生活全般

2016年12月31日 (土)

今年の読書、来年の読書

 今年は本当に本を読まない一年だった。多読が好きな私だが、120冊しか読まなかった。過去は平均すると年に250~400冊程度読んできたから、今年は「読まなかったなあ」という印象しかない。

 その要因ははっきりしていて、仕事に出た日を増やしたことによる。どんな業務であれ、仕事をした日は本を読む気があまりしないから、ペースがガクンと鈍るのである。クオリティ・オブ・ライフの観点で言えば、これは仕事をすることの弊害の一つであると言ってよい。仕事をした日数と読んだ冊数は、明らかに反比例の関係にある。

 来年はどうなるかと考えるが、今はめどが立っていない。沢山読みたいが、勤務日数が増えれば影響は避けられず、従来の多読方針は軌道修正を迫られそうである。そうなれば、読む本は自分なりの価値観で厳選する必要が出てくるが、上手く選び続ける自信はない。ということで、来年も満足いく読書生活は送れそうにない予感がしている(ちょっと悲観的かな)。

(2016年12月31日記)

2016年12月27日 (火)

段取りを 台無しにする 物忘れ

 私は“出たとこ勝負”みたいなことが苦手で、できるだけ前もって準備しておきたい性分である。準備というと少々大袈裟なので、“段取り”くらいの表現が丁度いいかもしれない。が、その段取りが空振りに終わった“事件”がこのところ立て続けに起こった。

 ある日、夕食の支度を買って出た私は、妻が食べたがっていた天ぷらを作ることにした。海老、アジ、かき揚げ、さつまいも、カボチャ、肉、ゴーヤなど、揚げる具材を山ほど用意して、次々と熱した油に投じていった。ところが、食べ終わって暫くしてから冷蔵庫を開いて「しまった!」と思った。スーパーで買っておいた、おろしてあるアジの身を入れっぱなしにしていたのだ。天ぷらを揚げている間、なぜか一度もアジのことを思い出さなかった。

 別の日の夕食。妻のと二人分アボカドサラダを作って、お皿にラップをかけて冷蔵庫に入れておいた。食べる直前まで冷やしておくためである。それかメインディッシュの調理に取り掛かって、出来立てを食べたのだが、食後にこのサラダの存在を思い出した。もう別腹用のデザートを食べる気分になっていたので、サラダに戻ることはできなかった。

 “事件”は料理にとどまらない。浴槽を洗った後のこと。ゴミを外のゴミ置き場へ出しに行っている間にお湯を入れると効率的だなと思った。寒い外から戻った時、お風呂に入れるお湯があらかた入っているはず、という寸法である。

 ところが、ゴミ出しを終えて戻っても、一向にお風呂が沸いたことを知らせる音が聞こえない。おかしいなと思って見に行くと、お湯を自動的に入れるボタンをそもそも押していなかった。このヘマにより、効率的どころか、寝る時間まで遅くなったのは言うまでもない。

 以上のようなことが重なって『段取りを 台無しにする 物忘れ』という自虐的な川柳が頭に浮かんだ。そして、さらに心配なことも出てきた。それは、起きたのが単なる物忘れなのか、それとももっと根の深い病気の兆しなのか、ということである。これから見極める必要がありそうだ。

(2016年12月27日記)

2016年12月12日 (月)

ミニマリスト志向

 『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』(2015年発行、佐々木典士著、ワニブックス)という本を読んだ。もう“ミニマリスト”という言葉は珍しくないので、改めて意味を説明する必要もないだろう。私は“ミニマリスト”と呼ばれる人が、実際にどういう生活をしているのかに興味があった。

 ある程度予想はしていたが、こういう人たちは本当にモノを最小限しか持っていないのだなと感心した。著者の佐々木典士さんはテレビさえも持っていないのだ。持たない生活を押し進めた先に生じる感情は、今あるモノへの感謝であるという。これは素晴らしい心境の変化だなあと思った。

 私はモノへの執着が薄い方だが、モノを溜め込んだ生活からは抜け出せていない。あまり買わないようにはしているが、かといって今持っているモノに感謝する気持ちはそんなに起きてこないのだ(やはり、なにかとモノへの不満が生じることの方が多い)。モノを多く保有することで、不健全な心になっているとしたら、今当たり前と思っている生活には改善の余地があるということではないか。

