家計・貯蓄・資産運用

2016年10月26日 (水)

最近見られる格差の拡大

 私は新聞を読んでいないから、今の経済情勢がどういう論調で分析されているのか知らないが、最近「格差はこういう形でも広がるのだな」と感じている。まず、夏の終わりからずっと、野菜の値段が高止まりしている。夏の天候不順や台風の影響のようだが、私のように、食材を素材から仕入れて料理をする人間からすれば、これは家計にマイナスである。特に葉物野菜が以前の倍前後に上がっていて、健康を考えてサラダを作るのにもちょっと躊躇してしまうほどだ。

 一方、今月上旬に、興味深いメールが登録派遣会社から届いた。《101日より最低賃金が改訂となりました。つきましては、弊社の時給も下記の通りに改訂となりますのでご連絡いたします》とあった。自分について調べると、時給が自動的に30円増える計算であった。喜んでいい話ではある。しかし、上記の野菜類の値上がりを考えると、この小さな実入りの増加は相殺されるか足りない感じがした。

 
ネットで経済ニュースを見ると、株価が上昇している。昨日の日経平均の終値は17,365円と、一時よりかなり高くなっている。これをチャンスと見て、利益確定に走る投資家は少なくないと考えられる。株式等を“持てる者”は、時給数十円のアップとは縁のない世界で、資産の増加に笑みを浮かべているというのが今の状況だろう。例えば数百万円規模で資産額が増えれば、野菜の値上がりはカバーした上でお釣りが十分来る。これが“持たざる者”との違いである。

 今の経済情勢はまた変化するに違いないが、現在という時間の断面で切って見れば、以上のような形で格差の拡大が見られる気がするのだ。しかし、そのことを声高に指摘しても、社会には殆ど響かないだろう。なぜなら、“今の自分自身の境遇は自己責任に依るもの”といった社会通念が根強くあるからである。

(2016年10月26日記)

2016年9月24日 (土)

欲張り

 普段、予定していないテレビ番組を視聴することはあまりないが、先日、テレビの電源を入れた時にたまたま流れていた番組を珍しく見続けることになった。『結婚したら人生激変!○○の妻たち』(TBS系、9月19日放送)がそれである。

 番組の“主人公”は、タレント・キャスターのみのもんたさんと妻・靖子さん。意味深な感じで、「国民的キャスター みのもんたの妻は幸せだったのか?」という問いかけが行われていた。というのも、靖子さんは病気のため2012年に66歳という若さで亡くなっていたからである。

 テレビには、みのもんたさんが妻と生活を共にした敷地面積3,000坪の豪邸での取材の様子が映っていた。そして、広大な家の中にはスーツやシャツが綺麗かつ整然と並べられた部屋があった。靖子さんがスタイリストとして、夫・みのもんたさんの日々の衣装選びをしていたことが窺えるものであった。

 
このあたりから、私の心は素直さを失っていったような気がする。「これだけの豪邸に住み、テレビの晴れやかな仕事に没頭する夫を支えた人生が、幸せでないわけがないではないか」と思わずにはいられなかった。それで「みのもんたの妻は幸せだったのか?」は私の目には、なんとも不可思議な疑問と化した。66歳という短い命が、番組にこんな問いかけを設定させたのだろうか。

 「あなたに靖子さんが幸せかどうかなんて、分かるはずがない」と言われそうだが、それを言うなら私に限らないわけで、誰も他人の幸福度は知りえない。すると、「みのもんたの妻は幸せだったのか?」はそもそも意味を失ってしまうだろう。この番組は、他に何か伝えたいことがあるのではないか、と私は思い始めた。

 今、テレビで取材を受けているのはみのもんたさんである。まだ遺骨は家に置いたままになっていた。「もう一度でいいから、妻に会いたい…」という言葉が流れる。やはりスポットライトが当たるのは、みのもんたさんの靖子さんを想う気持ちだったのだと私は理解した。そうしたなか、私には一つ引っかかるところが出てきた。それは、「四十何年間の生活の中で朝から消灯まで一緒にいたのはたった一年間だけだった」という後悔めいた言葉を聞いた瞬間だった。

