社会全般

2016年12月 3日 (土)

仕事が仕事を呼ぶ〇循環

 約1週間後に予定されている或る仕事の役割分担表が郵送されてきた。開けてみてギョッとした。同じポジションの人たちの中でも、私の業務負荷が一番重いことが分かったからだ。「他の人と比べて不公平です」と事業者に言おうものなら、「それなら仕事に来て頂かなくても結構です」と言われかねないから、そんな藪蛇になるような愚行には走らないが、この分担表には考えさせられた。

 半年ほど前、私は全く同じ仕事に従事していた。その時も業務負荷が一番重い全く同じポジションだった。初めて手掛けたが、なんとか遅滞なく正確にやり遂げたという自負はあった。事業者側もそれを分かっていたのだろう。恐らく、私のことを“そつなくこなした経験者”と見て、今回もアサインしたのだろうと想像した。

 順調に業務が回って評価されれば、仕事が仕事を呼ぶ循環が生まれるのだ-そんなことを今回思った。もっとも、仕事が仕事を呼ぶ好循環、とまでは私は思い込めなかった。仕事が仕事を呼ぶことで、かえって大変な思いをすることがあるからである。“好循環”となるか“悪循環”に陥るか、そこを冷静に見極めることも、心身健康な状態で仕事を続けていく上では大切なことだと思う。

(2016年12月3日記)

2016年11月24日 (木)

使えない緊急連絡先

 一日限りといったごく短期の仕事では、大抵事前に“緊急連絡先”が知らされている。何かあった時のためのものだが、先日、電車の遅延により、仕事の集合時間に間に合わないことがあった。私は遅刻になるのを確信した時点で(集合時間の30分以上前)、この“緊急連絡先”に電話をした。出てきた人は、声の調子が面倒くさそうな感じに聞こえたが、こちらにとっては大事な連絡である。「電車遅延のため遅れる旨、仕事の現場の責任者に伝えておいて下さい」と言って電話を切った。

 ところがである。15分ほど遅れて現場に着いたが、貼り出されたスタッフの出欠表を見ると、私の欄には「遅刻」と書かれていて(それは仕方がなかった)、出欠確認をする担当者に、電車遅延及び電話を事前に入れておいたことを伝えたが、「?」という反応だった。私のことが現場に伝わっていないのか、それとも現場の責任者がこの担当者に伝え忘れたのか、いずれにしても後味が悪かった。

 似たようなシチュエーションを他の仕事でも見たことがある。やはり遅れて現場に来た人が「事前に連絡を入れたんですけど」と言っているのに、出欠確認する人が「聞いてません」風なそっけいない対応をしていたのだ。何が遅刻の理由か分からないが、これは少し気の毒だと思った。

 無断の遅刻と事前連絡ありの遅刻とでは、大違いである。そういうところも勤務態度の良し悪しとして記録されるのなら、雇う側もきちんとした漏れのない対応を取るべきだと思う。ただ、先の例で私はどうしたかというと、「事前に遅刻する連絡を入れましたよ!伝わっていないのなら、何が原因かはっきりさせて下さい」といったクレームはつけなかった。なぜかといえば、そういうクレーム自体が記録されるリスクを取りたくなかったからである。やれやれ。

(2016年11月24日記)

2016年11月22日 (火)

富の配分の問題

 少し前のことになるが、10月23日に放映されたNHKスペシャル『シリーズ マネー・ワールド  資本主義の未来 第3集 巨大格差 その果てに』は大変興味深かった。格差社会の先進国、米国での話である。ある企業の経営者が実行した先駆的な取り組みのようだったが、その経営者が自らの報酬を大幅に削減し、それを原資に全社員の最低賃金(年収)を7万ドルに引き上げた事例が紹介されていた。テレビ映像に映った社員たちは、経営者の発表に拍手喝采。「これで働くモチベーションがアップする」と明言する社員も見られた。

 普通の企業で、これほどの賃上げは殆ど可能性ゼロだろう。日本で大企業の労使が妥協点を探って実現するベアなんて、今の時代微々たるものである。先の経営者は、業績が好調ならば高額報酬が実現するのが当然とされる米国では、異端視されたり、経営者仲間からは目障りな存在と見られるに違いない。ごく一部の企業における報酬引き下げの動きが社会の空気となって強まってはたまらない、と感じると思われるからだ。

