若者・就職

2017年2月20日 (月)

近況報告

 随分と間があいてしまった。頻繁にブログを訪れて下さっていた方々には申し訳なく思う。時間的にも精神的にも余裕がなくなってブログから遠ざかってしまい、いつか挽回できるはずと思っているうちに、それも困難になったことをようやく悟った次第。

 今日は大きく二点だけ書いておきたい。まず、契約社員の話がまとまり、入社手続きを経て2月某日から契約社員として働き始めた。職場には特段親しい人などいないのに、「おめでとう」と言ってくれる人もいた。素直に喜んでいいのかどうか分からないが、直接雇用の社員として働くので、派遣としての今までとは違った心持ちになっている。

 二点目はブログについて。以前は「毎日書く」ことを習慣にしていたが、会社のことをおいそれと書けない立場になったこともあり、“毎日”をはずすことにした(1か月以上経っているから、何を今さらという感じではある)。そもそも文章を書くのが好きというのがブログの起点なのに、「毎日書かねばならない」という意識が強迫観念へと変わり、自分の生活を窮屈にしているのに気づいたのがきっかけである。

 今日のところは以上としたい。1か月超に亘る空白部分については、手帳をめくりながら時間を見つけて遡って埋めていくつもりだが、かなり大雑把な記述になりそうだということを予めご承知おき頂ければと思う。

(2017年2月20日記)

2016年11月26日 (土)

東京・中野の街に思う

 ほぼ一年ぶりに中野の街に降り立った。仕事があったからである。昔数年間住んでいた街で愛着があるが、引っ越ししてから後、大学のキャンパスが出来たり、大企業がオフィスを構えたりで、さらに賑やかになった気がした。駅の北口を出て真っ直ぐ進むと『サンモール商店街』に入るが、懐かしさを求めてあちこち目をやって、お店に入れ替わりに気付くと、賑わいのなかに哀愁を感じたのだった。

 
一日を過ごした中野を離れる時は、妙なことを思った。若者が増えて活気溢れる街となり、それはいいことだろうが、頭に浮かんできたのは、ここが勉学に適した街なのだろうか、という疑問である。中野はあまりに都会で、楽しいこと、美味しいもの……と何でも揃っている。ここで学んで社会に出た後、これほど心地よい環境で仕事に従事できる可能性は相当低いのでは、と思ったのである。

 かなり古い考えかもしれないが、若いうちは苦労が多かったり、貧しかったりした方が、後々の人生を楽しめる余地が多いのではないだろうか。恵まれた環境で学生時代を送り、就職してから見知らぬ土地や発展途上国に赴任させられたとして、その境遇を前向きに受け止められるのだろうか、と思う。

 
以上、中野の街を懐かしみながら感じた、壮年世代のお節介な心配事であった。

(2016年11月26日記)

2016年11月21日 (月)

男子がニキビに悩むわけ

 職場の同僚の女性から、高校生になる息子の話を聞かされた。なんでも、ニキビに悩んでいるという。息子はあれやこれや薬を塗ったりしているといい、「男の子なのにどうしてそんなにニキビを気にするのか分からない」と少々あきれ気味に言った。

 私は若い頃もニキビが出なかったから、具体的に治す方法をアドバイスできなかったが、彼の気持ちは分かる気がした。そこでこう反応した。

それはきっと、女の子にモテたいからですよ」

 この言葉は女性には意外だったらしい。彼女は「そうですかねえ」と言いながら、「その言葉、息子に伝えます」と締めくくった。私の見立ては当たっていると思う。というのも、その子は共学の学校に通っていると言っていたからだ。若い女性ほどではないにせよ、男子も人並み以上に異性に「モテたい」はずで、そういう気持ちが高校生ともなればあっておかしくない。これは昔(昭和)も今(平成)も変わっていないと思う。

(2016年11月21日記)

2016年11月17日 (木)

224日目の転機

 “転機到来!?”の続きを少々。よく考えてみると面白いものだと思う。契約社員として雇おうとしているその会社は、私のパーソナルデータを何も持っていないのだ。私の履歴書は派遣会社(派遣元)には提出済みだが、派遣先には渡っていない。私に関する明白な情報は、中年の男性であるということぐらい。責任者の方は年齢すら知らずに、「契約社員というのはどうですか?」と打診してきたのである。