 もしこれが、「もっと二人きりで過ごす時間をとるべきだった」という意味なら、それはその気になればできたんじゃないか、と私は思う。こじんまりした家に住むなどしてお金を使わずに貯め、計画的に○○歳でリタイヤするという大橋巨泉さんのような働き方、生き方をすれば、かなりの年数、二人だけの時間を持つことができただろう。こう考えると、純粋に選択の問題である。

 いつだって熟考し決断できたのに、そういう選択をしなかったのは、二人の意思だったのだ。だから、今になってそれを「一緒にいたのはたった一年間だけだった」と振り返るのは、少々思慮が浅いか、あるいは一人になって感傷的になったか、あるいはテレビ用に作った偽善的態度のいずれかではないか、と私は意地悪な見方をしてしまった。

 さらに言えば、想像力を働かせれば分かることだが、みのもんたさんが早くリタイヤして靖子さんとの時間を多く作ったとして、それが靖子さんの幸福度を増やしたかどうかは不明である。靖子さんの幸せは、テレビで有名人となり活躍するみのもんたさんがいてこそだったからかもしれない。引退して隠居するようになった場合、夫への愛情は変質した可能性もなくはないだろう。

 七十歳を超えた今も、みのもんたさんはテレビに出続けている。キャスターが天職というご認識かどうか知らないが、外から見れば、テレビでの仕事にはまった人生と言っていいだろう。恐らく、今の仕事はお好きなのだ。だから、そのために奥さんと過ごす時間が減ってしまったのだとしても、仕方あるまい。何でもかんでも自分が望んだように手に入る、というのは欲張りというものだ、と素直でない私は思う。


(2016年9月24日記)

2016年8月18日 (木)

自分スタイル

 今月10日のブログ『自分品質』で私は次のように書いた。今日はその続編みたいな話である。

《先に断っておくが、自慢話では決してない。自分でこう書くのも変だが、私は他のスタッフと比べて、仕事が早い方である(正確さを犠牲にしてはいない)。ちょっとした軽作業も、パソコンを使った作業も周囲より早く終えてしまう。別に負けん気が強いからではない。結果としてそうなっている》

 昨日はたまたま、職場でシフトが組まれていたのが、私と女性(既婚)の二人だけだったので、面と向かって話をする時間があった。彼女とは、一年以上前に別の職場でも一緒になったことがあり、そこそこ話ができる間柄である。

 そんな彼女に、「柏本さんはどの仕事が好きですか?」と質問された。今の仕事は細かく分ければ、10くらいはある。手先の器用さを求められるものもあれば、パソコンの扱いを問われるものも、持久力(体力)が肝になるものもある。それらの中で、何が好きかと聞かれたのだ。

 普段、感情を露わにせずに黙々と仕事をする私にも、仕事の好悪は存在する。理由にも触れながら、好きなものを幾つか挙げたが、私の答えを聞いた後、彼女はこう総括した。

「柏本さんは、そつがないですよね」

 なるほど、人からはこう見られているのか、と思った。具体的な感想が耳に入って来たことは初めてと言っていいかもしれない。『自分品質』にはこだわる私は、人の目には満遍なくどんな仕事でも相応の成果を上げるタイプと映るのだろう。だから、昨日のようにたった二人のシフトの時も、仕事が入っているような気がした。

 《そつがない》という表現は当たっていると思う反面、欠落している部分があることも私は自覚している。組織の階段を上がっていこうとする上昇志向や、上司といい関係を築こうとする気配り、先々の展開を考えた根回しをする力、などである。これらの能力は欠けており、それを何とかしようという前向きな気持ちも定着しなかった。それで、これらの能力を必ずしも必要としない、リスクを負って投資をしつつ短期の仕事で補うという、今の稼ぎ方に落ち着いている。こちらの方は『自分品質』ではなく、『自分スタイル』と言っていいものである。