 米国も、そして日本も労働力を安く使って企業の競争力を高めるのは当たり前になっているが、富の配分のあり方としてはどうなのだろうか、と思ってしまう。資本主義社会が定着し、成熟し、行き着いた結果、現在の配分の状況が導かれているとすれば、その歪みに暗澹たる気分になる。

 私は“正解”を持ち合わせているわけではない。先の企業の取り組みにしたって、急な収入増を大歓迎した社員たちもじきに慣れてしまい、「もう増えないのか」と不満をかこつようになるかもしれない。人間の欲望には際限がないからだ。だから、先の企業の実践したことが理想形か問われれば、「分からない」と言わざるをえない。

 
一体この問題、どうすればいいのだろう。かのトマ・ピケティ氏は累進税率のグローバル資本課税というアイデアを出して世界に問うた。が、世界の主要国が自国中心主義を強めている状況に鑑みれば、税のあり方も例外ではなく、世界各国が協調して格差を縮小させる取り組みを強化するというのは、絵空事に思えてならない。

(2016年11月22
日記)

2016年11月13日 (日)

座りスマホも時に危険

 今やどこへ行っても、「歩きスマホは危険ですのでご遠慮ください」と注意される時代になった。ならば、座っていれば大丈夫かというと、そうでもなさそうである。そう感じた小さな体験をした。

 電車に乗っていた時のこと。若い女性が席に座ってスマホをいじっていた。足元には二つほど、百貨店か専門店のものと見られる大きな紙袋が置いてあった。どこにでもありそうな光景である。

 そのうち、電車の揺れによりこの紙袋が二つともバタンと通路側に倒れた。通路の真ん中を塞いだ格好である。幸い電車は全く混んでいなかったから、反応する人はいなかった。

 何分過ぎただろうか。電車は次の駅に停まり、新たな乗客が数名乗り込んできた。その人たちが、塞がれた通路を見て、立ち往生する段になって、女性はようやく気が付いた。「すみません」と言いながら、慌てて紙袋を起こして膝の方にたぐり寄せた。

 些細な例ではあったが、歩いていようが座っていようが、何かに熱中していれば、周りの様子が目に入らなくなり危ないということだ。スマホにはそういう人を熱中させる力があると理解して、慎重に生活すれば足り、もう「歩きスマホは危険ですので……」と取り立てて警鐘を鳴らす必要もない気がする。

 そういえば、私は紋切り型の標語とか表現、言い回しを好まない人間であった。“歩きスマホ”などというシャレた新語も、時が経てば“くわえタバコ”のような、私たちが背景や意味を深く考えない言葉へと堕するのではないかと、ひねくれた私は見ている。

(2016年11月13日記)

2016年11月 7日 (月)

電通は変わるだろうか?

 電通で起きた新入社員の過労自殺がこのような展開を見せるとは思わなかった。報道によると、《厚生労働省は7日、労働基準法違反の疑いで、広告大手の電通の本社と3支社に一斉に強制捜査に入った。複数の部署で、労使で決めた時間外労働の上限を超えて従業員を働かせていた疑いが強まり、先月の立ち入り調査に続いて強制捜査に着手した》(朝日新聞デジタル)という。

 残業の実態がこれに似た企業は、世の中に数多くあると考えられる。ゆえに、電通は“氷山の一角”であり、今回の捜査は “見せしめ”的という見方が可能だが、電通は誰もが知る大企業ゆえ、産業界、企業社会に注意喚起し改善を促す意義は大きいと言っていいだろう。

 電通では、残業時間の過少申告が広く行われていたと見られている。元社員がテレビのインタビューに応え、「インターネットに勤務実績を入力していた」と証言していたが、これでは過少申告が行われるのも当たり前である。上司や人事部から、「〇月の残業は□時間以内に抑えるように」と指導されれば、業務量がいかに多かろうと、入力時に勤務時間を“調整”せざるをえない。自己申告による勤務実績の入力(という仕組み)が、残業時間の過少申告を生むインフラになっているのである。

