人物

2016年10月23日 (日)

ボブ・ディラン氏は悪くない

 メディア報道によると、ノーベル文学賞に選ばれた米国の歌手ボブ・ディラン氏が受賞に何の反応も示さず、選考委員会であるスウェーデン・アカデミーはディラン氏に連絡を取れない状態が続いている。そのため、スウェーデン・アカデミーの委員からは、「無礼で傲慢だ」という声があがっているという。

 この非難の弁を知って私は、「選考委員自身に突き刺さる言葉だなあ」と思った。そもそも文学の世界に身を置いていなかったディラン氏にとって、ノーベル文学賞受賞は予想だにしなかったことだろう。スウェーデン・アカデミーに「選んでください」とか「受賞を心待ちにしています」といった態度で待っていたものではないはずで、選考する側が“片思い”で贈った賞と言っていい。

 それを、相手にされなかったからといって、不快感を示したり非難のコメントを公にするのは、ちょっと筋違いという気がする。ディラン氏は内心、「文学賞は自分が受ける賞ではない」と考えているかもしれないし、「そもそも(権威主義的な)ノーベル賞には関心がない」という価値観をお持ちかもしれない。ディラン氏が沈黙している理由も分からないのに、勝手に責めるというのはいかにもおかしい。

 ゆえに「無礼で傲慢だ」は、ディラン氏を選んだ委員自身に跳ね返ってくる言葉であると私は思う。つまり、そういう発言をした人こそ「無礼で傲慢」であることを示しているのだ。こういう人は、「ディラン氏はノーベル文学賞を侮辱した」とでも言いたいのだろうが、ディラン氏に自分がメンツを潰されたため、我慢ならなくなった、というのが真実ではないだろうか。予定されている受賞式にディラン氏が姿を見せず、メダルと賞状が宙に浮いてしまうお寒い光景を想像すると、“メンツを潰されたから”というのが、コメントの背景にあるように思えてならない。

(2016年10月23日記)

2016年10月16日 (日)

『あとは死ぬだけ』

 13日にノーベル文学賞の受賞者がボブ・ディランさんと発表された時、「ボブ・ディランって誰?」と思った人が少なくなかったという(特に若い世代)。日本では、ある程度上の年齢層で洋楽をよく聴く人たち以外には、殆ど馴染みがなかったのだろう。今から私が取り上げる中村うさぎさんも、そんな感じの人になりつつあるかもしれない。

 本の装丁は白色を基調としていて落ち着いているが、近著『あとは死ぬだけ』(20167月発行、中村うさぎ著、太田出版)はタイトルが尖っていて私は大いに刺激された。ページをめくっていってビックリ。目次の前にご自身の写真が掲載されているのだが、その中に裸(上半身)が載っているのだ。豊胸手術前と手術後を対比した露わな写真である。そして最後は、病気で入院していた時のむくみの見える顔写真。ここまできて、本に『あとは死ぬだけ』と付けられた意味が分かった気がした。

 男性であれば“破天荒”という表現がピッタリくるのだろうか。中村うさぎさんは、買い物依存症(それに伴い破産寸前に)、ホスト狂い、デリヘル体験(サービスを提供する側)など、世間の間尺に合わない行動を取ってきた方である。物書きを生業とするうさぎさんはそれらの体験を文章で綴ってこられたが、それらは売名行為として行われたかといえばそうではなく、本人なりのお考えがあってのことである。その思考の部分は、本書や『私という病』(2006年発行、新潮社)を読めば理解することができる。

 つくづく人間というのは、複雑でよく分からない生き物だと思う。一見、本能や感情に振り回されて無軌道な行動に流されているように思えるうさぎさんが書く文章は、ある意味驚愕の文体である。これほど論理的に、そして丁寧に、しかも感性豊かに言葉を紡げる物書きの女性は、私にはちょっと思い浮かばない。性的なことに全く触れない内容の箇所を読めば、書き手は男性だと思う人が多いのではないか。