 そうした情報がなくとも、相応の期間、仕事をしてきた実績の方がものを言うのだろう。私は手帳等を見て、この会社での自分の勤務歴を調べてみた。初出勤は二年前の夏に遡る。以来、断続的に求人に応じてその都度採用されてきた。私が今回“声”をかけられたのは、延べ224日目の勤務日のことであった。

 もし純粋に外部から契約社員を採用しようとした場合、人を替えて面接を繰り返しても数時間しかその人物を見ることはできないだろう。その際、履歴書に書かれた内容を照らし合わせても、能力・適性・人物評価には限界がある気がする。その点、224日もの間、同じ職場で実地に仕事をしてきた私については、等身大の評価が可能なはずである。

 今回の一件は、全く予想していなかった展開であった。初出勤の日のことは殆ど記憶が残っていない。朝一番にコンプライアンスの研修があって、それから確認テストを受けさせられたことだけ覚えている。恥ずかしながら、その程度の心持ちで会社に出向き、指示されるがまま仕事を始めたのだ。人生は案外、このような感じの“出会い”がターニングポイントになって進んでいくのかもしれない。

(2016年11月17日記)

2016年11月15日 (火)

転機到来!?

 こういう経験は人生でもう二度とない気がする。11月某日、派遣社員として働きに行っている職場でのこと。その日はたまたま残業があり、一日の締めを行なっていた私は、他の派遣社員よりも少し長く職場に残っていた。それが終わって部屋を出て、ロッカールームでいつものように帰り支度をしていたところ、職場の責任者に呼び止められた。そして、こう話しかけられた。

「柏本さん。ちょっと伺いたいのですけれど、今まで派遣社員として来て頂いていますが、契約社員というのはどうですか?」

 こんな話が、ロッカールームで突然始まったのだから私は面食らった。もう同僚の派遣社員の姿は見えなかったので、周囲に気を遣う必要がない状況ではあった。責任者が言うには、これまで業務の繁忙期に合わせてスタッフの募集をかける度に、私が応募してきているので、それならいっそ、今のチームで雇用契約が数カ月(自動更新)の契約社員として働いてはどうか、ということであった。

 素直に有り難い話である。すぐに頭に浮かんだ質問-「他にも結構長い期間ここでお世話になっている派遣社員が何人もいますが、どうして自分なのでしょう?」-を私が口にする前に、責任者の方が先手を打って説明を加えてきた。

「以前柏本さんに他のチームの応援に行ってもらった時、そこでの仕事ぶりも評判が良かったですし」

 この時の仕事は、厳密に言えば、派遣契約の就業条件で明示されたものではなかったのだが、突発的に生じて依頼された他チームの業務も、私は嫌な顔ひとつせず柔軟に「やりますよ」と引き受けてきた経緯がある。例えばその一つに、次のような “力の要る軽作業”があった。

 他のチームが業務で使用する大量の消耗品(段ボール詰め)がトラックで届いた時のこと。応援を頼まれて、ビルに横付けされたトラックまで行き、その荷物を台車に乗せてビル内に運び入れるのを手伝った。運送会社の人がまず、その荷物の移動をトラック内でやっていたのだが、一人だけでは効率が悪かったので、私は自分からトラックの荷台に駆け上がって、乗せやすくするよう台車近くまで荷物を移動させた。そのチームの人たちがトラックの横でただ待っているなか、私は“別チームで働く派遣社員”という部外者ながら、力仕事を自ら買ってでたのである。

 こうした“突発業務”が過去に何回かあって、それに協力してきた私について、そのチームの人たちが「あの人いいね」と言っていると、責任者から聞かされたことが二度ほどあった。派遣契約で定められた本業以外での仕事ぶりへの評価が、ロッカールームの話の裏にはあったことが分かってきた。私が「他のチームでも貢献を期待できる人間」と見られたようだった。

 契約社員という思わぬ打診を受けた私は、即答をしなかった。「検討させて下さい」と答えたところ、「回答に特に期限はありません。もし断ったとしても今まで通り仕事を続けてもらえばいいです」とのことだった。直感的に「決して悪い話ではない」と感じ、即受けようとも思ったが、落ち着いてじっくり考えることにした。契約社員の権利や義務といった、労働法的な側面での知識も持ち合わせていなかったためである。その責任者に「契約書のひな型のようなものは頂けますか?」と聞いたところ、「渡せないが何でも質問があれば答えられます」という返事だった。

