言葉について

2016年12月28日 (水)

「髪切ったんだ」に続く言葉

 朝何気なくテレビを見ていると、今若い女性の間で“すっぴん風メイク”が流行っているということだった。私はお化粧に限らず、女性の見た目の変化を当人に伝えるのは躊躇する。下手をすると、褒めたつもりが、変なおじさん視されかねないためである。

 こんなことを妻に言うと、妻も「あたしなんか、女の人が髪を短くしたのに気が付かないことがあるよ」という反応が返ってきた(私は気は付くから、気分が良くなった)。妻に共感してもらったと早合点した私は、調子に乗って話を続けたのだが、これが迂闊だった。

私:「「髪切ったんだね」って女の人に言っても、俺なんか後の言葉が続かないんだよね」

妻:「「髪があっていいなあ」じゃない?」

私:「言うかあ!」

(2016年12月28日記)

2016年12月24日 (土)

「イチゴ、どこで買ったの?」

 今年のクリスマスは、妻が家でケーキを作るという。ケーキの生地(スポンジ)を焼き、クリームを泡立てて……という手間のかかる工程である。これは妻の領域だなと私は思い、作るところには全くタッチせずにいた。

 ただ、「イチゴを買ってきて」とお願いされた。クリスマスという季節柄、イチゴは数多く出回っているが、値段はそれなりにする。それにひるんで、近くのスーパーでやや少なめのパックを買って帰った。すると、しばらくして妻がこう言った。

イチゴ、どこで買ったの?」

 私はこの質問の真意を測りかねた。どこのスーパーでもいいではないか。そう思って、「ヨーカドーだけど、それがどうかした?」と聞き返した。次の言葉で、妻が本当に言いたいことが分かった。

イチゴの量が少ないから、どこで買ったのかなと思って」

 迂闊にも私は、ケーキに必要なイチゴの量というものを考えていなかった。ケーキの上に乗せるだけでなく、スポンジの間にも切ったイチゴを挟みこむのだ。ここに至り、自分の買ったイチゴが足りないことをはっきり理解した。

もう一回買いに行くよ」

 私の帰宅を待って妻が作りあげたケーキは、イチゴだけで原価が千円以上もする立派なものに仕上がった(当然、有り難く美味しく頂いた)。振り返ると、妻の受け答えは上手かったように思えてくる。「なんで、もっと多く買ってこなかったの?」と詰問調で言われれば、私はカチンときたり不機嫌になったかもしれない。真意を伏せたぼかした質問というのは、案外人の感情を逆なでしない賢いやり方かも、と思った。

(2016年12月24日記)

2016年12月21日 (水)

古風な妻

 今日は(も?)妻のことを少々。タイトルを『古風な妻』としたが、奥ゆかしい立ち居振る舞いを指したものではない。妻が口にする言い回しが昭和っぽい(ひいき目に見て平成とは言えない)ことが度々あることを言いたいのだ。

 ある日の朝テレビをつけると、アイドルグループの乃木坂46が歌っていた。メンバー全員お揃いの衣装だが、ちょっと変わった緑色のものを腰に巻き付けているのが目を惹いた。


私:「面白いベルトしてるよね」

妻:「違うこと考えちゃった。腰リボン……」

私:「“腰リボン”って、いつの時代やねん!」

 これは別の日の会話である。朝のテレビ番組『ZIP!』(日本テレビ)に、歌手のセレイナさんとそらという可愛い犬が全国各地を旅して回る『あおぞらキャラバン』というコーナーがあるのだが、ある土地でそらがエステを体験した。すっかり綺麗になって“別犬”のようになったそらに、セレイナさんが「女子力上がったね」と呼び掛けたその時の会話である。

私:「よく“女子力上げる(上がる)”って耳にするよね。“女子力”なんて言葉、昔はなかったなあ」

妻:「“女っぷり”じゃないの? 「最近女っぷりが上がったね」って」

私:「“女っぷり”! それはもう死語ちゃう?」

 そういえば、歌についても同じようなことが言える。妻はよく鼻歌みたいな感じで無意識に何かを口ずさんでいることがあるが、そのレパートリーは偏っていて、演歌や懐かしい昭和のヒット曲が多い(ここで具体的に思い出せないのが残念)。

 人のことは言えないが、もう新しい言葉とか曲を脳の奥深くに刻み込む年齢ではないのかもしれない。かく言う私も、今の若者が使う隠語や好んで聴く曲を覚えようという気は起きない。音楽で日頃聴いているのは、学生時代から社会人になって数年までの間の、好きだった曲ばかりである。

(2016年12月21日記)

2016年12月14日 (水)

ピコ太郎さんへの〇〇な質問

 メディア・リテラシーの高くない私がピコ太郎さんを知ったのは、妻が職場で「面白い人がいるって話題になってるよ」と教えてくれたからである。早速ネットで『Pen-Pineapple-Apple-Pen』の動画を探し、あまりの奇抜さ、くだらなさに大笑いした。

