ブログ

2017年2月20日 (月)

近況報告

 随分と間があいてしまった。頻繁にブログを訪れて下さっていた方々には申し訳なく思う。時間的にも精神的にも余裕がなくなってブログから遠ざかってしまい、いつか挽回できるはずと思っているうちに、それも困難になったことをようやく悟った次第。

 今日は大きく二点だけ書いておきたい。まず、契約社員の話がまとまり、入社手続きを経て2月某日から契約社員として働き始めた。職場には特段親しい人などいないのに、「おめでとう」と言ってくれる人もいた。素直に喜んでいいのかどうか分からないが、直接雇用の社員として働くので、派遣としての今までとは違った心持ちになっている。

 二点目はブログについて。以前は「毎日書く」ことを習慣にしていたが、会社のことをおいそれと書けない立場になったこともあり、“毎日”をはずすことにした(1か月以上経っているから、何を今さらという感じではある)。そもそも文章を書くのが好きというのがブログの起点なのに、「毎日書かねばならない」という意識が強迫観念へと変わり、自分の生活を窮屈にしているのに気づいたのがきっかけである。

 今日のところは以上としたい。1か月超に亘る空白部分については、手帳をめくりながら時間を見つけて遡って埋めていくつもりだが、かなり大雑把な記述になりそうだということを予めご承知おき頂ければと思う。

(2017年2月20日記)

2016年10月20日 (木)

ブログアクセス急増の理由

 今月11日あたりから、ブログへのアクセスが急増している。絶対数は少ないけれどいつもの2~3倍のアクセス数で、このブログを始めて1千日以上経つが、こんなことは初めてである。私のブログは世に知られていないはずなので、何かきっかけがあるに違いなかった。

 
暫くの間、最近投稿した『『電通事件』は風化したのか(その1~3)』が読まれたのかと思っていた。というのも、電通の新入社員の過労死が大きく報道され、社会の注目を集めているからである。その後、自分のなかでモヤモヤが解消しなかったため、普段はやらないことだが、どのページが読まれているのかアクセスを調べてみることにした。すると、意外なことが分かった。二年以上前に遡る次のブログが原因だったのである。

『急がれる将棋界の不正防止ルール策定』(2014531日)

minato-kashiwamoto.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/post-b5a9.html

 将棋ファンや将棋に関心のある人が、三浦九段の不正疑惑が持ち上がってからネットを検索し、私の過去のブログに行き着いたのだろう。改めて読み直してみて、今も通用する内容になっていると自分には感じられてホッとした。これでまたブログをマイペースで書き続けられそうで、一安心である。

(2016年10月20日記)

2016年8月31日 (水)

母へのコンタクト

 一周忌の帰りに、母方の叔父さん叔母さんと会って食事をご馳走になった。メンバーは、母、兄、私と妻を加えた計6人である。

 どんな流れだったか、兄と私が、遠く離れた実家で一人暮らしをしている母にどうコンタクトしているかという話になった。あまり電話をかけない兄は、「年に4回ほど帰省している」と言い、片や私は「(それほど帰省はしないが)週に2回くらい母に電話をかけている」と説明した。同じ母へのコンタクトなのに、対照的なところが明らかになった。

 兄はあまり電話をしない理由に、「健康面でまだそれほど心配していないから」を挙げた。別に、私の電話の頻度が過剰だと言いたかったわけではなかろうが、今のところ電話を重視していない兄の考え方がよく分かった。一人暮らしだけど身体は動くから、何とか生活できているはず、ということである。

 その場であえて言わなかったが、私のまめな電話にはちゃんとした理由があった。それは、母の話し相手になることである。一人暮らしとなれば、誰としゃべることもなく一日が過ぎていくこともあるに違いない。女性は一般に話し好きであり、その点母も例外ではない。だから、ニュースになった社会の出来事から日常の些細なことに至るまで、話題は何であれ、人としゃべることができれば気が晴れるだろう、というのが私の考えである。

 「健康状態の確認のためだけに、そんなに電話したりはしないよ」と私が口にすれば刺々しくなるので、その場では控えることにした。もし兄がこのブログを見ていれば、私の意図が伝わるのだが……読んでいない(今後も読まない)と想像する。なぜなら、ブログの感想をもらったことが今まで一度もないからである(←少々嫌味かな)。

(2016年8月31日記)

2016年7月28日 (木)

妻の反応

 私は日々、色々なことを妻に素直に報告している(だから我が家は亭主関白ではない)。早速昨日の“手を洗う→足を洗う→顔を洗う”という話をブログに掲載した旨報告したところ、またしてもただならぬ反応が返ってきた。