 今日のところはここまで。以上、変哲もない日常に突如舞い降りてきた“転機到来!?”の話である。

(2016年11月15日記)

2016年10月27日 (木)

“キャリアアップ”メール

 日頃お世話になっている登録派遣会社から、先日次のようなメールが送られてきた。

「教育・研修に関する案内です。

 ご存じの通り、昨年の法改正により、派遣社員の方のキャリアアップのための派遣スタッフの方への教育訓練が義務化されました。弊社につきましても、〇〇〇を活用した研修メニューの準備が整いましたのでご案内いたします(以下略)」

 説明が不十分で示達ばかりを意図した文章だが、一読して私はある言葉が気になった。それは“キャリアアップ”である。というのも、私の頭の中に、昔読んだ本の内容が残っていたからである。

《キャリア教育関係者はキャリアアップという言葉を絶対に使わない。キャリアにはアップもダウンもないからだ。この世界ではその言葉を使った瞬間、素人と認定される》

(『「意識高い系」という病 ソーシャル時代にはびこるバカヤロー』(2012年発行、常見陽平著、ベストセラーズ))

 同じ著者が、別の本でもう少し詳しく述べているので、引用してみたい。

《「キャリアアップ」幻想がみんなをおかしくしている。カッコつきにしたのはちゃんと理由があって、キャリア教育にかかわっている者から言わせると、そこにはアップもダウンもなく、すべてが自分が歩んできた轍なので、「キャリアアップ」という言葉はおかしい。この言葉を使っている人がいたら素人だと思っていい》

(『僕たちはガンダムのジムである』(2012年発行、常見陽平著、ヴィレッジブックス))

 同感である。私は数年前に約二十年勤めた企業を退職し、<正社員→個人投資家  派遣社員  自由業>へと稼ぎ方が移行しているが、これをキャリアアップとかキャリアダウンといった形で捉えたことはない。人生において、どのように仕事を位置付けて自分が向き合うかという話だから、アップもダウンもない。しかもそれを、人様に決めつけで言われる筋合いもないのである。

 
私はもう一度、先のメールを読み直してみた。丁寧に案内しているように見えて、《派遣社員の方のキャリアアップのための派遣スタッフの方への教育訓練》とは、相当に“上から目線”だと感じられた。「上から見下ろしつつ、実際は大して意味のない研修をやるんだろうな」という直感が働いたが、この見立てはおそらく間違っていない。長年に亘る社会人経験と社会観察は、こうした時に活きるのである。

(2016年10月27日記)

2016年10月13日 (木)

『電通事件』の教訓はどこへ(その3)

企業人事やキャリアなどを専門とする多くの人が説いていることだが、私は新入社員について、「安易に退職せずに、最低3年間は辞めずに踏ん張った方がいい」と考えてきた。3年位は同じ勤め先で働かないと、会社の仕組みやビジネスの流れを十分理解できないことと、早く辞めても転職先ではそれまでのキャリアを評価してもらいにくいことが、その主な理由である。

 しかし、電通における痛ましい事件をニュースで読むうちに、辞めた方がいいケースも例外的にあると考えるようになった。かつての『電通事件』では新入社員がうつ病に罹り、入社約1年5カ月後に命を絶っている(1991年)が、昨年起きた過労死でも亡くなったのは新入社員で、入社1年目の12月のことだった。これは、“3年の辛抱”などと頑なな考え方に囚われていると、救われなくなってしまう命があるということではないか。

 昨年の事件では亡くなった本人が、仕事が辛いこと、心身に異常をきたしていること、さらには希死念慮が生じていることをツイッターで呟いていたにも関わらず、彼女を知る人たちは助けることができなかった。これは、友人・知人・同僚が責められるべきということではなく、人と人とを繋ぐツイッターという手段にも限界があることを示していると思う。