 そのうち日が経つにつれて、テレビという旧来型メディアが、ネット発で名前が知られるようになったピコ太郎さんを取り込もうとしているのがよく分かった。番組名は忘れたが、あるテレビはピコ太郎さんにインタビューし、「月収は幾らになりましたか?」という質問をしていた。レギュラー番組を持ち安定的に稼いでいる先輩芸人が、ブレイクしたものの“一発屋”と揶揄されるお笑い芸人に向かって、「君、あの時幾ら稼いだの?」と質問する、ありがちな構図を私は思い出した。

 幸いなことに、ピコ太郎さんは今年10月の月収を訊かれていたため、「まだゼロ円です」と回答して切り抜けていたが、他人の収入金額を聞き出して、その情報を売るやり方は、いくら視聴者の関心事とはいえ、なんだか卑しく思えてならない。訊く側が「自分はこれだけ稼いでいるけれど」と自分の情報を開示してから訊くのならまだ分かるが、「あなたのテレビの露出を増やしているんだから、それくらい言って当たり前」といった態度はいかがなものかと思う。

 質問者のこういう態度を何と称するのが適当なのだろう。“はしたない”も“卑しい”もいいが、私の中では“下衆な”というのが、今のところ一番しっくりする。もっと適当な形容詞がありそうな気がするが思いつかず……ここで少し問題だと思うのは、私たちがこういう態度を糾弾する言葉の扱いに慣れていないということである(慣れていれば、先の質問はもっと嫌悪されるようになると思うのだが)。

(2016年12月14日記)

2016年11月19日 (土)

うちのバカ息子

 職場での昼休み、私はよく昼寝をする。といっても、ベッドがあるわけではないから、持参したお弁当を食べた後、自席で突っ伏して寝るだけである(それでも、20分でもウトウトできると身体が楽になる)。

 もっとも、人の声に邪魔されて、眠りに入れないことも稀ではない。先日、まさにそういう日があった。目を閉じて寝ようとしていたところ、背後から女性の会話が聞こえてきた。話題はというと、子どもの教育及び学校についてである。行き交う会話はだいたい小声だったため、完全な文章が頭に入ることはなかったが、一つだけ、一人の女性が語気を強めて口にした発言が正確に耳に届いた。

「うちのバカ息子、全然勉強しないんだよ」

 酷いことを言うもんだなあ、と思った。職場の人間関係はママ友の付き合いとは切り離されているから、自由にものを言いやすい部分はあろうが、これでは子どもが可哀そうである。もしそんな発言を子どもが知ったら、親に激しく反発し軽蔑するに違いない。

 思うに、世の親は子どもの自主的な勉強に期待しすぎではないだろうか。私に言わせれば、子どもが満足に勉強しないのは、(1)親にそもそも知的好奇心が欠けている、(2)親に勉強のノウハウがない(だからやり方を教えられない)、(3)勉強することのメリットやリターンを親が伝えきれていない、(4)子どもが生来勉強の才に恵まれていない、といった要因が複合的に作用した結果であろう。親にもかなり原因があると思うのである。

 その日家に帰った私は、以上の分析は横に置いておいて、「うちのバカ息子、全然勉強しないんだよ」というくだりを中心に妻に報告した。すると妻は、これをただ面白そうに聞き流すことはしなかった。こう反応したのである。

「その人のところへ行って、「お宅のバカ息子にも何かいいところがあるんじゃない?」って言ってあげればよかったのに」

 「言えるかい!」と私は返した。親が自分の子どもを“バカ息子”と呼んでも、他人から“バカ息子”と言われれば、穏やかではいられないに違いない。私は妻の毒舌によって、ハッと気づかされた。“バカ息子”は一種の謙譲表現だったのだ。先の母親は、自分の息子を貶めることで、子どもを持つ周りにいた女性たちを持ち上げて気持ちよくしたのである。

 ここで私は気になり始めた。我が細君は外で「うちのバカ夫が……」と言い放ったリしていないだろうか。私は妻の愛情を信じているが、とにかく毒舌……ゆえに真相は分からないままである(知らない方が幸せか)。

(2016年11月19日記)

2016年11月16日 (水)

妻の本領発揮(=毒舌)

 昨日の『転機到来!?』で書いた話を、私はその日の“トップニュース”として妻に報告した。私には一つ気になることがあったのである。それを最後に妻に質問したところ、全く想定外の言葉が返ってきた。

私:「もし契約社員になったら、同じ職場で働いている派遣スタッフの人達からどう思われるかなあ?」

妻:「「裏切者!死ね!」ってロッカーに書かれるんじゃない?」

私:「…………」

 家のなかでも妻は、かくのごとく“毒舌ナンバーワン”なのである。

(2016年11月16日記)

2016年11月12日 (土)

「右腕(うわん)」はまずい

 他人の揚げ足を取るような話で恐縮だが、今日夜7時のNHKニュースを見ていて耳を疑った。正確な文章はあいにく覚えていないのだが、アナウンサーが「ドナルド・トランプ氏の右腕として活躍した長女……」というくだりの“右腕”を“うわん”と読んだのだ。