 佐々木典士さんは三十代半ばで独身というから、私は単純に真似できないが、それでも《モノを最小限にした結果、25㎡の家から20㎡の家に引っ越し、家賃は2万円下がった》という別の“成果”も知ると、自分にもやれることがあるはず、という気になる。妻も、我が家の持ち物の多さは理解しており、「少し減らさなきゃ」と毎年、一年を振り返る12月には口にするのだ。折角良い本に出会ったのだから、頷くばかりでなく、妻とともに実践していかねばと強く感じている。

(2016年12月12日記)

2016年12月10日 (土)

晩酌の話

 ある時職場で、晩酌の話になった。私はもう半年以上、アルコール類を口にしていない。同僚の女性二人に「私はお酒を飲まないんです」と言うと、意外そうな顔をした。二人は見た目、五十代と三十代の主婦である。


 晩酌をしない私の生活スタイルは、この二人に好感された。お酒にかかるお金を節約できるから、という意味ではない。そうではなくて、旦那が晩酌をすると、夕食の時間が長引くというのだ。つまみを口にしながらビールを飲んで、それから食事……とやっていると、食べ終わるのが遅くなり、食器洗いなどの後片付けにつけが回ってくる。それを二人は、面倒なことと感じているようだった。

 想像だが、家で飲むようにしている男性のなかには、外の飲み屋よりも安上がりで家族から歓迎されている、と思い込んでいる人達がいるのではないだろうか。食後の後片付けが終わる時間の遅早まで、奥様方が気にされているとは、酔いも回って感じていないのではなかろうか。

 それを検証する意味で、一度“休肝日”の日にでも、早く食べ終わって、「今日は僕がお皿を洗うよ」と主夫を買ってでてみてはどうだろう。それを奥さんが大喜びするようならば、日常的な晩酌は本音のところでは歓迎されていない可能性があるかもしれない。

(2016年12月10日記)

2016年12月 6日 (火)

手つかずの『3分クッキング』

 もう一カ月ほど前になるだろうか。時間があれば一応料理をする私は、テレビ番組を利用して勉強しようという気になった。短時間で観られると思いDVDで録画を始めたのが、『キューピー3分クッキング』(日本テレビ)である。

 ところが、このところ毎日仕事の予定を入れてしまい、どうにも観る気がしない。仕事がある日は殆ど自分で料理をしなくなる、つまり妻任せにするか、スーパーのお惣菜に頼るか、外食で済ませるかのいずれかになるため、これはいいと思う料理の作り方を学んでもすぐに実践できないのだ。また、そもそも仕事の疲れから、娯楽ではない料理番組を観る気分にならない、ということも大きい。

 そして現在悩ましいのは、DVDの録画番組に、山のように『キューピー3分クッキング』が溜まりつつあることである。なにしろ月曜日から土曜日まで、毎週6日分が自動的に溜まっていくのだ。観たい他の番組を探すにも支障を来たし始めた。妻からもやんわりと、「早く観ようね」と言われ始めている。

 今週末は、久しぶりに休日がやってくる。一回10分の料理番組を1~2時間ぶっ通しで観ようかと考えているところである(そんな雑なやり方で料理の腕が上がるとは思えないけれど)。

(2016年12月6日記)

2016年11月27日 (日)

久しぶりの歯医者

 中野には仕事の他に、もう一つ用事があった。正確には、仕事の予定が入ったので空き時間に予約を入れたのだが、以前かかりつけだった歯医者に診てもらうことにしたのだ。中野に住んでいた頃は、半年から一年に一回程度、歯石を取ってもらうなどしていた、腕のいい先生である。

 何度も通っていたとはいえ、久しぶりに顔を出しても世間話をすることはなかった。先生はそういう柄ではないし、私も取って付けたような会話はしたくない。「すっかりご無沙汰しております」と言って、すっと診察台に身体を乗せた。あとは、先生の腕に任せるだけである。

 比較的まめに歯磨きはしていると思っていたが、1時間ばかり歯を診てもらって指摘を受けた。上の歯磨きが甘かったらしく、「右上の歯4番と5番の間、左上の5番と6番の間に初期の虫歯があります。経過観察しましょう」とのことだった。小さなの虫歯とはいえ、処置をせずに経過観察するというのは初耳だったが、肝心の4番、5番、6番の位置が分からない。家でネットで調べようと、数字だけ頭に叩き込んで帰ることにした。

 習慣の良し悪しが人生の多くを決定づけるのだ、と分かっていながら、歯磨きが甘くなっていたことを認識させられた。確かに、日頃上の歯を磨くのを面倒に感じて、つい手を抜いていたのだ。健康寿命の大切さが声高に言われるようになった昨今、歯の状態も無視はできない。たかが歯磨き、されど歯磨き、習慣を改善しようと思う。