 今となっては、亡くなってしまった方は帰ってこないため、そこはつらくてやりきれないところだが、私なりに現在働いている若い人たちにお節介ながら伝えておきたい。仕事でどうしても耐えられない時、このままでは持たないと思った時は、辞めてしまって構わない。それも、ギリギリまで頑張るのではなく、立ち直れる力を余した状態で、辞める意思決定をする方が望ましい、と。

 「逃げるが勝ち」とは、昔の人はよく言ったものである。二十代前半の若人にとって先の人生は長いのだから、ちょっと立ち止まってよく考え、逃げて人生の軌道修正を図るのは全く問題ないことだと思う。生きて元気でいるうちは、何とかなるというのが私の実感である。

(2016年10月13日記)

2016年10月12日 (水)

『電通事件』の教訓はどこへ(その2)

 昨日取り上げた電通若手社員の過労死について、もう少し書いておきたい。ブログ執筆後に、ある大学教授が《月当たり残業時間が100時間を越えたくらいで過労死するのは情けない》とネット上で発言し、多くの批判を浴びたことをニュースで知った。この教授はその後謝罪コメントを投稿しているが、まずは元の発言とそのコメントを掲載してから話を進めたい。

《月当たり残業時間が100時間を越えたくらいで過労死するのは情けない。会社の業務をこなすというより、自分が請け負った仕事をプロとして完遂するという強い意識があれば、残業時間など関係ない。自分で起業した人は、それこそ寝袋を会社に持ち込んで、仕事に打ち込んだ時期があるはず。更にプロ意識があれば、上司を説得してでも良い成果を出せるように人的資源を獲得すべく最大の努力をすべき。それでも駄目なら、その会社が組織として機能していないので、転職を考えるべき。また、転職できるプロであるべき長期的に自分への投資を続けるべき。》

《私のコメントで皆様に不快な思いをさせてしまい申しわけございません。ここで、皆様にまとめて返信させて頂きます。

(1)言葉の選び方が乱暴で済みませんでした。

(2)とてもつらい長時間労働を乗り切らないと、会社が危なくなる自分の過去の経験のみで判断し、今の時代にその働き方が適合かの考慮が欠けていました。

以後、自分の専門領域を中心に、言葉を慎重に選び、様々な立場、考え方の方々がいることを念頭において、誠意あるコメントを今まで以上に心がけてまいります。》

 ここまで読んで私は、「この教授は単に火消しを図っただけではないか」と感じた。つまり、《言葉の選び方が乱暴だった》、《誠意あるコメントを今まで以上に心がけてまいります》というのは、主に表現方法についての反省であって、自分の主義主張が間違っていると非を認め考えを改めたわけではないと読めたからである。もしそうならば教授は、社会から批判をいくら浴びようが、正々堂々と受けて立てばいいではないかと私は思う。僅か一日、二日で翻意するような軽い内容を発言したわけではあるまい。

 亡くなった社員の残業時間は、月105時間に上ったと報道されている。労働法や医療関係の本に書かれていることだが、残業時間(時間外労働)が病気発症前1カ月間に月100時間を超える場合や、発症前26カ月間に月80時間を超える場合は、過重な業務負荷と病気(うつ病など)の関連性が強いと認められるという。この基準に照らせば月105時間の残業は、自殺が労災認定されて当然の、酷い労働実態だったと言えるだろう。

 私はこの長時間労働の他にもう一つ、看過してはならない点があったと思う。それはパワハラである。報道されているように、上司からの《「君の残業時間の20時間は会社にとって無駄」》《「目が充血したまま出勤するな」》という叱責や、亡くなったご本人がSNSに残した《男性上司から女子力がないと言われるの、笑いを取るためのいじりだとしても我慢の限界である》という書き込みを裏付ける事実が積み上げられれば、上司からパワハラがあったと見るのが妥当であろう。

 長時間労働だけでも十分酷なことだが、パワハラが加わるとさらに精神的に追い詰められ、病気を発症しやすくなると思う。上司-部下の関係は通常、指揮命令-服従という関係である。この人間関係が悪化していかんともし難くなると、部下は耐えられくなってやがて逃げ場を失う。私には今回の痛ましい事件は、長時間労働とパワハラの複合的な要因によって起きたものと思える(逆に言うと、上司がこの部下に親身になって接していれば、自殺には至らなかった可能性が十分あろう)。なぜ電通ほどのしっかりした大企業で、パワハラが防げなかったのかと疑問に思う(もし企業体質に起因していれば根深い問題である)。