(2016年8月18日記)

2016年6月30日 (木)

英国のEU離脱という選択について

 今さらというテーマだが、英国の国民投票(24日)の結果は予想外のものだった。離脱派が多数を占め、(こちらは想定された展開だが)世界的に株価が急落した。私は資産運用において、長期投資を旨としているので株式等の売却に動いたりしなかったが、この日一日で資産の評価額は数百万円減少したはずである。一時的にせよ、世界中の投資家、資本家を敵に回すことになった離脱派の勝利であった。

 自分自身を含め、EUに残留した方がハッピーな人が多くなるだろうと考えている私は、離脱派の考え方そのものに反対というわけではない。EUのために英国が政治の自主性、主権を損なわれているというのは概念が大きすぎて私には分かりにくいが、移民の流入増加を警戒して離脱に一票を入れたくなる英国民の心理は分かる気がする。先日、この話との繋がりが感じられる体験をした。

 電車に乗っている時のこと。外国人の家族連れ2組ほどが、私の乗っていた車両の中で大きな声でしゃべっていた。子どもが騒いでも注意せずに放っている。他の乗客(日本人)は、静かに黙ってスマホを触ったり本を読んだりしていた。その中で私は、この外国人たちに苛立ちを覚えた。静かに過ごしたいのを邪魔されたからである。そして、「これは移民問題に通じる感情ではないか」と感じたのである。

 自分で言うのもなんだが、私はどちらかというと外国人をフラットに見る人間だと思っている。長年勤めた会社を辞める際、職場の同僚の外国人(アジア系)に挨拶したところ、「柏本さんは私たちに、日本人と同じように接してくれました」と感謝を込めて言われたことがある。私は常々「みんな所詮同じ人間じゃないか」と思っているから、外国人に対して日本人とは異なる態度(見下したり馬鹿にするような言動)を取ってこなかったためだろう。

 それでも、先の電車ではイライラしてしまった。「郷に入っては郷に従え」という言葉を強いるつもりはないが、私の静かに過ごす権利を侵してほしくないと思ったわけである。だから、移民の流入増が英国民の職を奪ったり、賃金水準を押し下げたり、治安の悪化を招くとして懸念する見方は、一定程度理解ができてしまう。

 幸い移民問題は、日本では大きな政治的イシューにはまだなっていない。政治的な難民や経済的困窮者を人道的な観点で海外から受け入れることはすべきだとは思うが、日本に永住することを認めるような受け入れは、将来に禍根を残す気がしてならない。移民の一世は受け入れ国に感謝するだろうが、二世、三世へと移っていった時に、日本社会に馴染むかどうか分からない日本生まれのこれら世代を「受け入れない」という選択肢はないからである。日本を“避難所”として海外から来て頂くのは賛成だが、十年、二十年と年限を切って母国に戻ってもらうのが、長い目で見てお互いに幸せな結果を生むのではないだろうか。

 
英国のEU離脱は、国や地域が相互に繋がることを是としてきた世界の歴史において、逆方向に進もうとするもので、一国の選択ながら壮大な実験となろう。今後は混乱を伴いながら、同じ島国である日本にも様々な示唆を与えてくれるに違いない。私たちは、謙虚な姿勢を忘れずに海外から学び続けるのがこれからも賢明である。

(2016年6月30日記)

2016年3月29日 (火)

学生の奨学金問題

 学生の奨学金が問題として取り上げられることが多くなった。子どもの教育費が増加し、奨学金の利用に抵抗がなくなってきた一方、本人の返済が滞る事例が多くなったことが背景のようである。返済できなくなった人に対しては、“同情派”が社会の多数とはなっていないようだ。借り手が誰であれ、「借りたお金は返すのが当たり前」というのが、世間一般の常識としてあるためである。

