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2016年11月

2016年11月30日 (水)

ある質問

 局面はすぐに動いた。就業時間が終わった後、責任者の方がなぜかあまり人目をはばからずに私に声をかけてきた。紙を手に持っているのが見える。私が昨日手渡した封筒に入れてあったもののようである。

 「例の件ですが……」と責任者は切り出した。「(紙に書いてあった)ご要望や質問には、基本的にこたえられると思います」。今までよりも少なくとも条件面で悪くなることはない、と言いたい様子であった。ホッとしたのもつかの間、逆に質問が一つ飛んできた。

「ところで、柏本さん、お幾つですか?」

 想定外であった。どうやら年齢は、社内推薦で派遣社員を契約社員成りさせる際、予め確認しておかねばならない点であるらしい。嘘をつくわけにもいかないから素直に答えたところ、責任者の顔が少し曇ったように感じられた。そしてこう言われた。

「(年齢については社内で)確認をさせてください」

 私の方にも、実は一つ聞いておきたいことがあった。派遣契約の期間が残っているのに、前倒しで1月から私を契約社員にしたいという理由を知っておきたかった。それでストレートに聞いてみた。責任者は踏み込んで答えてくれたのだが、それは思いもよらぬものだった。

 ここで今それを明かすことはできないが、晴れて契約社員になったとしも、業務面は楽観できない事態になりそうなことが想像できた。ここに至って私は、契約社員でも派遣社員のままでも、どちらでも構わないというフラットな気持ちになった。どちらになるかを分けるのは、私の年齢についての判断である。この判断は私の手を離れてしまっているから、あとはお任せという境地になった。

(2016年11月30日記)

2016年11月29日 (火)

ある打診

 今日仕事が終わった後、私はわざとぐずぐずし、同僚の派遣社員が全員ロッカールームを出てエレベーターへ向かうのを見届けた。そして、責任者の社員に入退室のカードを返却するタイミングで、小声で話しかけた。

「あのぅ、例の件ですが、受けさせていただこうと考えています」

 その瞬間、責任者は普段殆ど見せないような明るい笑みを浮かべた。そして、「ここでの立ち話はなんですから」といった感じで、別の場所へと私を促した。ちょっと込み入った話になるという判断に違いなかった。

 私の方も、この日に備えて用意してあるものがあった。契約社員としての雇用契約を結ぶに先立ち、確認しておきたいことを紙に纏め、封筒に入れて持参してあったのである。それを手渡すと、責任者は意外なことを口にした。

「今の派遣のお仕事は2月上旬までになっていますけど、1月から契約社員というのはどうですか?」

 来年1月はまだ、同僚の派遣社員と一緒に仕事をしている時期である。その時期にあえて、契約社員に切り替えるというのである。私は、他の契約社員の目が気になる旨を伝えたが、それはちょっと仕方がないという返事であった。

 派遣の期間中における契約社員への切り替えについて、その責任者は「派遣会社へはこちらから連絡します。重なる期間については買い取りますので」と説明を加えた。“買い取る”とはどういう仕組みなのだろう。派遣元と派遣先の間でのやりとりだから、私は直接関係ないが、両者間の契約でこうした場合における決め事があるのだろう、と推測するしかなかった。

 殺し文句かどうか分からないが、責任者は「今回のことは、柏本さんを評価している結果ですので」とはっきり口にした。私は今までの社会人人生で、上司などに「君のことを評価している」と何度言われ、何度その言葉に処遇面で裏切られたことだろう、と振り返った。「人の褒め言葉を額面通り受け取るのは危険である」とは、私が今までの仕事で身に付けた心得の一つである。

 今回の件、少し心が浮かれながらも、そういう自分に冷却水を浴びせるもう一人の自分がいる感じがする。

(2016年11月29日記)

2016年11月28日 (月)

妻のボケ

 勝ち続ける人は幸せだが辛そうだ、と時に思うことがある。いつだったか、フィギュアスケートの羽生結弦選手がある大会で優勝した後のTVインタビューで、「次は4回転ジャンプに挑戦したいと思います」と高らかに宣言されていた。有言実行は理想だが、失敗した時の反動は大きく、誰でもできることではない。こんなテレビを見て、つい思ったことをコメントしたら、傍にいた妻が食いついてきた。