 よく考えてみれば、勤務実態を概ね正確に反映した勤務時間の記録は難しいことではない。社内ネットワークにアクセスした時間とビル(オフィス)に入った時間のいずれか早い方を勤務開始時間として、人事部が捉えればよいのである。このようなシステムの構築は技術的に困難ではないはずだから、旧態依然として自己申告に頼っている企業は、「労働基準法に違反する残業を黙認している」と指摘されても反論できないと思われる。

 違法な残業が一部の部署だけで行われていたならば、そこの管理責任者(例えば部長)が一義的にペナルティを課されるべきだが、社内のあちこちで行われていたならば、トップ(社長)にも大きな責任があると言わざるを得ない。「私は法律を破ってまで仕事をしろとは指示してない」などと社長は言いそうだが、これは自己保身を図った詭弁である。社内で常態化した違法な残業を見て見ぬふりしていたとすれば、社長にも大きな責任があると私は考える。

 過去に、社長主導で社員の残業を極力なくそうと取り組み成果を上げた有名な企業がある。吉越浩一郎さんがその社長で、著書『デッドライン仕事術』(2007年発行、祥伝社)によると、《2006年まで社長を務めていたトリンプ・インターナショナル・ジャパンで、原則として残業を禁止していた》という。業種柄、女性社員が多い企業だったという背景もあろうが、トップが本気で陣頭指揮を取れば、残業すらよしとしない企業となりうるという好例である。

 営利目的の企業にとって、法令遵守は業績拡大という目標に劣後して位置付けられがちである。法律を守ったところで、一銭も儲からないからである。しかし、企業は利益を追求する以前に、法を守らなければ社会的存在として認められなくなる。今回の一件は、そういう当たり前のことを改めて世に知らしめたと思う。

 
「社が直面する課題を共に克服し、新しい電通を作り上げていこう」》(毎日新聞)と社員に改革を呼び掛けた電通の社長は、根深い問題を抱えた現状をどうやって変えていくのだろうか。オフィスを夜10時に一斉消灯したところで、<業務量と人員がアンバランス>という残業の裏にある根本的なところは手付かずのままである。残業時間を抑えるには、今の業務をこなすため人員を増やすか、思い切って業務量を減らすといったことをしないとダメであろう。前者はコストアップ要因、後者は減収要因だから、本気で改革すれば今の業績は維持できなくなると考えるのが自然である。そのようなことが果たしてできるのか……社長の胆力が試されているとも言える。

 5年後、10年後の深夜、電通の本社ビルを外から眺めれば、どうなったかが分かるだろう。灯りが煌々とついていれば、電通は変わらなかったということになる。“新しい電通”については、私はかなり懐疑的である。というのも、企業というのは根っこのところでそう簡単に変わるものではない、と思うからである。

(2016年11月7日記)

2016年11月 5日 (土)

将棋・第三者調査委員会はフェアか?

 将棋・三浦弘行九段の不正疑惑について。日本将棋連盟が三浦九段に出場停止の処分を下して以降も、三浦九段が反論文書を公にしたり、週刊誌が一連の経緯と舞台裏を報じたり、当事者の一人渡辺明竜王がブログで真意を明らかにしたりと、事態は沈静化していない模様である。

 外からは処分を一方的に下した格好に見える将棋連盟は、このままではまずいと判断したのだろう。第三者調査委員会を設置することをホームページで明らかにした。以下のように、10月27日付と11月4日付の二度掲載されている。

《過日発表の通り、当連盟常務会では1012日付で、三浦弘行九段を出場停止(20161012日~1231日)の処分と致しました。

本件につきまして1024日に理事会を開催し、第三者により構成する委員会を設け、調査することを決定しました。委員長には但木敬一氏(弁護士、元検事総長)が決まりました。出場停止処分の妥当性、三浦九段の対局中の行動について、調査を要請しました。》(20161027日)

《三浦弘行九段に対する出場停止処分の妥当性や、三浦九段の対局中の行動について調査する第三者調査委員会(但木敬一委員長=弁護士、元検事総長)は本日、初会合を開催しましたので、お知らせします。

 なお、初会合開催に先立ち、永井敏雄氏(弁護士、元大阪高等裁判所長官)、奈良道博氏(弁護士、元第一東京弁護士会会長)の2人が新たに委員に選任されましたので、あわせてご報告いたします。》(20161104日)