 人間誰でもミスや失敗はするものである。しかし、アナウンサーという職業の性格に鑑みれば、これはちょっとお粗末な恥ずかしいミスと言わざるを得ない。国語力の無さを露呈してしまった格好である。

 こういう事態を防止するために、NHKはこの際、ニュース原稿の漢字すべてにふりがなを付してはどうかと思う。ベテランのアナウンサーは「屈辱的」と感じて受け入れがたいかもしれないが、ミスを限りなくゼロに減らすには、小学生に作文を読ませるようなやり方も仕方あるまい。

 
いや、もしNHKが漢字にふりがなを付すやり方をすでに採用していて、その結果今回のミスが生じたとすれば、ふりがなを付したスタッフが悪いということになる。もっとも、アナウンサーに正しく“みぎうで”と読む力があれば、間違ったふりがなに引きずられることもなかった、と言うこともできる。やはり根本的には、アナウンサーに国語力を高めてもらうしかなさそうである。

(2016年11月12日記)

2016年11月 8日 (火)

妻の切り返し

 私はいつも、仕事から帰った妻が披露してくれる土産話を楽しみしている。妻曰く、今日は職場でスタッフ全員が、昔やったであろう仕事ができそうか責任者から探りが入ったという。

責任者:「柏本さん、この仕事やったことありますか?」

妻:「いえ、やったことないと思います」

責任者:「待って下さいね。見てみますから(と手元のノートに目をやる)。あ、以前やっていますねー」

妻:「過去のことは忘れました。あたし、未来のことしか考えてませんから」

責任者:「……」

 妻
はその場しのぎの返答が得意なのだ。「また余計なこと言っちゃった」と妻はちょっぴり後悔したみたいだが、後の祭りである。その時相手はどう思っただろうか……と意地悪な想像をするのが、私の密かな楽しみになっている(「減らず口のおばさん!」と思ったのだろうなあ)。

(2016年11月8日記)

2016年11月 6日 (日)

職業を探る巧妙な質問

 今日あった単発の仕事の現場にて。今まで何度かペアになったことのある男性と、少し時間ができた時に雑談をしていた。私はプライベートなことは自分から話さないし、人のことを進んで聞こうともしない人間である。従って、相手が話好きの人ならば、会話の主導権は相手が握るようになることが多い。この男性は“話好き”のタイプであった。

 男性は私の“職業不詳”に以前から疑問を持っていたのかもしれない。この日初めて、私の平日の仕事について質問してきた。が、「お仕事は何を?」とは聞いてこなかった。もっと巧妙な次の質問を投げてきたのである。

「職場(の場所)はどちらですか?」

 見事だなあと思った。仕事が何かをストレートに聞くのではなく、まずは場所から聞いて、外堀を埋めようとしているのだ。この男性、数度ペアを組んだ経験で言えば、仕事が非常にできる人という印象であった。そういう人だから、巧い聞き方ができるのだなあと合点がいき感心した。

 もっとも、質問の仕方に工夫があったからといって、私が胸襟を開くわけではない。さらりと「特定の仕事は持っていません」と答え、フリーランサーらしいと理解してもらったところで、この話題は終了した。私がこの男性に職業を聞き返すことをしなかったため、乗り気でないと思われたためかもしれない。私は黙ることで、最後の最後に会話を終わらせる主導権を握ったのである。

(2016年11月6日記)

2016年10月10日 (月)

妻の毒舌

 家の中での妻のフレッシュな毒舌を紹介してみたい。昨晩のこと。泊まっていた実家から帰ってきた妻と、今日(10日)のお昼ご飯をどうするかという話になった。私は、以前ヨーカドーで妻が興味を示していた『井村屋 ゴールド肉まん』を、5%引きで買える8日(ハッピーデー)に買っていたので、それを温めて食べようと提案したところ、あっさり却下された。

妻:「この間、紀文の肉まん食べたばかりじゃない?それに、8日に買ったばかりなのに食べちゃったらもったいないもん」

私:「いつ買ったかは関係ないよ。もし食べずにおいて、俺が近いうちに事故で万一死ぬようなことがあったらきっと後悔するよ。「あの時、食べさせてあげればよかった」って」
妻:「大丈夫。柩(ひつぎ)に入れてあげるから。三途の川で食べてね」

 妻のこの毒舌発言を、私が近くにあったメモ用紙に書き付けた途端、それを見た妻の口から二の矢が放たれた。

「あっ!またあたしのことブログに書くんでしょう。変なことを書いて、あたしを落とさないでよね!そんなキャラじゃないんだから」

 天に誓って言うが、私は“変なこと”は書いていない。「大丈夫。柩に入れてあげるから。三途の川で食べてね」は、正真正銘、妻の口から出てきた言葉なのだ。私はこの毒舌に気圧されて、昼の肉まんはおあずけとなった。ちなみに、妻が一番好きな肉まん(豚まん)は『551蓬莱』で、私が関西に帰省するたびに買って帰るお土産になっている。

(2016年10月10日記)

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