 私自身、大学時代に日本育英会(現・日本学生支援機構)の無利子の奨学金を利用していた時期があった。親の年収証明がないとさずがに申請できなかったため、手続きの煩雑さのみならず心理的に気乗りしないところはあったが、当面の生活を楽にする手段として頼る決心をしたのを思い出す。

 不思議なことに、社会人になって始まった返済については、どういうタイミングで幾らずつ返していったのか一切記憶がない(関連書類も捨ててしまった)。これは、若い頃はお金の出入りに無頓着だったことと、就職をして安定的な収入が生まれ、返済原資の心配がなかったためだと思う。ただ、完済までにかなり年数がかかったイメージがある。

 私が利用した昔と今とでは、①親の収入が減少した、②教育費が増大した、③子どもの雇用・所得環境が必ずしも安定的でなくなった、といった違いがある。このうち、子ども本人の返済が滞るようになった要因としては、③が大きいように思う。足元の就職活動は売り手市場と言われているが、正社員として雇用されても、何年も続けて勤めないと返済は大変に違いない。また、入社3年程度で退職したり、非正規社員としての働いた場合は、生活に余裕がなくなり延滞に陥ったとしても不思議ではない。

 延滞が長引けば、結婚等の人生設計に差し障りが出てくる可能性がある上、返済するために無理をして銀行等の金融機関から借金をするならば、問題の先送りになるばかりか、多重債務者に転落する危険性もある。だから早く返済するに越したことはない。

 もし私が今の時代に学生に戻ったとして、奨学金を借りたならばどうしてみたいかを、参考までに書いておきたい。昔の言葉で言えば“苦学生”という範疇になるのかもしれないが、まずはそれを耐え忍ぶ覚悟を決める。そして、社会人になってからお金を稼いで返済を始める従来のパターンだと、その後の生活への影響が大きくなりそうなので、学生のうちから収入を得る努力をする。具体的には、ブラックバイトに気をつけつつ、毎月アルバイトをしてそれなりの貯金を積み上げておく。それを、就職後早いうちに返済に充てるのである。

 このやり方には、一つ大きなハードルがある。自由とはいえ、学生の時間にも限りがあるため、学業も、部・サークル活動も、アルバイトも、恋愛・友達付き合いも全て充実させて満足を得たいというのは、少し現実離れしているように感じる。ならば、何を取り何を捨てるか、戦略的な取捨選択が必要になる。私ならば、思い切って部・サークル活動は行なわない決断をしたい。その時間をアルバイトに充てて、収入を得ると同時に、他の学生より一足早く現実社会に足を踏み入れて、社会の仕組みを観察すると同時に、自分が社会をどう泳いでいくかを学ぶのである。

 「周りの学生と同じような生活や行動をしないと、孤立してしまいそうで恐い」「惨めでつらい」「格好悪い」という意識は、よく理解できる。気の合う仲間と群れがちな学生生活において、「自分一人になっても何とか生き抜いてみせる」と腹を括れる骨太の学生はなかなかいないことは承知している。しかし、視点を将来においてみてはどうだろう。部・サークル活動の経験は、人生における必須アイテムではないし、就活の切り札になるものでもない。そう考えれば、そこを人生の主張点にせずに時間を捻出し、将来お金で苦しまないよう布石を打っておこうという割り切りも可能になる。

 話が脱線しているように見えるかもしれないが、言いたかったのは、学生がアルバイトすることを礼讃することではない。恵まれた経済環境になく(奨学金のような金銭的援助が必要で)、かつ将来伸し掛かってくるかもしれない負担を減らしたいならば、学生のうちから取れる対策がないわけではない、ということである。学生のうちからしっかりお金を稼ぐ体験をして(貯金もして)、同時に社会経験も積んでおくというのは、先々決して無駄にはならないし、ありきたりのキャンパスライフを過ごした他の学生との差異化を図るポイントにもなると思うのである。