妻:「早いなー!ブログネタが尽きた? ネタ提供料、あたしに幾ら払うの?」

私:「………」

 以上です(本当にネタが尽き気味かも)。今のところ(恐らく今後も)、金銭のやりとりは発生しておりませんので、ご安心ください。

(2016年7月28日記)

2016年6月 6日 (月)

読書で抱く思わぬ感想

 本を読んでいて、本文以外の箇所で思わぬ感想を抱くことがある。最近立て続けにそんな経験をした。一冊目。あとがきにあった次の一文に「ん?」と思った。

《あなたにも幸せになっていただきたいと願って、この本を書かせていただきました》

(『ヒマラヤ聖者の太陽になる言葉』(2015年発行、相川圭子著、河出書房新社))

 これは、読者を“あなたは幸せではない”と決めつけているかのように感じた。著者の人となりまでは分からないが、へそ曲がり人間の私は、こうした文章を書けるのはよほどの善人か、よほどの自信家か、よほどのペテン師的才能の持ち主か、よほどの勘違い人間かと思ってしまった。少なくとも私は、会ったこともない人に向かって、「あなたにも幸せになっていただきたいと願って……」とは、歯が浮くような感じがして、発することができない。

 二冊目は、著者プロフィールにあったくだりである。

《土屋賢二 1944年岡山県玉野市生まれ。(中略)35年にわたって哲学を教え、現在、お茶の水大学名誉教授。哲学のかたわら、50歳のときユーモアエッセイ集「われ笑う、ゆえにわれあり」(文春文庫)を出版したのを皮切りに、(中略)多数のユーモアエッセイ集と、(中略)少数の哲学書を発表、いずれも好評のうちに絶賛在庫中。他に「幸・不幸の分かれ道-考え違いとユーモア」(東京書籍)(中略)などを矢継ぎ早に発表し、在庫に花を添えている》

(『哲学者にならない方法』(2013年発行、土屋賢二著、東京書籍))

 こちらは、真面目が当たり前の著者プロフィールにおいて、《絶賛在庫中》、《在庫に花を添えている》というのがスパイスが効いていて、たまらなく可笑しかった。こんな秀逸なユーモアセンス、ブログでつい批判や皮肉が多くなりがちな私にもあればなぁと思った。

(2016年6月6日記)

2016年5月29日 (日)

将棋棋士・渡辺明二冠の“最善手”

 私の好きな将棋の世界でちょっとした動きがあった。『叡王戦』という新設のトーナメント戦を勝ち抜いたプロ棋士と最強の将棋ソフトが二番勝負を行なう『第1期電王戦』において、山崎隆之叡王(八段)が将棋ソフト「PONANZA」に連敗を喫した。すでに過去何人もの棋士が将棋ソフトとの真剣勝負に敗れていることや、今春、囲碁で世界トップ棋士と言われるイ・セドルさん(韓国)が人工知能(AI)囲碁ソフト「アルファ碁」に1勝4敗と負け越して、コンピュータソフトの強さが社会に広く認知されたこともあり、人間側が完敗した『第1期電王戦』の結果は世間の耳目を大きく集めるニュースとはならなかった。

 早速、次回行われる『第2期叡王戦』、『第2期電王戦』についての告知が、日本将棋連盟のホームページに掲載された。そこに《羽生善治九段が初エントリー》という注目の一文があり、将棋ファンの私は「ついに……」と思った。長年将棋界のトップとして君臨してきた羽生四冠(名人・王位・王座・棋聖)と進化を遂げてきた将棋ソフトのどちらが強いのかは、将棋ファンにとって非常に大きな関心事であり、是非その歴史的な対局を見てみたい、と思ったためだ。『第1期叡王戦』にはエントリーしなかった羽生四冠だが、『第2期叡王戦』で優勝すればその対局が実現するので、大きな道が拓かれたと言える。

 一方で、羽生四冠と並ぶトップ棋士の一人、渡辺明二冠(竜王・棋王)は前回に続き『第2期叡王戦』にエントリーしなかったことが分かった。『叡王戦』はエントリー制なので、参加・不参加は棋士の自由だが、今回の不参加につき、渡辺明二冠は自身のブログ(『渡辺明ブログ』)で22日と23日の二日にわたり、次のようなコメントを掲載された。

【電王戦。】(522日)

叡王戦は第2回も出場しません。昨年と同じく、自分で決めたことです。

出ない理由をここで長々と書くことはしませんが、タイトル戦との兼ね合い等、おおむね皆さんが想像するようなことです。羽生さんの出場には私も驚きました。》

《【続・電王戦。】(523日)

叡王戦について昨日のだけでは物足りないかもしれませんが、全ての方向にいい顔をするのは不可能なので発言が難しいです。タイトルを持つような立場になれば、出る、出ないのどちらを選択してもメリット、デメリットはあります。それを細々と書き出したら長くなりますし、叡王戦の出場については各自の立場、判断が違う上に持論を展開する気もないです。