 私はうさぎさんの生き方や外への自分の見せ方には共感を覚えないが、書かれたものにはとても強く惹かれている。とりわけ本質的なことを射抜いた文章には、唸らされることしばしばである。『あとは死ぬだけ』では、次の珠玉の一文が私の心に深く刻まれることになった。

《我々は非常に狭く限定された主観の檻の中で生きている》

 “主観の檻”とは実に見事な言い回しだと思う。そしてこの一文は、人間の生き方に正解などないことも示唆していて私は大変気に入っている。

(2016年10月16日記)

2016年9月24日 (土)

欲張り

 普段、予定していないテレビ番組を視聴することはあまりないが、先日、テレビの電源を入れた時にたまたま流れていた番組を珍しく見続けることになった。『結婚したら人生激変!○○の妻たち』(TBS系、9月19日放送)がそれである。

 番組の“主人公”は、タレント・キャスターのみのもんたさんと妻・靖子さん。意味深な感じで、「国民的キャスター みのもんたの妻は幸せだったのか?」という問いかけが行われていた。というのも、靖子さんは病気のため2012年に66歳という若さで亡くなっていたからである。

 テレビには、みのもんたさんが妻と生活を共にした敷地面積3,000坪の豪邸での取材の様子が映っていた。そして、広大な家の中にはスーツやシャツが綺麗かつ整然と並べられた部屋があった。靖子さんがスタイリストとして、夫・みのもんたさんの日々の衣装選びをしていたことが窺えるものであった。

 
このあたりから、私の心は素直さを失っていったような気がする。「これだけの豪邸に住み、テレビの晴れやかな仕事に没頭する夫を支えた人生が、幸せでないわけがないではないか」と思わずにはいられなかった。それで「みのもんたの妻は幸せだったのか?」は私の目には、なんとも不可思議な疑問と化した。66歳という短い命が、番組にこんな問いかけを設定させたのだろうか。

 「あなたに靖子さんが幸せかどうかなんて、分かるはずがない」と言われそうだが、それを言うなら私に限らないわけで、誰も他人の幸福度は知りえない。すると、「みのもんたの妻は幸せだったのか?」はそもそも意味を失ってしまうだろう。この番組は、他に何か伝えたいことがあるのではないか、と私は思い始めた。

 今、テレビで取材を受けているのはみのもんたさんである。まだ遺骨は家に置いたままになっていた。「もう一度でいいから、妻に会いたい…」という言葉が流れる。やはりスポットライトが当たるのは、みのもんたさんの靖子さんを想う気持ちだったのだと私は理解した。そうしたなか、私には一つ引っかかるところが出てきた。それは、「四十何年間の生活の中で朝から消灯まで一緒にいたのはたった一年間だけだった」という後悔めいた言葉を聞いた瞬間だった。

 もしこれが、「もっと二人きりで過ごす時間をとるべきだった」という意味なら、それはその気になればできたんじゃないか、と私は思う。こじんまりした家に住むなどしてお金を使わずに貯め、計画的に○○歳でリタイヤするという大橋巨泉さんのような働き方、生き方をすれば、かなりの年数、二人だけの時間を持つことができただろう。こう考えると、純粋に選択の問題である。

 いつだって熟考し決断できたのに、そういう選択をしなかったのは、二人の意思だったのだ。だから、今になってそれを「一緒にいたのはたった一年間だけだった」と振り返るのは、少々思慮が浅いか、あるいは一人になって感傷的になったか、あるいはテレビ用に作った偽善的態度のいずれかではないか、と私は意地悪な見方をしてしまった。

 さらに言えば、想像力を働かせれば分かることだが、みのもんたさんが早くリタイヤして靖子さんとの時間を多く作ったとして、それが靖子さんの幸福度を増やしたかどうかは不明である。靖子さんの幸せは、テレビで有名人となり活躍するみのもんたさんがいてこそだったからかもしれない。引退して隠居するようになった場合、夫への愛情は変質した可能性もなくはないだろう。

 七十歳を超えた今も、みのもんたさんはテレビに出続けている。キャスターが天職というご認識かどうか知らないが、外から見れば、テレビでの仕事にはまった人生と言っていいだろう。恐らく、今の仕事はお好きなのだ。だから、そのために奥さんと過ごす時間が減ってしまったのだとしても、仕方あるまい。何でもかんでも自分が望んだように手に入る、というのは欲張りというものだ、と素直でない私は思う。


(2016年9月24日記)

2016年9月17日 (土)

ローラさんと私の共通点!?