(2016年3月29日記)

2016年3月12日 (土)

眠れるコスト

今回の帰省で、私には“やるべきこと”があった。それは、大型ごみの処分である。母が言うには、今年5月から大型ごみを捨てるのにお金がかかるようになるとのこと。市のホームページによると、有料化の目的は「ごみの減量」と「負担の公平感の確保」(大型ごみを多く出す人と出さない人の公平性の確保)である。費用はごみ1つにつき数百円らしいが、この有料化の動きに母は敏感に反応した。

 私が帰った日の翌日が、たまたま大型ごみの回収日に当たっていた。今はまだ無料である。そこで、夕方遅くに家に着くと、早速母に何を捨てるかを聞いて、幾つかあった大型ごみの搬出を開始。最大の関門は二階にあったタンスであった。大きすぎて、長い時間は一人で持ち上げることができない。仕方なく、数十センチずつ小刻みに動かすことにした。一階へ降りる階段では、自分が下敷きにならないよう、注意深く下からタンスを支えつつ後ずさりして下ろしていった。このタンス運びの仕事は、今回の帰省の前半における山場になった。

 しばしばテレビで、家の中にある古くて珍しそうなものを「お宝ではないか」と鑑定してもらう番組やコーナーを見かけることがある。そこには、お金になる価値の高いものが隠れているのではないかという期待があるが、私がごみ処分の有料化で感じたのはこの逆のこと、即ち「家の中に思わぬコストが隠れている」ということであった。お宝どころか、手放せば小銭がどんどん取られていく厄介なものが潜んでいるかもしれない、ということである。

 これは、購買意欲の高い若年世代にもちょっとした示唆になるのではないだろうか。耐久消費財など大きなものを買うと、購入時のみならず、処分する時にも意外にお金がかかるということである。私の父母が様々な消費財を買った大量消費時代には“有料化”の流れを見通せてはいなかったわけだが、今はもう社会全般に広がりつつある自明な動きと言っていいだろう。やはり、ものを買う時には思慮深くあれ、である。

(2016年3月12日記)

2016年2月27日 (土)

分かりにくいサービス提供主体

 社名を伏せるとかえって説明が難しくなるため、今日は社名を挙げてストレートに書くことにする。先日、埼玉りそな銀行の支店に行きATMで出金すると、出てきた利用明細の余白に次のような情報が印字されていた。

《交換可能ポイント:○○○○、2016年3月末に失効するポイントは□□□□です。》

 文章を読む限り、私にとってプラスにはなっても、絶対にマイナスにはならないポイントのようである。迂闊にもそのポイントサービスを知らなかった私は、早速お客さんを誘導している案内係に声をかけて、パンフレットを入手した。家に帰って研究し一件落着、となるはずであった。ところが、である。

 パンフレットによると、インターネットで顧客専用ページに入れば、銀行取引で生じたポイントを大手流通チェーン発行のカードのポイントと交換できる、となっていた。幸いそのカードは、私が近くのスーパーで頻繁に使っているものである。そこで、パソコンを立ち上げ、専用ページからポイント交換を申し込もうとしたのだが、最初のパスワード発行手続きに失敗した。次のようなエラーメッセージが現れたのだった。

《入力された情報と一致するデータが見つかりません》

 「何かおかしい」。そう思った私は数日後、再び先の支店に足を運んで、ちゃんと説明を聞くことにした。今度は通帳もバンクカードも持参しての訪問であるから、全てが解決するはずである。

 店の中に入り総合案内の人に事情を説明すると、ポイント交換の申込用紙を渡され、暫くして番号札を取るように促された。そして申込用紙を書き終わった頃、自分の順番が呼び出された。ブースに案内されて、初めて会う担当者に通帳とバンクカードを提示。「これで手続きが完了するなあ」と思った矢先に、予想していなかったことを指摘された。