(2016年11月27日記)

2016年11月13日 (日)

座りスマホも時に危険

 今やどこへ行っても、「歩きスマホは危険ですのでご遠慮ください」と注意される時代になった。ならば、座っていれば大丈夫かというと、そうでもなさそうである。そう感じた小さな体験をした。

 電車に乗っていた時のこと。若い女性が席に座ってスマホをいじっていた。足元には二つほど、百貨店か専門店のものと見られる大きな紙袋が置いてあった。どこにでもありそうな光景である。

 そのうち、電車の揺れによりこの紙袋が二つともバタンと通路側に倒れた。通路の真ん中を塞いだ格好である。幸い電車は全く混んでいなかったから、反応する人はいなかった。

 何分過ぎただろうか。電車は次の駅に停まり、新たな乗客が数名乗り込んできた。その人たちが、塞がれた通路を見て、立ち往生する段になって、女性はようやく気が付いた。「すみません」と言いながら、慌てて紙袋を起こして膝の方にたぐり寄せた。

 些細な例ではあったが、歩いていようが座っていようが、何かに熱中していれば、周りの様子が目に入らなくなり危ないということだ。スマホにはそういう人を熱中させる力があると理解して、慎重に生活すれば足り、もう「歩きスマホは危険ですので……」と取り立てて警鐘を鳴らす必要もない気がする。

 そういえば、私は紋切り型の標語とか表現、言い回しを好まない人間であった。“歩きスマホ”などというシャレた新語も、時が経てば“くわえタバコ”のような、私たちが背景や意味を深く考えない言葉へと堕するのではないかと、ひねくれた私は見ている。

(2016年11月13日記)

2016年11月 3日 (木)

密かな(?)決意

 私は健康オタクではないが、健康に関する書籍を読むのが好きである。目に入ってきた情報のなかで、最近私の心に深く刻まれたのは、「健康診断を受けても寿命は延びない」とする説。例えば、次のような記述が見られる。

《少々極端かもしれませんが、私は、定期健診は受けても受けなくてもいいと思っています。なぜなら、定期健診は、あくまで病気を発見するための手段であって、それを受けたからといって病気を防ぐことは決してできないからです。そもそも健康な身体をつくっていれば、ほとんどの病気は自然治癒力で治してしまうことができるのです。

201210月に、デンマークで公表されたレポートをご紹介しましょう。

「一般健康診断をしても病気になる率も、死亡率も、どちらも低下しない。心血管疾患やがんによるものをはじめ、すべての病気についても同様だった」

検査をすべて否定するわけではありませんが、定期健診に振り回されてはいけませんよ、ということです》

(『薬剤師の私が実践する 薬に頼らず健康に暮らす27の習慣』(2013年発行、宇多川久美子著、中経出版))

《養老孟司:(健康診断は)行きません。これはもうはっきりしています。健康診断を受けても受けていなくても、平均寿命は変わりないっていう調査結果はきちんと出ています》

(『老人の壁』(2016年発行、養老孟司・南伸坊著、毎日新聞出版))

 関連した内容で、現在の医療業界を痛烈に皮肉った酷い指摘もある。

《健康な人たちは、医療業界にとっては釣り堀の魚のようなものです。彼らは、早期発見・早期治療というお題目を餌にした、健診という釣り針を投げ入れ、えものがかかるのを待つわけで、面白いように魚が釣れる気分でしょう》

《近藤誠(医師):私は健康診断は不要と言っていますが、健康診断をなくせば日本の医療は崩壊しますよ。なぜなら、今の医療界は健康な人を病人に仕立て上げることで経済的に支えられているのですから》

(『医者とクスリに殺されない賢い患者学』(2015年発行、文藝春秋11月臨時増刊号))

 こうした知識を得て自分なりに長い間考えた結果、私は今後健康診断を受けないことにした。勿論、身体に尋常ならざる不調を感じた時は病院に行くが、異変がなければ何もしないということである。その代わり、毎日の運動(腹筋35回と背筋50回)を続けることで筋力を維持、今の体力を落とさないようにして予防に力を入れる、というのが私の主張点である。

 そういえば、ここ半年あまりに2回も、市役所から「健康診断を受けませんか?」というお誘いの電話がかかってきていた。市が実施するタイプのものは格安だが、一度決意を固めた私には無用のものとなった。将来、自分がどういう病気に罹って何歳で亡くなるかは分からないが、それは誰も見通すことができない。健康についても大切なのは、自分の意思とそれに基づく生き方なのだと私は考えている。