 最後に、長時間労働についてもう一考。人は一体、何時間の労働まで耐えうるのだろうか。極端な例を挙げてみるが、カレーチェーン店『CoCo壱番屋』の創業者・宗次徳二さんはかつて、1日平均15時間半働いていたという。月に換算すれば残業は200時間をゆうに超える計算になる。

1996年は1日も休みをとらず、5637時間働いた。うるう年のため366日で割ると、1日平均15時間半働いていたことになる。日本の労働者の年間実労働時間の平均は1800時間程度だから、およそ3倍の仕事量だった》

(『日本一の変人経営者 CoCo壱番屋を全国チェーン店に育てた男の逆境力』(2009年発行、宗次徳二著、ダイヤモンド社))

 勿論、宗次徳二さんは従業員ではなく経営者の立場であったから、“残業”というのは正確ではない。計算上、実際に仕事をされた時間から法定労働時間(18時間)を引いたものが、それだけの時間にのぼったということである。ただ、人の3倍働いても宗次さんは亡くなったりはしなかった。自らの意思で経営者として働いた場合、こういう超長時間労働が可能な人もいなくはない(稀有な例だと思うが)。

 しかし、企業に雇われて、上司の指揮命令下で仕事に従事する社員はそういう存在ではない。仕事で受ける肉体的な疲労や精神的なストレスは、また違う性質のものなのだ。そして、ストレス耐性には個人差も歴然とある。雇う側、使用する側はそうしたことまで考慮に入れる必要があると思う。今日最後に言いたかったことは、“〇〇時間”という労働時間の数字だけで、働く人間の心身の状態を判断するのもやや短絡的だということである。

(2016年10月12日記)

2016年10月11日 (火)

『電通事件』の教訓はどこへ(その1)

 7日にショッキングなニュースを目にして胸が痛んだ。《電通・東大卒女性社員が過労死「1日2時間しか寝れない」クリスマスに投身自殺》(産経新聞)という見出しであった。この女性(当時24歳)は、業務の増加に伴い残業が増え、うつ病を発症していたとみられるという。別の報道によると、《上司からは「君の残業時間の20時間は会社にとって無駄」「目が充血したまま出勤するな」などと叱責されていたという》(時事通信)。

 言わずもがなだが、電通は日本の広告代理店トップ企業として知られている。一般には、華やかな業種の一流企業というイメージが持たれていると思うが、労働法やメンタルヘルスを扱った本には頻繁に登場する企業でもある。過去にも若手社員が長時間労働でうつ病になり自殺した事件があり、遺族が会社に対し損害賠償を請求する民事訴訟となったことから『電通事件』と呼ばれている。

 
この『電通事件』は最終的には金銭的な和解が成立したが、2000年の最高裁判決の中で使用者の安全配慮義務違反が認定された。会社は社員の健康に配慮する義務があるのに果たさなかったと断じたのである。この判例が契機となって行政が動き、使用者の安全配慮義務を明文化した労働契約法が制定され(2007年)、現在に至っている。

 過労自殺が社会で広く認知され始めたのは、『電通事件』がきっかけだとする見方もある。それほどの事件の当事者でありながら、また同じような構図で社員が自殺に追い込まれたというのは、電通は『電通事件』から何を学び、教訓としてどう社内で活かしてきたのだろうかと思わずにはいられない。皮肉にも今月7日、世界に例を見ない『過労死白書』(厚生労働省『過労死等防止対策白書』)が初めて公表されたが、来年以降の報告書では、電通が再び過労死の歴史に名を刻むことになるかもしれない。

 
今回亡くなった女性について、労働基準監督署が労災認定していたことが報じられているが、《社員の自殺については厳粛に受け止めている。労災認定については内容を把握していないのでコメントは差し控える》(時事通信)という電通の話は、あまりに型どおりで深く反省しているようには私には読めなかった。嫌な言い方に聞こえるかもしれないが、今後もまた犠牲者が出るような気がしてならない。

(2016年10月11日記)

2016年9月12日 (月)