 
「これはりそな銀行の口座ですね。私ども埼玉りそな銀行とりそな銀行では、ポイントサービスが同じではないので、こちらでは扱えません」

 ここに至って私はようやく状況を把握した。今までりそな銀行の口座であっても、埼玉りそな銀行の支店で入出金や通帳記入ができていたため、ポイントサービスについても相互乗り入れが行なわれているとばかり思っていた。私は“りそな”という共通の言葉で早合点していたのである。帰宅後はすぐにりそな銀行のホームページにアクセスし、所定のポイント交換手続きを完了した。

 一般論だが、企業はよく「グループ経営」、「グループ一体経営」などと称して、顧客に対しグループの横の繋がりを強調することがある。りそな銀行と埼玉りそな銀行にも、そういう側面があったのではないかという気がした。そもそもは私の不勉強と不注意ではあるのだが、両銀行でサービスが別々の部分については混同しないような配慮が欲しかったと思う。埼玉りそな銀行で受け取った利用明細を素直に見れば、埼玉りそなでポイント交換が可能と読めるからである。

 利用明細に記載されたポイント残高と有効期限は、顧客にとっては有り難い情報提供に違いない。だから、できれば次のような一文を追加してもらった方が更に良いと思った次第である。

《なお、ポイントサービスはりそな銀行と埼玉りそな銀行とで異なりますのでご確認ください》

(2016年2月27日記)

2016年2月23日 (火)

限りなく金利ゼロ時代

 一週間程前、職場の休み時間にて。何人かの同僚(全員女性)とたまたま休憩室に居合わせた。一匹狼の私がこの日はなぜか、合流したのである。一人の女性が、同意を求めるように、銀行の預金金利が下がったのを嘆息気味に話し始めた。

「100万円預けても、利息は一年で10円しかつかないのよ」

 ここ数日、大手銀行が普通預金金利を過去最低水準の0.001%に引き下げたから、これはもう“超低金利時代”というよりは“限りなく金利ゼロ時代”と呼ぶに相応しい状況である。銀行にお金を預けるのと家でタンス預金にするのと、利息面では差がなきに等しい状況になった。

 
先の女性の発言に呼応し、別の女性が「ネット銀行ならもっと金利高いですよ」と続いた。そこからしばらくネット銀行の使い勝手についてやりとりが交わされたので、私は聞き耳を立てていた。すると急に、私にボールが飛んできたのだった。
「柏本さんって、元金融マンですよね。こういう時代には、どうやって資産を増やせばいいの?」

 私は以前の勤務先の業種を、一度だけ周囲に話したことがあった。その時は企業名を聞かれたのだが、業種を答えるにとどめた。個人情報にうるさい私がギリギリ許容できる情報開示であった。どうやらそれが広まったようなのだが、ここで「(資産の増やし方なんて)分からない」と返すと興ざめになるので、自分なりの見方を話すことにした。

「今だったら株とか投信ですね。最近これだけマーケットが下がったんだから、五年、十年使う予定のないお金があれば、買うチャンスだと思いますよ。潰れない企業を選ばないといけませんけど」

 逆張りの個人投資家としては、至極当然のことを言ったつもりだったが、反応は薄かった。マーケットがズルズルと下がっている環境では、怖いことはできないということか、と思った。私は一つ言い忘れたことを思い出し、急いで付け足した。

「投資する時は、旦那さんに秘密にしちゃいけませんよ。後で損が発覚して別れ話に発展しても、私責任取れませんから」

 ようやく女性陣の中から笑い声が漏れた。トークが“受けた”このあたりで休憩時間は終わったが、その場の雰囲気から判断して、私の情報提供は誰の心にも響かなかったようである。何年も前から喧伝されてきた「貯蓄から投資へ」がかけ声どまりになっている理由が、私はよく分かった気がした。