私:「人気者は大変だなあ」

妻:「いやー、それほどでも」

私:「羽生選手のことや!」

 
以上。僅か3行のやりとりから、夫婦の会話の要諦(?)を汲み取って頂ければ幸いです。

(2016年11月28日記)

2016年11月27日 (日)

久しぶりの歯医者

 中野には仕事の他に、もう一つ用事があった。正確には、仕事の予定が入ったので空き時間に予約を入れたのだが、以前かかりつけだった歯医者に診てもらうことにしたのだ。中野に住んでいた頃は、半年から一年に一回程度、歯石を取ってもらうなどしていた、腕のいい先生である。

 何度も通っていたとはいえ、久しぶりに顔を出しても世間話をすることはなかった。先生はそういう柄ではないし、私も取って付けたような会話はしたくない。「すっかりご無沙汰しております」と言って、すっと診察台に身体を乗せた。あとは、先生の腕に任せるだけである。

 比較的まめに歯磨きはしていると思っていたが、1時間ばかり歯を診てもらって指摘を受けた。上の歯磨きが甘かったらしく、「右上の歯4番と5番の間、左上の5番と6番の間に初期の虫歯があります。経過観察しましょう」とのことだった。小さなの虫歯とはいえ、処置をせずに経過観察するというのは初耳だったが、肝心の4番、5番、6番の位置が分からない。家でネットで調べようと、数字だけ頭に叩き込んで帰ることにした。

 習慣の良し悪しが人生の多くを決定づけるのだ、と分かっていながら、歯磨きが甘くなっていたことを認識させられた。確かに、日頃上の歯を磨くのを面倒に感じて、つい手を抜いていたのだ。健康寿命の大切さが声高に言われるようになった昨今、歯の状態も無視はできない。たかが歯磨き、されど歯磨き、習慣を改善しようと思う。

(2016年11月27日記)

2016年11月26日 (土)

東京・中野の街に思う

 ほぼ一年ぶりに中野の街に降り立った。仕事があったからである。昔数年間住んでいた街で愛着があるが、引っ越ししてから後、大学のキャンパスが出来たり、大企業がオフィスを構えたりで、さらに賑やかになった気がした。駅の北口を出て真っ直ぐ進むと『サンモール商店街』に入るが、懐かしさを求めてあちこち目をやって、お店に入れ替わりに気付くと、賑わいのなかに哀愁を感じたのだった。

 
一日を過ごした中野を離れる時は、妙なことを思った。若者が増えて活気溢れる街となり、それはいいことだろうが、頭に浮かんできたのは、ここが勉学に適した街なのだろうか、という疑問である。中野はあまりに都会で、楽しいこと、美味しいもの……と何でも揃っている。ここで学んで社会に出た後、これほど心地よい環境で仕事に従事できる可能性は相当低いのでは、と思ったのである。

 かなり古い考えかもしれないが、若いうちは苦労が多かったり、貧しかったりした方が、後々の人生を楽しめる余地が多いのではないだろうか。恵まれた環境で学生時代を送り、就職してから見知らぬ土地や発展途上国に赴任させられたとして、その境遇を前向きに受け止められるのだろうか、と思う。

 
以上、中野の街を懐かしみながら感じた、壮年世代のお節介な心配事であった。

(2016年11月26日記)

2016年11月25日 (金)

残業のさじ加減

 派遣社員として仕事をしていて、その日の午後急に、「残業に協力してほしい」と言われたらどうするか。今日はそんな話である。

 私の職場である日、夕方四時前にそんな話が持ち上がった。最長で2時間の残業してほしいという突然の協力依頼だったので、同僚の人たちはどうするのだろうと思っていると、面白い結果が出た。どうしても定時で帰らないといけない人が一人いた他は、全員が“1時間の残業”を申告した。示し合わせたわけではないのに、である。

 皆、急な話で戸惑ったに違いない。私も体調が今一つで、最初は断ろうと思った。が、そのうちに「少しだけ協力しよう」という気になった。“満額回答”(2時間の残業)はできないが、“ゼロ回答”(残業しない)というのも味が悪いので、ほんの少しお付き合いすることにした、というわけである。

 同じ職場で仕事をしていると、阿吽の呼吸というか、働く者同士、落としどころが似通ってくるのかもしれない。おそらく皆、同僚の“1時間の残業”を頭の中で予想したのだ。今後も同じような要請があれば、今回のことが強固な先例となって、当たり前のようにやはり1時間の横並び回答になるに違いない。私は「もっと長く残業してもらうには、依頼する側の方でひと工夫要るようになったな」と思いながら、静かに職場を後にした。

