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2016年12月15日 (木)

話が流れた予感

 今日、「あの話は流れたな」と思った。というのも朝方、今いる職場に社員が一人遠くないうちに配属されると発表され、加えて夕方には、派遣会社から電話があり、「来年1月の出勤可能日を教えてほしい」と聞かれたためである。後者は、1月も今まで通り派遣社員として働くことを前提としたものである。

 「そういうことだな」と私は妙に納得した。責任者の方に唐突に年齢を質問されて答えてから、既に一週間が経過した。話がトントンと前に進むのなら、こんなに時間があくとは思えない。反応がないのも一つの反応である。

 責任者がいつまで回答を引き延ばすのかに、私の関心は移ってきた。昔、ある出版社に本の原稿を持ち込んだ際、私の拙文に興味を持ってくれた編集者が「社内で検討します」といってから、一カ月以上経ったことがあった。しびれを切らした私の方から電話したところ、その編集者は「あれはダメでした」と言った後、上司の出した「出版できない」という結論を私に連絡するのを失念していたと明かした。出版がボツになり、私への関心もゼロになり、返事をする義務も義理も感じなくなってしまった、ということだろう。次のステップに進めない場合、人間は恐ろしく雑に扱われるものである。

 今回もこれと同じような経過を辿る可能性が高いのではないか、と私は見ている。もう責任者は、私のことを気にかけていないのだろう。きちんと結果をフィードバックしなくても、本人は何も困らないのだ。それは人としてどうか、とは思うが、話が前に進まなくなった時は、こういう終わり方が多いのだろう、という気がする。

(2016年12月15日記)

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