(2016年11月3日記)

2016年11月 1日 (火)

小さな文字こそ重要

 今回の帰省では、新幹線に乗った。乗車がお昼時に差し掛かる時は、お弁当を食べるのが楽しみである。今回は、東京駅のお弁当売り場(「祭」というところ)で、家では作らない牛タンのお弁当を買った。母のことは気掛かりだが、乗って座席に座ってしまえば、ちょっと旅行気分になる。

 牛タン弁当はまずまず美味しかった(温かければもっと良かったけれど、贅沢は言えない)。ただ、食べた後で、お弁当の容器に貼られた紙のシールを見て、ゾッとした。原材料欄に、次のようなものがびっしりと記載されていたからである。

調味料(アミノ酸等)、酸味料、リン酸塩(Na)、保存料(ポリリジン、ソルビン酸K)、漂白剤(次亜硫酸Na)、酸化防止剤(VC)、酒精、増粘剤(キサンタン)、着色料(カラメル、赤106、黄4、青1、赤105)、VB1、香料、甘味料(サッカリンNa、ステビア)、ソルビット、ミョウバン》

 大半は食品添加物だと思うが、得体のしれないこれらのものがとても小さな文字で印刷されていた。私は、身体に悪そうなものを摂取してしまった、と思った。もしこれが大きな字で、かつ容器の表面に貼られていたならば、私は買わなかっただろうし、購入する人は激減するだろう。

 消費者金融の広告では、借りてからの一定期間、《金利0%》を大きく謳っているものがあるが、その後に支払う必要が生じる金利の数字(高いものは2桁)は、小さな文字で表記されていることが多い。お金を借りる人に見せたくないから、小さく目立たないようにしていると考えられる。

 このように、文字が小さくなっているのには理由がある。見せる側に何らかの意図がある。見る側の人(消費者)は、そういう小さな文字こそ重要である、と肝に銘じて生活するのが望ましいだろう。

(2016年11月1日記)

2016年10月 6日 (木)

心地よい昼寝

 今は昼下がり、もうすぐ午後1時半という時刻である。今日は朝ごはんを食べた後、何をするでもなく布団に戻った。まだ寝足りなかったせいなのだが、これがすこぶる心地よかった。何にも邪魔されず、外の物音に悩まされることもなく、正午近くになるまでぐっすり眠った。今日は季節外れの暑さになると天気予報は伝えていたが、午前中はまだ涼しい風が家の中を通っていて、私の顔を撫でてくれた。

 こういう昼寝は久しぶりな気がする。先日、午後昼寝をした時は酷い目に遭った。まず、芝刈り機らしきけたたましい音が鳴り始めた。夏の間に伸びた集合住宅の敷地内の雑草を、業者が刈っているに違いなかった。夏は暑くて作業をするのに適さないからこの季節なのだろうが、うるさすぎて寝るどころではない。

 
これが終わると、近所からピアノの音が聞こえてきた。音楽は上手ければ聞き流せるが、習いたてなのか、頻繁につかえて聞くに堪えないレベルであった。習い事をする人の気持ちも分かるのでご近所としてこれは黙って受忍したが、やはり睡眠の妨げとなった。

 
とどめは防災放送である。どこかに設置されたスピーカーから「地域の皆さま、いつも私たちを見守ってくださり有難うございます。本日も宜しくお願いします」という放送が、子ども達の下校時間に合わせて流れてきた。日常生活において静寂に高い価値を置いている私は、事件や事故など何もない時にこうした放送は不要だと思うのだが、どうやらこれは地域住民の多数意見ではないようである。

 かくして三つの音のために、この日は殆ど寝ることができなかった。私がわざわざ昼寝のことをブログに書くのは、昼寝が好きだからである。「昼寝をする時間があれば、外へ遊びに行けばいいのに」と思われる向きがあるかもしれない。しかし、つまるところ《人生は壮大なヒマつぶしである》(『上野千鶴子のサバイバル語録』(2016年発行、上野千鶴子著、文藝春秋))から、80年程度の人の一生を2万~3万で割った1日も、ヒマつぶしの対象であることは間違いない。寝てヒマをつぶして悪い道理はなかろう。

 今日の午後早々、こうしてブログを書く気になれたのは、午前中の心地よい昼寝のおかげであった。

(2016年10月6日記)

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