(2016年11月25日記)

2016年11月24日 (木)

使えない緊急連絡先

 一日限りといったごく短期の仕事では、大抵事前に“緊急連絡先”が知らされている。何かあった時のためのものだが、先日、電車の遅延により、仕事の集合時間に間に合わないことがあった。私は遅刻になるのを確信した時点で(集合時間の30分以上前)、この“緊急連絡先”に電話をした。出てきた人は、声の調子が面倒くさそうな感じに聞こえたが、こちらにとっては大事な連絡である。「電車遅延のため遅れる旨、仕事の現場の責任者に伝えておいて下さい」と言って電話を切った。

 ところがである。15分ほど遅れて現場に着いたが、貼り出されたスタッフの出欠表を見ると、私の欄には「遅刻」と書かれていて(それは仕方がなかった)、出欠確認をする担当者に、電車遅延及び電話を事前に入れておいたことを伝えたが、「?」という反応だった。私のことが現場に伝わっていないのか、それとも現場の責任者がこの担当者に伝え忘れたのか、いずれにしても後味が悪かった。

 似たようなシチュエーションを他の仕事でも見たことがある。やはり遅れて現場に来た人が「事前に連絡を入れたんですけど」と言っているのに、出欠確認する人が「聞いてません」風なそっけいない対応をしていたのだ。何が遅刻の理由か分からないが、これは少し気の毒だと思った。

 無断の遅刻と事前連絡ありの遅刻とでは、大違いである。そういうところも勤務態度の良し悪しとして記録されるのなら、雇う側もきちんとした漏れのない対応を取るべきだと思う。ただ、先の例で私はどうしたかというと、「事前に遅刻する連絡を入れましたよ!伝わっていないのなら、何が原因かはっきりさせて下さい」といったクレームはつけなかった。なぜかといえば、そういうクレーム自体が記録されるリスクを取りたくなかったからである。やれやれ。

(2016年11月24日記)

2016年11月23日 (水)

七十歳という年齢

妻と一緒に長い間見続けてきたテレビ番組がある。『チューボーですよ!』(TBS系)がそれで、司会の巨匠・堺正章さんとサポート役の女性の軽妙なやりとりを楽しんできた(今年は男性も一人加わって、賑やかになっていた)。

 長寿番組の一つに数えられるこの『チューボーですよ!』が終了することになったと報じられ、驚くと同時に残念に思った。ネット情報によると、堺正章さんの体調が終了決定の背景にあるという。御年七十歳。1994年にスタートして22年間続いた番組で、そろそろ年齢的に続けるのがしんどくなってきたのは仕方のないことだと思う。

 一方、そうかと思えば、米国の次期大統領ドナルド・トランプ氏のような人物もいる。未知の政治の世界へ飛び込み、リーダーとして世界ナンバーワンの大国を率いていく訳だが、トランプ氏も御年七十歳。昔の日本ならば、隠居してのんびり余生を楽しむ年齢だが、今後公務で埋め尽くされた恐ろしく多忙な日々を送ることになるに違いない。こういうパワーとスタミナ溢れる七十歳もいるのだ。

 全体的に見ればきっと、堺正章さんのようなペースダウンが多数派で、トランプ氏は少数派だが、両者の違いはどこからくるのだろうかと思う。今の私には七十歳になった自分を想像することができない。そこそこ健康で普通に日常生活を送っているかもしれないが、何かに意欲を持ってバリバリ取り組んでいるイメージは持っていない。それどころか、五十代、六十代で永眠しているかも……とも思う。

 まあ、よくよく考えてみると、人と比較しても仕方がない。比較対象がトランプ氏のような超人であればなおさらである。

(2016年11月23日記)

2016年11月22日 (火)

富の配分の問題

 少し前のことになるが、10月23日に放映されたNHKスペシャル『シリーズ マネー・ワールド  資本主義の未来 第3集 巨大格差 その果てに』は大変興味深かった。格差社会の先進国、米国での話である。ある企業の経営者が実行した先駆的な取り組みのようだったが、その経営者が自らの報酬を大幅に削減し、それを原資に全社員の最低賃金(年収)を7万ドルに引き上げた事例が紹介されていた。テレビ映像に映った社員たちは、経営者の発表に拍手喝采。「これで働くモチベーションがアップする」と明言する社員も見られた。