 以上を読んで私が感じたのは、第三者調査委員会はフェアたりうるのだろうか、ということである。委員会のメンバーは、将棋連盟が選任し調査を依頼したと考えられるが、当然ながら対価を支払っての調査のはずであり、将棋連盟寄りの結論になるバイアスは避けられないのではないだろうか。

 “第三者〇〇”で思い出すのは、政治資金の私的流用疑惑で辞任に追い込まれた舛添要一前都知事である。疑問視された数々の支出について、「厳しい第三者の専門家の公正な目で調査してもらう」と連呼。しかしながら、出てきた報告書のトーンはかなりマイルドだったと記憶している。これで果たして公正と言えるのかな、と当時感じたのを思い出した。

 私の予想だが、今般の第三者調査委員会の報告によって、年内の対局をなしとした出場停止処分の妥当性が否定されることはないだろうと思う。穿った見方をすれば、将棋連盟がこれまでに取った行動と意思決定(=処分)を追認せんがための第三者調査委員会設置と見られないこともない。

 
以上のように私は、“第三者〇〇”と聞いて、無条件にそのフェアネスを受け入れられない人間である。偏屈に感じられたかもしれない。しかし、鵜呑みにせずに懐疑的な視点を残しておくのが、実はバランスの取れた見方だと思うのだが、いかがだろうか。

(2016年11月5日記)

2016年11月 4日 (金)

個人情報じゃあないけれど

 ある日、職場でのこと。たまに話をする同じ派遣の男性(おそらく三十代)がいるのだが、業務終了後のロッカールームでこんな会話になった。

男性:「柏本さん、今月後半はお休みなんですか?」

私:「そうですけど、何か?」

男性:「旅行に行かれるんですよね? 派遣会社のHさんがそう言っていました」

私:「えっ? ちょっと用事があって、何日間か連続で仕事を入れなかったんですが、Hさんはそんなこと言ってたんですか?」

男性:「はい。「旅行」と言っていました。で私、他の派遣スタッフにも、「柏本さんは旅行に行くそうだよ」って言っちゃいました」

私:「ええっ? 旅行話、広まってるんですか!」

 私は今月の出勤日の希望を派遣会社に伝える際、「〇日から□日ははずせない用事があるため、出られません」と言ってあった。何の用事かは一言も口にしていないのである。言えない用事ではないが、言いたくはない用事ということで、ぼかした意図は伝わっているかと思っていたが、Hさんが勝手に“旅行”を捏造してそれを他人に明かしているとは思ってもみなかったのである。

 
男性から思わぬ話を聞かされて私は、「個人情報じゃあないけれど……」と思った。派遣会社が登録スタッフのこうした情報を了解なしに流すというは、個人情報保護法には触れないがNGだろう。Hさんに連絡して「旅行の予定なんてありませんよ」と苦言を呈しようかと頭をよぎったが、最終的にはやめることにした。電話をしたらしたで、「旅行じゃなくて何の用事なんですか?」と返されるかもしれない……そのやりとりがまた面倒に思えたからである。

(2016年11月4日記)

2016年11月 2日 (水)

NHKとハロウィン

 10月の28日か29日だったと思うが、夜NHKのニュースを見ていて失望した。ハロウィンを目前に控え、街が盛り上がっている様子を報じていたのだが、それを紹介している女性アナウンサーが黒いマントか何かを羽織って“変身”していたのである。

 街の人がどう盛り上がろうと今は大して気にならないが、ニュースを読むのが仕事のアナウンサーまで着飾る必要はないだろう。視聴者の歓心を買いたいという意図が見えてしまい、またアナウンサー室あたりで「どの衣装にしようかしら」と同僚と盛り上がっていたさままで想像されて、私は不愉快に感じてしまった。

 このニュースでは後半に、「海の向こうもハロウィンで盛り上がっています」とアメリカの映像をご丁寧に流していた。“海の向こうも”の“も”が、これまた私は気に入らない。「ハロウィンはアメリカこそ本場、本家本元でしょうが!」と突っ込みたくなった。日本のハロウィンは、みんなでワイワイ盛り上がるのを好む軽佻浮薄な日本人が、ビジネスにもなるからと積極的に取り込んだだけの話である(東京ディズニーリゾートが火付け役という説も)。