仕事観の今昔

 『孤独の価値』(森博嗣著、幻冬舎)という本を読んだ。僕は一人でいることが苦にならないし、今のところ孤独を恐れてはいないから、なぜ孤独を論じたこの本を手に取ったかは自分でもよく分からない。ただ昔から、“孤独”を人がどう捉えているかには関心を持ってきた気がする。

 この本で強く印象に残った記述は、意外にも孤独とはあまり関係のないところだった。長くなるが、引用してみたい。

《このまえ、仕事に関する本を書く機会があった。書いた内容を要約すると、仕事にやり甲斐を見つけること、楽しい職場で働くことが、人生のあるべき姿だ、という作られた虚構がある。それをあまりに真に受けて、現実とのギャップに悩む人が増えている。つまり、仕事をしてみたら、苦しいばかりでちっとも楽しくない、やり甲斐のある仕事をもらえない、という悩みだ。その本では、一般の人からの仕事に関する相談が寄せられたが、その中には、「職場が明るくない」とか、「つまらない作業ばかりやらされる」といった悩みが多くあった。これなども、仕事を美化した宣伝のせいで誤解をしている人がいかに多いか、という証左ではないだろうか。

 僕はその本で、仕事は本来辛いものだ、辛いからその報酬として金が稼げるのではないか、というごく当たり前のことを書いたのだが、読者からは、「そう考えれば良かったのか、と目から鱗が落ちた」とか、「読んで気が楽になった。なんとか仕事を続けられそうに思えた」とか、そんな声が多く寄せられた》

(『孤独の価値』(2014年発行、森博嗣著、幻冬舎))

 そうなのかぁ、と私は思った。今の若い世代の多くは、仕事で輝くとか自己実現するとか、そんな夢みたいなことを思い描いているのか、と思わざるをえなかった。もちろん、若くしてイメージ通りの仕事をしている人も少しはいるだろうが、圧倒的多数は厳しい現実の前に悩んでいると想像する。

 私もそのうちの一人だったと言ってよい。それで、タイミングを見計らって会社勤めを辞め、組織を離れた生活へと移行した。今も仕事はしているが、職場は短期の仕事をするところだから、忠誠心など持っていない。さらに、誤解を恐れずに言えば、「頭を使わない仕事」、「気を使わない仕事」だからやっている。頭を使う仕事は、顧客との交渉や社内での高度なやりとりが発生する類である。今は、頭ではなく手先を使う仕事で済むから続けているのである。また、気を使わないというのは、仕事についての責任がないことからくる。責任は正社員がかぶるもの、という線引きが前提にある。以上を纏めると、私は現在の仕事にストレスは感じていない(疲労は感じるけれど)。

 私の処世術を若い人たちに勧めようとは思わない。そんなことをすれば、まとまったお金を稼ぐことは困難になろう。仕事で色々なことに悩み、我慢する対価として、相応の額の収入を安定的に得られる、というのが社会の現実の仕組みになっているからである。社内外の嫌な人間と上手く良好な関係を構築できる人が、出世の可能性が高まる(収入を増やせる)というのも、同じ土俵の上で語ることができる。

 
二十五年ほど前、就職活動をしていた頃を思い出す。所属していた大学運動部で、OBが銀座のしゃぶしゃぶ屋さんに大勢の4年生を招待してくれた。そのOBは大手証券会社の勤務だったから、しゃぶしゃぶのおごりは実質的にその証券会社の採用活動の一環である。その時の私たち4年生を覆っていた空気には重苦しいものがあった。「あの証券会社はノルマが厳しいらしい」と皆が警戒しつつ、タダのしゃぶしゃぶを食べに行ったのだ(余談:脱帽ものだが、実は参加した一人がその証券会社に就職した)。

 そう、当時私の周りでは、仕事は厳しいものだというのは、少なくとも頭では分かっていたのである。特に、業績拡大にいそしむ民間企業で課されるノルマへの恐れは大きかった。それが、時代は変わってしまったのだろうか。仕事はいきいきと活躍できる場であるという綺麗事、美化されたイメージが広まり、働く人たちの苦悩を深くしているような気がする。今の僕は仕事について、お金が稼げさえすれば、それでもう十分じゃないかと思っているが、いかがだろうか。

(2016年9月12日記)

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