 今日は珍しく、ファッションのことを書いてみよう。8月9日放送の『マツコの知らない世界』(TBS)は『ローラのクローゼットの世界』という回であった。人気モデルでタレントのローラさんが、自身のファッションのこだわりを披露する内容である。私には門外漢のジャンルで、「別世界だなあ」と感じながら妻と観ていた。

 すると、私の嗜好と似ているローラさんの好みが発表されて大変驚いた。次のようなものである。


《ローラのオシャレルール
3:ボーダーは着ない》

 私もボーダーは好きではない。だからそういう柄を自分で手に取って買うことはない。ローラさんは「ボーダーは逃げてる感じがする」と理由を話した。「逃げてる感じがする」というのはローラさん流の言い回しだが、私流に表現するとすれば、「デザインとして安直だから」といった感じになる。ボーダーは横縞が入っているだけで何の変哲もない上、体型が気になる年齢になれば、太って見えるマイナス効果もある。いいことが一つもないじゃないか、と思ってきた。

 番組を観ながら、以上のような自分の見解を妻に開陳してみせたが、何の反応もなかった。いつどこで買ったのか記憶にないが、実は私の着る服にボーダーは何着かあって箪笥に入っている。処分をしていないのは、勿体ないという理由による。ボーダー嫌いよりも、「勿体ない」ルールの方が上位にあるのだ。結局のところ、私のファッションへのこだわりはその程度のものである。

(2016年9月16日記)

2016年9月 3日 (土)

ディスカウントストア「ドン・キホーテ」の不思議

 最近、『安売り王一代 私の「ドン・キホーテ」人生』(201511月発行、安田隆夫著、文藝春秋)という本を読んだ。上場企業にまで成長したディスカウントストア、ドン・キホーテの創業者である安田隆夫さんが、自らの起業家・実業家人生を振り返ったものだ。

 読後感は非常に良かった。派手な店舗作りと営業のイメージから、イケイケドンドンの人物かと思いきや、安田さんはリスク感覚も高い経営者だという印象を持った。他の大手流通チェーンとは企業戦略が異なり、基本的には逆張り路線だが、狙いや考え方は筋が通っていて立派な方だと感じられた。

 ここで、以前観たテレビ東京の経済番組を思い出した。今年2月9日に放送された、ガイアの夜明け『密着!会社と闘う者たち〜長時間労働をなくすために〜』がそれである。この番組では、ドン・キホーテが従業員に違法な長時間労働をさせている様子が映し出された。それはもう、ブラック企業と言ってもおかしくない内容であった。

 テレビ番組ゆえ何かバイアスがかかっているかと思ったが、別にメディア報道があった。そこには、《大手ディスカウントストア「ドン・キホーテ」が従業員に違法な長時間労働をさせていたとされる問題で、東京労働局過重労働撲滅特別対策班は1月28日、労働基準法違反の疑いで、法人としての同社と執行役員や店舗責任者ら計8人を東京地検に書類送検した》と記載されていた。これを受けて会社から、謝罪文が記載されたニュースリリースも出されており、違法状態だった事実を会社側が認めた格好となっていた。

 私には、「あの安田さんがいるのに、なぜこんなことになったのか?」という疑問がわいた。ブラック企業視されるような酷い実態と安田さんの人物像とのかい離があまりに大きく、理解ができなかったのだ。私は情報を整理すべく、細かく時間を追ってみた。安田さんは20156月末に代表取締役を退任して経営から離れており、自書『安売り王一代 私の「ドン・キホーテ」人生』は201511月に発行されている。労働基準法違反の疑いによる書類送検は20161月のことである。経営者が交代すれば、こんな短期間に企業は歪んでしまうのだろうか、と私は考え込んでしまった。

