生きているが、一度自分でこうした呪文を解くようにしてはどうだろうか。きっと視界が一気に開けることと思う。

 そういえば、週刊誌を読んでいると、芸能界を引退したタレントの島田紳助さんが自由気ままに生活している様子が載っていた。相応の財力が前提となるが、こういう生き方も考え方次第で可能な時代である。

(2016年9月25日記)

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