この話題についてはひとまず終息としますが、ご了承ください。》

 私はこの文章で説明は充分だと思った。将棋連盟が《羽生善治九段が初エントリー》と謳ったため、「では渡辺二冠はなぜエントリーしないのか?」というファンの(潜在的な)疑問に対し、説明をしなければとお考えになったのだろう。政治資金の私的流用疑惑が表面化した舛添要一都知事のような“説明責任”が、渡辺二冠にあるわけではない。応援する棋士に何でも明らかにしてもらわないと気が済まないファンや関係者も世の中にはいそうだが、全員が全員快く受け止められない説明になると予め分かっていれば、「詳細な説明はしません(できません)」という説明でよいと思う。

 渡辺二冠は長年にわたり個人のブログを続けてこられた方で、将棋棋士のブログでは嚆矢と言っていい存在である。将棋のPRの他、棋士の普段の生活や考え方などを披露されてきたわけだが、今回そのブログは、『叡王戦』不参加について言葉を選びながらコメントする場となった。タイトルホルダーとして、ファンにも既存のスポンサーにも気を遣わざるをえない難しい局面において、“ブログ”という持ち駒を使って“最善手”を指した、という印象を私は受けた。熟慮の上の見事な一手だったと思う。

(2016年5月29日記)

2016年5月24日 (火)

IT音痴の嘆き

 21日夕方のこと。家のパソコンの画面に突然、「あと9分でWindows 10へのアップグレードを開始する」旨の表示が現れているのに気付いた。これまで何度もアップグレードを推奨する告知を目にしてきた。それとは趣が違っていたが、アップグレードのニーズがないので、マウスで右上をバツ閉じした。すると、実際に9分ほどしてパソコンの電源が落ち、その後アップグレードが始まってしまった。

 これはもう触りようがないと思い、暫くパソコンを放っておくことにした。マイクロソフトにより勝手に進められたアップグレードについての不満や苦情のコメントがネット上で増えつつあるのは分かっていたが、まさか自分の身に降りかかるとは思っていなかった。「余計なお節介はしないでほしい」といったネガティブな感情がむくむくと湧いてきた。

 私はこの日、パソコンで終わらせるべき大切な作業はなく助かったが、「○日の□時まで」といった形で期限を切られた仕事をしていた人は、大変な迷惑を被っただろうと思う。Windowsのパソコンユーザーにそうした影響が出ることは容易に想像できるため、マイクロソフトはよくも強引なアップグレードを進める意思決定ができたものだと思う(下手をすると損害賠償請求訴訟を提起されかねないだろう。日本人は穏やかだからなめられたのかもしれないが)。

 大きな影響はなかったとはいえ、私もちょっと困ったことにはなった。1、2時間ほどしてアップグレード自体は無事完了したのだが、ネットワークの設定方法が分からなかったので、ネットに繋がらないパソコンになってしまった。我が家にはスマホがないため、こういう場合にどう復旧すればよいか、ネットで調べることができない。そこで、無線LANの機器が入っていた箱を取り出し、BUFFALO(バッファロー)というメーカーの問い合わせ窓口に電話をすることにした。本当は機器の不具合や故障ではなく、マイクロソフトに原因があるのだが、仕方なくすがることにしたのである。

 23日(月)の朝早くに電話をかけたが、週明けのせいかなかなか繋がらない。辛抱強く待つこと十数分、ようやく担当のオペレーターに相談することができた。ラッキーなことにその方は親切で、わかりやすくナビゲートしてくれ、すぐにネットを閲覧できるようになった。BUFFALOに感謝!である。

 今日は最後に私の言い訳を一つ。ここ数日間、ブログの更新が遅れ気味だったのは、ひとえにこのアップグレードのせいでした。IT音痴の嘆きは、以上でおしまい。

(2016年5月24日記)

2016年5月 7日 (土)

金の亡者

 ある日のこと。妻が土産話を持って仕事から帰ってきた。嬉々とした表情である。妻曰く、今通っている職場で、社員の人たちが派遣スタッフのシフトをどう組むか話し合っているのが聞こえてきた、そこに自分の名前が混じって聞こえたので、社員の人に質問をしたという。そこから話は展開する。

妻:「さきほど、私の名前が呼ばれた気がするのですが」

社員A:「ええ、言いましたよ」

妻:「では、指名料を頂きます」

社員A:「どんな店だ!」

社員B:「また金ですか!」

 この社員Bの「また金ですか!」発言には伏線があった。以前職場で、セロテープの台が壊れていたとき、社員が妻をつかまえて、思いつきのように次のように話しかけてきたそうだ。

社員A:「柏本さん、台を直すの得意でしたよね」(←得意かどうか知らずにAは言っている)