 企業の不祥事や盛衰をテーマにした書物を紐解くと、「企業はトップから腐る」という言葉がよく出てくる。安田さんがトップの頃から腐り始めていたのかどうか……。杜撰な労務管理の実態が白日の下に晒されてしまったのは、後任の大原孝治さんという生え抜き社長には試練だが、上記の報道及び書類送検を奇貨として、業績以外の視点から見ても優れた会社へと成長させていくほかあるまい。

 
私はずっと以前から、ドン・キホーテには時々買い物に行っている顧客である。が、店舗内を見て歩く限り、何か変化を感じたり、不審に思うようなことは一度もなかった。今回は、企業を観ることは本当に難しい、と改めて感じさせられた。

(2016年9月3日記)

2016年8月 2日 (火)

スターも有名人も記号になる

 北海道小樽市にある『石原裕次郎記念館』が来年夏に閉館するというニュースが流れた。メディア報道によると、施設の老朽化が大きな理由だが、来館者は開館当初の5分の1程度に減っているという。これでは、大がかりな補修に必要な費用を捻出できないというのもうなずける。

 この閉館のニュースを聞いて、私はかねてから感じていたことを再確認することとなった。それが、『スターも有名人も記号になる』である。私の母など高齢者には裕次郎ファンが多いようだが、私を含めそれより若い世代にとっては、昭和の大スターとはいえ石原裕次郎さんは過去の人である。ファンが聞いたら激怒するかもしれないが、ハンサム(イケメン)とは言い難い風貌は、一般の人と際立った差があるとは思えない。中年太りしてからの姿には幻滅すら感じてしまう。

 やがて、裕次郎さんに熱い視線を送った世代の人たちがこの世を去り、年月が過ぎれば、裕次郎さんは“石原裕次郎”という記号になるに違いない。“昭和の大スター”という枕詞はつくが、歴史の上では記号として認識されることになる。

 そう考えると、“売れること”“有名になること”に躍起になっている人たちの努力や頑張りは、称賛に値する一方で、クールに眺めることも可能である。売れに売れてどんな大スター、有名人になったところで、結局最後は記号化するだけなのだから。

 もちろん、自分のよく知るスター、有名人が老いと戦いながら記号に向かいつつあるのを感じるのは淋しさもある。7月31日には、あの千代の富士関が61歳の若さで亡くなってしまった……。平成生まれの人は、敏捷で強くて格好よかった“昭和の大横綱”の勇姿をよく知らないだろうから、ここでも記号化に向けて、時計の針が進む一方である。私は、記号化という宿命を認識してしまった以上、欲望渦巻く人の世を穏やかに諦観する一つの心得として、上手く活用するしかないかな、と思い始めている。

(2016年8月2日記)

2016年7月20日 (水)

巨泉さんの訃報に接して

 巨泉さんが逝った。がんで闘病生活を送られていたのは著書の『それでも僕は前を向く』(2014年発行、集英社)などで知っていた。いつだったかテレビの特番で見たお姿は元気そうではあったが覇気は感じられなかったから、驚きのニュースではなかったものの、「また一人亡くなってしまった」と感慨を持って受け止めた。

 テレビっ子でなかった私は、大橋巨泉さんの全盛期の活躍ぶりについて詳しくはない。『11PM』や『クイズダービー』くらいは知っているが、楽しみにして見ていたわけではないので、当時ファンでなかったことは確かである。そんな私が接点を持ったのは、巨泉さんの著書を通じてであった。

 本を通じて私が強く影響を受けたのは、巨泉さんのセミリタイヤの考え方である。仕事の位置づけと自分の願望を明確にし、具体的に行動に移したところが凄いと思う。私には大変参考になった。