 普通の企業で、これほどの賃上げは殆ど可能性ゼロだろう。日本で大企業の労使が妥協点を探って実現するベアなんて、今の時代微々たるものである。先の経営者は、業績が好調ならば高額報酬が実現するのが当然とされる米国では、異端視されたり、経営者仲間からは目障りな存在と見られるに違いない。ごく一部の企業における報酬引き下げの動きが社会の空気となって強まってはたまらない、と感じると思われるからだ。

 米国も、そして日本も労働力を安く使って企業の競争力を高めるのは当たり前になっているが、富の配分のあり方としてはどうなのだろうか、と思ってしまう。資本主義社会が定着し、成熟し、行き着いた結果、現在の配分の状況が導かれているとすれば、その歪みに暗澹たる気分になる。

 私は“正解”を持ち合わせているわけではない。先の企業の取り組みにしたって、急な収入増を大歓迎した社員たちもじきに慣れてしまい、「もう増えないのか」と不満をかこつようになるかもしれない。人間の欲望には際限がないからだ。だから、先の企業の実践したことが理想形か問われれば、「分からない」と言わざるをえない。

 
一体この問題、どうすればいいのだろう。かのトマ・ピケティ氏は累進税率のグローバル資本課税というアイデアを出して世界に問うた。が、世界の主要国が自国中心主義を強めている状況に鑑みれば、税のあり方も例外ではなく、世界各国が協調して格差を縮小させる取り組みを強化するというのは、絵空事に思えてならない。

(2016年11月22
日記)

2016年11月21日 (月)

男子がニキビに悩むわけ

 職場の同僚の女性から、高校生になる息子の話を聞かされた。なんでも、ニキビに悩んでいるという。息子はあれやこれや薬を塗ったりしているといい、「男の子なのにどうしてそんなにニキビを気にするのか分からない」と少々あきれ気味に言った。

 私は若い頃もニキビが出なかったから、具体的に治す方法をアドバイスできなかったが、彼の気持ちは分かる気がした。そこでこう反応した。

それはきっと、女の子にモテたいからですよ」

 この言葉は女性には意外だったらしい。彼女は「そうですかねえ」と言いながら、「その言葉、息子に伝えます」と締めくくった。私の見立ては当たっていると思う。というのも、その子は共学の学校に通っていると言っていたからだ。若い女性ほどではないにせよ、男子も人並み以上に異性に「モテたい」はずで、そういう気持ちが高校生ともなればあっておかしくない。これは昔(昭和)も今(平成)も変わっていないと思う。

(2016年11月21日記)

2016年11月20日 (日)

男の年齢

 寒い冬の出勤は気が滅入る。そこで少しでも気分をよくするために、このところ音楽を聴きながら会社に行くことが多い。ある日の朝のこと。職場のドアの入り口で、社員が入室カードを持ってきてくれるのを待っていると、同僚の女性(おそらく私より年上)が出社してきた。お互いに「おはようございます」と型どおりの挨拶を済ませたところ、私がイヤホンを耳から外したのを見て、こんなことを聞いてきた。

「何の音楽を聴いてるんですか?」

 私は一瞬戸惑った。具体的にミュージシャン名を答えても相手が知らない可能性が高いと思った上、この質問にはある狙いが隠されているように感じられたからだ。それはずばり、私の年齢への探りである。どんな音楽を聴いているかで、その人の年齢をある程度推測できるように思われた。私はそこを曖昧にすべく、「80年代、90年代の洋楽ですよ」と幅を持たせた返事をした。

 周囲が自分の年齢を知りたがっていると思うなんて、自意識過剰だと思われた向きがあるかもしれない。しかし、女性が圧倒的に多い職場に身を置く立場からすれば、同僚の男性の年齢は、一つの関心事、おしゃべりのネタになっていると私は感じている。女性が抱く「あの人(男性)は一体どういう人?」という疑問の入り口に、“年齢”が存在するのである。

 断続的に2年以上通っている今の職場で、私は誰にも年齢を明かしたことがない。口にしても何のメリットもない歳になったのだから、あえて言う必要性を感じないし、独身じゃないから女性陣の年齢にも特段興味はない。「お互いに歳を知る必要はないよね(もうそういう歳だよね)」というところで、ひとり心の中でバランスをとっているつもりである。

(2016年11月20日記)

2016年11月19日 (土)