(2016年2月23日記)

2016年2月18日 (木)

塾・予備校に依存せず受験で勝負する方法(前編)

 最近テレビで気になるものがある。学習塾・予備校のCMである。以前、アルプスの少女ハイジとクララが登場して受験産業の片棒を担いでいるのを初めて見た時はびっくりしたが、今は4月からの新たな生徒の取り込みを図る時期に来ているせいか、他の塾・予備校のCMも目につくようになった。

 この種のCMを見るたびに思うのが、「行けない子どもは可哀想だなあ」である。仮に子どもに高い学習意欲があっても、親に十分な資力がなければ通わせることはできない。なのに、テレビをつけるとCMが流れてくるわけである。数百円で買えるお菓子やジュースのCMとは、親の資力を要求する点が決定的に異なる。

 私が学生の頃は、このような状況ではなかった。大手の予備校でもCMは打っていなかったし、衛星を使った授業が行なわれるようになるまでは、大手の教室は大都市や地方の中心都市くらいにしかなかった。熾烈な大学受験競争はまだ“閉じた世界”だったのである。それが今や、CMが良くも悪くも大学受験を、誰もが気軽に参加できる全国区の全員参加型競争へと引き上げてしまった。

 その結果、資力の追いつかない親を持った子どもは、不利な競争条件に置かれることになる。いわゆる教育格差の問題である。これは大変由々しき事態だと思う。が、政治や行政が有効な改善策を講じてくれるのを待っている間に、子どもは受験期を迎えてしまう。だから、何とかしたい親と子どもは、環境の好転など待たずに、とにかく不利な状況を乗り越える対策を考える必要が出てくる。

 ここで私案、或いは持論になるのだが、塾・予備校に依存せず勝負する方法が全くないわけではない。それは、過去問の徹底研究である。まずは独力ででも学校のカリキュラムを早めに終えて、周囲より先に志望校の過去問研究に着手し、問題の難易度と近年の出題傾向、さらに合格ラインとされる凡その点数を把握するのである。この一見面倒に見えるアプローチが、実は合格への近道だと私は今も信じている。明日は、大変古い話で恐縮だが、私が浪人時代に実践したことを記してみたいと思う。

(2016年2月18日記)

2016年1月30日 (土)

コーヒーメーカーの世代交代

 とうとう買い替えた。といっても車の買い替えではなくコーヒーメーカーのこと。引退するのは、拙著『男の本格節約術』の中で《1991年に上野のディスカウント店で3980円で買ったSANYO製で、もう20年以上使っています》と書いたコーヒーメーカーである。現時点で実に24年ほど使い続けた計算になる。買い替えることにしたのは、注ぎ口にあたるプラスチック部分が劣化し脆くなり、欠け始めたためである。

 
新たに購入したのは、大手家電量販店にて4700円で販売されていた象印製(ポイントを差し引くと実質4230円)。コーヒー好きとはいえ、私は “違いがわかる男”ではないだが、新しいコーヒーメーカーで初めて淹れたコーヒーは、いつもより美味しく感じられた。複雑な機能は付いていない機種だから、これから20年以上動き続けるかもしれない。私の後半生の良き伴走者になってくれればと思う。

 このように私の気持ちは切り替えが早かったのだが、翌日妻が、「古いコーヒーメーカーが見当たらない」、と騒ぎはじめた。私が、燃えないゴミとして早く捨てようと、すでに玄関に移動させていたのだった。それを知った妻が、捨てる前にやることがあると注文をつけてきた。

「苦楽を共にした男の一品でしょ。思い出の品として写真撮っとかなきゃ」

 
これは、我が家でしばしばお笑いのボケ役を務める妻の、普段とは違った一面である。とても優しく、感傷的になることがあるのだ(人間以外に対しても!)。これは、私には到底真似できないところである。それにしてもその写真、いつか見返すことがあるのだろうか……。


(2016年1月30日記)