《「趣味は仕事」という人間になってはいけない。僕のように「仕事は遊びのための道具」と割り切り、40歳からリタイヤ計画を立てることだ》

(『どうせ生きるなら』(2006年発行、大橋巨泉著、角川書店))

 一方で、結果的に闘病期間が長かった巨泉さんの晩年を想うと、これはご本人しか知る由もないが、セミリタイヤ後の“幸せ度”はいかほどだったのだろう、と考えてしまう。昭和に遡るが、元検事総長で、盲腸がんにより六十三歳の若さで永眠された伊藤栄樹さんの『人は死ねばゴミになる 私とがんとの闘い』(1988年発行、伊藤栄樹著、新潮社)という本がある。この中に、妻とゆったり老後を過ごすつもりが、がんにより叶わなくなった伊藤さんの後悔の言葉が綴られている。伊藤さんとの比較で言えば、五十六歳という早い時期にセミリアイヤ宣言し仕事の第一線から退いた巨泉さんの方が、圧倒的に自由時間が多かったのは間違いないが、それでも後の病気のことを思えばセミリタイヤ時のイメージ通りだったかどうか……。

 万全を期したつもりでも、思い通りにいかぬのが人生なのだと総括しなければいけないのだろうか。この十年ほど、比較的計画的に動いてきた私とて、今年来年あたりに重い病気に罹らないとは限らない。その時は誰を恨むわけにもいかないから、天の差配を受け入れるしかないと頭では分かっているものの、果たしてそう簡単に割り切れるだろうか……。巨泉さんの訃報に接して、幸せを目いっぱい感じられる確かな未来など掌中にはないことを改めて感じないわけにはいかなかった。

(2016年7月20日記)

2016年6月19日 (日)

もしも日本が戦争になったら

 私は知的ユーモア溢れる数学者・藤原正彦さんのエッセイをよく読むが、最近そこから広がりがでてきた。奥様である藤原美子さんの文章を目にする機会に恵まれたのである(奥様も健筆家とはこの時まで存じ上げなかった)。『夫の悪夢』(2010年発行、文藝春秋)というエッセイ集がそれである。

 この中で、夫・正彦さんの母親であり、戦後まもない時代のベストセラー『流れる星は生きている』(1949年発行、日比谷出版)の著者・藤原ていさんのことが触れられている。新婚の頃の美子さんが、戦争の恐ろしさ、残酷さを身をもって体験された満州からの引き揚げ者である藤原ていさん(義理の母)から語りかけられた、次のような言葉が載っていた。

《「(前略)私たちの時代にはある日、いきなり夫が戦地へ連れていかれたりしたのですよ」

と言った。母(藤原てい)は柿の若葉をまぶしそうに見上げた。そして「いま戦争が起きたら、美子さん、どうしますか」と聞いた。

戦争が起きたら、なんて考えたこともなかった。(中略)こんなに静かで平穏な時の流れの中で、そこまでの非常事態を心積もりしていなければいけないのだろうか。

「美子さん、正彦をどんなことがあっても戦地に送ってはいけないですよ。そのときには私が正彦の左腕をばっさり切り落としますからね。手が不自由になれば、召集されることはありません。右手さえあればなんとか生きていけますから」

 と毅然として言った》

(『夫の悪夢』(2010年発行、藤原美子著、文藝春秋))

 いざ戦争になれば、子どもが戦争に駆り出されないよう左腕を切り落とす、とは凄い覚悟である。正気の沙汰とは思えないが、太平洋戦争中、生きて帰れぬと言われた南方の戦地で爆撃に遭い左腕を失った水木しげるさんが、二度と戦線に復帰することなく帰還できた(後に右手一本で漫画家となった)という事実は、利き腕とは反対の腕を切り落とすのが、実効性ある最後の手段と言えることの証左だろう。

 かの苛烈をきわめた戦争を経験していない私には、藤原ていさんほどの覚悟とリスクマネジメントは正直難しい。そこまで(腕を切り落とすまで)せずとも、もっとやりようがあるのではないか、と考えるからである。身体を痛めつけずに戦争に関わらないようにするには、どうすればよいか。