うちのバカ息子

 職場での昼休み、私はよく昼寝をする。といっても、ベッドがあるわけではないから、持参したお弁当を食べた後、自席で突っ伏して寝るだけである(それでも、20分でもウトウトできると身体が楽になる)。

 もっとも、人の声に邪魔されて、眠りに入れないことも稀ではない。先日、まさにそういう日があった。目を閉じて寝ようとしていたところ、背後から女性の会話が聞こえてきた。話題はというと、子どもの教育及び学校についてである。行き交う会話はだいたい小声だったため、完全な文章が頭に入ることはなかったが、一つだけ、一人の女性が語気を強めて口にした発言が正確に耳に届いた。

「うちのバカ息子、全然勉強しないんだよ」

 酷いことを言うもんだなあ、と思った。職場の人間関係はママ友の付き合いとは切り離されているから、自由にものを言いやすい部分はあろうが、これでは子どもが可哀そうである。もしそんな発言を子どもが知ったら、親に激しく反発し軽蔑するに違いない。

 思うに、世の親は子どもの自主的な勉強に期待しすぎではないだろうか。私に言わせれば、子どもが満足に勉強しないのは、(1)親にそもそも知的好奇心が欠けている、(2)親に勉強のノウハウがない(だからやり方を教えられない)、(3)勉強することのメリットやリターンを親が伝えきれていない、(4)子どもが生来勉強の才に恵まれていない、といった要因が複合的に作用した結果であろう。親にもかなり原因があると思うのである。

 その日家に帰った私は、以上の分析は横に置いておいて、「うちのバカ息子、全然勉強しないんだよ」というくだりを中心に妻に報告した。すると妻は、これをただ面白そうに聞き流すことはしなかった。こう反応したのである。

「その人のところへ行って、「お宅のバカ息子にも何かいいところがあるんじゃない?」って言ってあげればよかったのに」

 「言えるかい!」と私は返した。親が自分の子どもを“バカ息子”と呼んでも、他人から“バカ息子”と言われれば、穏やかではいられないに違いない。私は妻の毒舌によって、ハッと気づかされた。“バカ息子”は一種の謙譲表現だったのだ。先の母親は、自分の息子を貶めることで、子どもを持つ周りにいた女性たちを持ち上げて気持ちよくしたのである。

 ここで私は気になり始めた。我が細君は外で「うちのバカ夫が……」と言い放ったリしていないだろうか。私は妻の愛情を信じているが、とにかく毒舌……ゆえに真相は分からないままである(知らない方が幸せか)。

(2016年11月19日記)

2016年11月18日 (金)

お菓子配りおじさん

 毎年この時期になるとやっているスポットの仕事がある(“やっている”と言っても、求人に応募して採用されての仕事だから他力本願ではあるが)。今年はその仕事の現場で、自分の価値観に全く合わない光景を目の当たりにした。

 
休憩時間に飛び回る、もの凄い“お菓子配りおじさん”がいたのである。やたらとお菓子を配って歩くことに私は共感を覚えないが(以前、類似の話をブログで書いた気がする)、この御仁は徹底していた。大きな菓子袋を手に持ち、次から次へと“数日限りの同僚達”に配って歩いたのだ。相当な気配りの人と思われたいのか、人目を惹きたい自意識過剰な人なのか……と勘繰らずにはいられなかった。

 午後になり、私がトイレから戻ると、自分の机の上にチョコレート菓子が二つ置いてあった。捨てるわけにも置きっぱなしにするわけにもいかないと思い、そっと鞄の中にしまった。するとその時、どこからともなく例の御仁が姿を現し、別のお菓子を握った手を私に伸ばしてきたのだ。私は、チョコレート菓子もこの人からのものだ、と直感した。それを伝えんがために、登場したのだと思った。

 
私はこの男性と、ペアを組むなどして一緒に仕事をしたことがないし、名前も知らない。そういう人とのお菓子のやりとりって何だろう、と思ってしまう。人間関係がある程度出来上がっている間柄なら理解できるが……このような“お菓子配りおじさん”が仕事の現場に何人もいて同時に飛び回ったとしたら、さぞかし滑稽に映るだろうと思う。

 私がもらったお菓子はというと……捨てるのはもったいなくて、家で食べてしまった。現金な奴だと思われるかもしれない。食べた手前、以上のような批判めいたことを書くのは心苦しいところがあるのだが、「価値観と胃袋は別物である」と自分本位な言い訳をしておこう。