妻:「そうでしたっけ? 別料金を頂きますよ」

 このやりとりをその場に居合わせた社員Bは覚えていたので、“柏本=お金の話をすぐにする人”というイメージができていた、というわけである。社員A、Bの二人が仕事ぶりも含めて妻をどのように見ているか、本当のところは分からないが、夫の私にしてみれば、職場の一服の清涼剤として妻のユーモアを理解し笑い飛ばしてほしいという気持ちがある。

 私は今回の話を、ブログのネタに是非取り上げたいと思った。それで、「どこの会社かとかは書かないから、さっきの会話を載せたいな。読む人はきっと面白いと感じるから」と妻に切り出した。すると、上機嫌にも関わらず、妻からは“即OK”が出なかった。こう返されたのである。

「タダではやらん。ネタ代をくれ」

(2016年5月7日記)

2016年4月20日 (水)

喧嘩を売っている

 テレビのバラエティ番組でよくお見かけする生物学者・池田清彦さんは、見た目と話しぶりから明るく朗らかな印象で、好々爺と言ってもよさそうな方である。しかし、書き言葉となればまた別で、同一人物とは思えない、喧嘩を売っているような文章に先日遭遇して驚かされた。

 それは、著書『世間のカラクリ』(2014年発行、池田清彦著、新潮社)の中で、「がんとは闘うな(放置せよ)」と異端の主張をしている医師・近藤誠さんを擁護されているくだりにある。引き金は、「すい臓がん患者が語る、近藤理論への怒り」というあるがん患者(匿名)のブログであった(以下はそのブログからの抜粋)。

《「なんだか、池田清彦氏(早大教授)の文章を読んでいたらフツフツと怒りが湧き上がり書きました」》

《「近藤さん、池田さん。(がんと)闘っている彼らを、あざ笑い侮辱するような、アナタの意見を私は決して赦すことはできません」》

 これに対し、池田先生は本の中で反論を展開しているのだが、この患者に向けてところどころ過激な物言いをされているのである。分量の関係から、あえてそこだけ切り取ることにするが、何度読んでも凄い文章である。

《書いた本人は真剣にまじめに書いているのかもしれない。この世でいちばんタチが悪いのはまじめでバカな人だと常々思っている身としては、やれやれと思うほかはなかった》

《もちろんそれ(=がんを治療しないこと)が、あなたにとっての最適解かどうかは絶対にわからない。だから、あなたがどんな選択をするかは、あなたの自由なのだ。私や、近藤を罵倒するのももちろんあなたの自由だけれども、アホは死ななきゃ治らないと公言するのも私の自由である》

(以上、『世間のカラクリ』(2014年発行、池田清彦著、新潮社))

 まさに、喧嘩を売っている文章である。私にはここまでの強い心臓はないから、とても真似できない。私のブログもテーマによっては読む人を傷つけているだろう。でも、私が本音の部分で、「読むのも読まないのもあなたの自由、何を書こうと私の自由」と思っていることは、到底書けそうにない(と言いつつ、今書いちゃったけど)。そんなことを感じた、池田先生の驚愕の文章であった。

(2016年4月20日記)

2016年3月17日 (木)

“生活スタイルと満足”の世代論

 昨年亡くなった父と母は全く性格が異なるが、実家にあるものを眺めると、「同じ世代なんだなあ」と感じる。それが今回の帰省で強く思ったことである。書道の半紙、衣類、洋服の生地など、値札が付いた状態で未使用のままだったものが沢山見つかった。

 戦前に生まれ、少年少女時代が貧しい戦時中と重なった父母は、大人になってから日本の高度経済成長期を迎えた。こうした時代背景から二人は、“大量に買って満足した世代”であった。ひもじい経験があるゆえに、買った時に心理的な満足のピークが来てしまい、その後実際に使うことにはあまり拘らなかったようである(使うのは勿体ない、という気持ちも作用した)。

 その次に来る世代(いわゆる団塊の世代?)は、“大量に買って使って満足した世代”ということになろう。バンバン買ってバンバン使ってバンバン捨てるという消費スタイルである。その次が、“借りて使って満足する世代”。借りて使うというのは、私がここ十年来志向し実践している生活スタイルでもある。

 ここから先は、さらに変化して“シェアして使って満足する世代”や“借りもせず満足する世代”へと移行していくのではないだろうか。ここでの人々の満足というのは、物やサービスへの依存から脱却し、自分らしい人間関係や思想・思考の中から生み出されていく。私たちの心の中で、一見形のないものの価値が高まっていく予感が私にはある。ブログであったり、SNSといったものが近年私たちの生活に深く入り込んできたのも、こうした流れと無縁ではないように思うが、いかがだろうか。

(2016年3月17日記)