 現時点での私のプランは、海外への逃亡である。その前の、日本が戦争状態に突入するまでは、国内で反戦・非戦の行動をとるが、それでも戦争不可避となり、自分が直接間接に戦争に巻き込まれそうになれば、新たな生活拠点を求めて海外に向かうしかないと思っている。「あいつは国を捨てた」「非国民だ」と後ろ指をさされようが、愚行の極みである人の殺し合いには関わりたくないのだから仕方がない。

 『もしも日本が戦争になったら』は、性質の悪い妄想と思われるかもしれない。が、私たちが平和で安全な社会に浸りきっていて、リスクマネジメント感覚が十分に養われていない面は否定できないだろう。藤原ていさんの言葉は、それを自覚させてくれるものだった。今日は最後に、日常生活に目を移した時に参考になりそうなていさんのリスクマネジメントの考え方を紹介して、筆を擱こうと思う。

《玄関に脱ぎっぱなしになっている息子たちのわらじのように大きな靴を私が片づけたりしていると、「美子さん、靴は片づけないで置いておきなさい。屈強な男の子たちの居る家と知れば、強盗も押し入ったりできませんからね」と母によく言われたものである》

(『夫の悪夢』(2010年発行、藤原美子著、文藝春秋))

(2016年6月19日記)

2016年6月 5日 (日)

最近私に取り付いた価値観

 いい大人になると、人間なかなか価値観が変わることはない気がするが、このところ私に取り付いた価値観がある。それも、一過性のものではなく、私の生き方や人間関係を大きく左右する骨太の“効果”を生みつつある。ブログで今までに何度も取り上げたことがある生物学者・池田清彦先生の《依って立つ原理》に触れて、その考え方が根付きつつあるのだ。先生は多年にわたり何冊もの著書で紹介されているが、まずはその原理の説明から始めよう。

《私が依って立つ原理は極めて単純で、次のようなものだ。

「人々が自分の欲望を解放する自由(これを恣意性の権利と呼ぼう)は、他人の恣意性の権利を不可避に侵害しない限り、保護されなければならない。但し、恣意性の権利は能動的なものに限られる」》

(『正しく生きるとはどういうことか』(1998年発行、池田清彦著、新潮社))

《(能動的というのは)他人を愛する権利、他人を無視する権利、アホなことをする権利などを有するが、他人に愛される権利とか、ちやほやされる権利とかはないのである》

(『世間のカラクリ』(2014年発行、池田清彦著、新潮社))

《私の人生なのだから、どのように生きようと勝手だ、というのはまさにその通りなのだが、ここには他人の恣意性の権利を侵害しない限りという条件がつく。但し、恣意性の権利は能動的なものに限られる。これは池田流リバタリアニズムの公準である》

(『心は少年、体は老人。』(2015年発行、池田清彦著、大和書房))

 “他人の恣意性の権利”というのが少々分かりにくいが、池田先生によると、例えば、修学旅行の待ち合わせ時間に遅れてきた生徒は、特に責められる必要はないという。なぜなら、他の生徒たちはこの遅刻者を待たずにさっさと出発すればよいからである。つまり、他の生徒たちの能動的な権利を侵害しているわけではない、ということである。日本社会の通説的な価値観、常識では、待ち合わせに遅れた人は、“みんなに迷惑をかけた人”として、当然に責められることになろう。しかし、池田先生の考え方に依れば、これも自由として許されることになる。

 この原理が私にどのように影響するかを書いておこう。私は結構、大勢の人と会うのを面倒がるところがある。その際の理由は多種かつ複合的であって、「その人との会話がはずまない(楽しめない)」、「緊張する」、「過去に(特定の人と)嫌な経験をした」、「プライベートにつきやたらと聞かれるのが不快」、「(会うことの他に)もっと楽しいことがある」等々である。そういった真の理由を前面に出すのははばかられるため、明かさないまま人の集まり(例:飲み会)を遠慮することがあるのだが、これを正当化するロジックとして、池田先生の考え方がピッタリくることに気付いたのである。私がそういう会への参加を断ったところで、その会は私抜きで開くことができるから、“他人の恣意性の権利”を侵害したりはしていない。