 妻が言うには、今の職場でNHKの受信料を支払っていない人が結構いるらしい。私はNHKをそこそこ観ているから当然支払ってきたが、女性アナウンサーの姿を見てなんだか馬鹿らしく思えてきた。金額は微々たるものだけれど、きっとあの衣装代は契約者の受信料から出ているのでしょうね……。

(2016年11月2日記)

2016年11月 1日 (火)

小さな文字こそ重要

 今回の帰省では、新幹線に乗った。乗車がお昼時に差し掛かる時は、お弁当を食べるのが楽しみである。今回は、東京駅のお弁当売り場(「祭」というところ)で、家では作らない牛タンのお弁当を買った。母のことは気掛かりだが、乗って座席に座ってしまえば、ちょっと旅行気分になる。

 牛タン弁当はまずまず美味しかった(温かければもっと良かったけれど、贅沢は言えない)。ただ、食べた後で、お弁当の容器に貼られた紙のシールを見て、ゾッとした。原材料欄に、次のようなものがびっしりと記載されていたからである。

調味料(アミノ酸等)、酸味料、リン酸塩(Na)、保存料(ポリリジン、ソルビン酸K)、漂白剤(次亜硫酸Na)、酸化防止剤(VC)、酒精、増粘剤(キサンタン)、着色料(カラメル、赤106、黄4、青1、赤105)、VB1、香料、甘味料(サッカリンNa、ステビア)、ソルビット、ミョウバン》

 大半は食品添加物だと思うが、得体のしれないこれらのものがとても小さな文字で印刷されていた。私は、身体に悪そうなものを摂取してしまった、と思った。もしこれが大きな字で、かつ容器の表面に貼られていたならば、私は買わなかっただろうし、購入する人は激減するだろう。

 消費者金融の広告では、借りてからの一定期間、《金利0%》を大きく謳っているものがあるが、その後に支払う必要が生じる金利の数字(高いものは2桁)は、小さな文字で表記されていることが多い。お金を借りる人に見せたくないから、小さく目立たないようにしていると考えられる。

 このように、文字が小さくなっているのには理由がある。見せる側に何らかの意図がある。見る側の人(消費者)は、そういう小さな文字こそ重要である、と肝に銘じて生活するのが望ましいだろう。

(2016年11月1日記)

2016年10月26日 (水)

最近見られる格差の拡大

 私は新聞を読んでいないから、今の経済情勢がどういう論調で分析されているのか知らないが、最近「格差はこういう形でも広がるのだな」と感じている。まず、夏の終わりからずっと、野菜の値段が高止まりしている。夏の天候不順や台風の影響のようだが、私のように、食材を素材から仕入れて料理をする人間からすれば、これは家計にマイナスである。特に葉物野菜が以前の倍前後に上がっていて、健康を考えてサラダを作るのにもちょっと躊躇してしまうほどだ。

 一方、今月上旬に、興味深いメールが登録派遣会社から届いた。《101日より最低賃金が改訂となりました。つきましては、弊社の時給も下記の通りに改訂となりますのでご連絡いたします》とあった。自分について調べると、時給が自動的に30円増える計算であった。喜んでいい話ではある。しかし、上記の野菜類の値上がりを考えると、この小さな実入りの増加は相殺されるか足りない感じがした。

 
ネットで経済ニュースを見ると、株価が上昇している。昨日の日経平均の終値は17,365円と、一時よりかなり高くなっている。これをチャンスと見て、利益確定に走る投資家は少なくないと考えられる。株式等を“持てる者”は、時給数十円のアップとは縁のない世界で、資産の増加に笑みを浮かべているというのが今の状況だろう。例えば数百万円規模で資産額が増えれば、野菜の値上がりはカバーした上でお釣りが十分来る。これが“持たざる者”との違いである。

 今の経済情勢はまた変化するに違いないが、現在という時間の断面で切って見れば、以上のような形で格差の拡大が見られる気がするのだ。しかし、そのことを声高に指摘しても、社会には殆ど響かないだろう。なぜなら、“今の自分自身の境遇は自己責任に依るもの”といった社会通念が根強くあるからである。

(2016年10月26日記)

より以前の記事一覧