 まるで書きたい放題の今日のブログを読んで、不愉快に思った人が仮にいたとしても、私に責められるところはない。嫌ならば、その読者は読まないようにすればいいのであって、読者の方の権利を侵害していないはずである。そして、私の文章には「読まれる権利」(受動的な権利)はないが、「書く権利」(能動的な権利)は存在するのだ(←とても高慢な態度に見えるけれど)。

 
以上が、『最近私に取り付いた価値観』である。他人はこんな私を気に入らないかもしれないが、私はかなり大きな精神的自由を得た気がする。人生の後半戦を楽しく生きるための武器として、是非活用したい。


(2016年6月5日記)

2016年5月30日 (月)

人間ってそんなに大差ないな

 私が立派だなあと思う女性の一人に、林文子さんがいる。現横浜市長で、もともとは自動車販売会社など幾つもの企業のトップを務めた経歴の持ち主である。ビジネスの世界や政治・行政の世界でバリバリ働きたい女性にとっては、一つのロールモデルと言ってもいいだろう。

 そんな林文子横浜市長の、1か月ほど前の発言には驚かされた。先月27日にメディアで報じられたが、2020年東京五輪・パラリンピックのエンブレムのデザイン4案につき、庁内会議で「あまりのダサさに驚いている」と酷評した、というのである。時間を置かずに林市長は、「軽薄な言い方だった。(デザインを)否定したわけではない」と釈明をされた。しかし、かつて一度決まったエンブレムが白紙撤回され、広くデザイン案を募って絞られた最終候補に外野からケチをつけるというのは、五輪・パラリンピック関係者の努力や苦労への配慮がない発言だと私には感じられた。

 いや、もっとストレートに書けば、私はこの発言、失言にがっかりしたのだ。林文子さんには何冊も著書があり、文章から考え方やお人柄を知ることができるが、横浜市長への就任後に著された『共感する力 カリスマ経営者が横浜市長になってわかったこと』(2013年発行、ワニブックス)には、とても立派なことが書かれている。


“共感”または“おもてなし精神”とは、相手の気持ちに寄り添うことであり、ビジネスの世界だけでなく、すべての人間関係において欠かせないものです

《私は会議の際も、庁舎内で誰かとすれ違うときも、職員一人ひとりに声をかけ、相手の立場を尊重し、相手の気持ちに寄り添うことで“共感力”を肌で感じてもらうようにしました》

(『共感する力 カリスマ経営者が横浜市長になってわかったこと』(2013年発行、林文子著、ワニブックス))

 そんな林さんを私は理解したつもりでいたので、“共感”が微塵も感じられない先の失言には、驚きに加え失望を禁じえなかった。つい口から出た言葉というのは、本音であることが多い。そのうちに私は、こんなことを思うようになった。

「根っこの部分では、人間ってそんなに大差ないな」

 
社会的地位が高かろうが、周囲の尊敬を集めていようが、大抵人間は、ドロドロとした刺々しい心の声を内では発しているのだと思う。それを理性や知性でもって封じ込め、善人ぶっているのだ、演技をしているのだ、と言えなくもない。人はそれにより、可愛い自分への評価を高めたいのだ。

 あぁ、かく言う私も善人ぶっていると思う。人の言動の不味さを取り上げ、もっともらしさを強調して吐く自分の言葉は、そのまま自分に跳ね返ってくる。私がもし心に浮かんだことをブログにそのまま書き連ねれば、所謂“炎上”のようなことになるか、無視されて誰も読まなくなるに違いない。だから、ズルい私は、人に本音を明かすまい、余計なことは口にするまいと肝に銘じて生活をしている。

(2016年5月30日記)

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