(2016年11月18日記)

2016年11月17日 (木)

224日目の転機

 “転機到来!?”の続きを少々。よく考えてみると面白いものだと思う。契約社員として雇おうとしているその会社は、私のパーソナルデータを何も持っていないのだ。私の履歴書は派遣会社(派遣元)には提出済みだが、派遣先には渡っていない。私に関する明白な情報は、中年の男性であるということぐらい。責任者の方は年齢すら知らずに、「契約社員というのはどうですか?」と打診してきたのである。

 そうした情報がなくとも、相応の期間、仕事をしてきた実績の方がものを言うのだろう。私は手帳等を見て、この会社での自分の勤務歴を調べてみた。初出勤は二年前の夏に遡る。以来、断続的に求人に応じてその都度採用されてきた。私が今回“声”をかけられたのは、延べ224日目の勤務日のことであった。

 もし純粋に外部から契約社員を採用しようとした場合、人を替えて面接を繰り返しても数時間しかその人物を見ることはできないだろう。その際、履歴書に書かれた内容を照らし合わせても、能力・適性・人物評価には限界がある気がする。その点、224日もの間、同じ職場で実地に仕事をしてきた私については、等身大の評価が可能なはずである。

 今回の一件は、全く予想していなかった展開であった。初出勤の日のことは殆ど記憶が残っていない。朝一番にコンプライアンスの研修があって、それから確認テストを受けさせられたことだけ覚えている。恥ずかしながら、その程度の心持ちで会社に出向き、指示されるがまま仕事を始めたのだ。人生は案外、このような感じの“出会い”がターニングポイントになって進んでいくのかもしれない。

(2016年11月17日記)

2016年11月16日 (水)

妻の本領発揮(=毒舌)

 昨日の『転機到来!?』で書いた話を、私はその日の“トップニュース”として妻に報告した。私には一つ気になることがあったのである。それを最後に妻に質問したところ、全く想定外の言葉が返ってきた。

私:「もし契約社員になったら、同じ職場で働いている派遣スタッフの人達からどう思われるかなあ?」

妻:「「裏切者!死ね!」ってロッカーに書かれるんじゃない?」

私:「…………」

 家のなかでも妻は、かくのごとく“毒舌ナンバーワン”なのである。

(2016年11月16日記)

2016年11月15日 (火)

転機到来!?

 こういう経験は人生でもう二度とない気がする。11月某日、派遣社員として働きに行っている職場でのこと。その日はたまたま残業があり、一日の締めを行なっていた私は、他の派遣社員よりも少し長く職場に残っていた。それが終わって部屋を出て、ロッカールームでいつものように帰り支度をしていたところ、職場の責任者に呼び止められた。そして、こう話しかけられた。

「柏本さん。ちょっと伺いたいのですけれど、今まで派遣社員として来て頂いていますが、契約社員というのはどうですか?」

 こんな話が、ロッカールームで突然始まったのだから私は面食らった。もう同僚の派遣社員の姿は見えなかったので、周囲に気を遣う必要がない状況ではあった。責任者が言うには、これまで業務の繁忙期に合わせてスタッフの募集をかける度に、私が応募してきているので、それならいっそ、今のチームで雇用契約が数カ月(自動更新)の契約社員として働いてはどうか、ということであった。

 素直に有り難い話である。すぐに頭に浮かんだ質問-「他にも結構長い期間ここでお世話になっている派遣社員が何人もいますが、どうして自分なのでしょう?」-を私が口にする前に、責任者の方が先手を打って説明を加えてきた。

「以前柏本さんに他のチームの応援に行ってもらった時、そこでの仕事ぶりも評判が良かったですし」

 この時の仕事は、厳密に言えば、派遣契約の就業条件で明示されたものではなかったのだが、突発的に生じて依頼された他チームの業務も、私は嫌な顔ひとつせず柔軟に「やりますよ」と引き受けてきた経緯がある。例えばその一つに、次のような “力の要る軽作業”があった。

 他のチームが業務で使用する大量の消耗品(段ボール詰め)がトラックで届いた時のこと。応援を頼まれて、ビルに横付けされたトラックまで行き、その荷物を台車に乗せてビル内に運び入れるのを手伝った。運送会社の人がまず、その荷物の移動をトラック内でやっていたのだが、一人だけでは効率が悪かったので、私は自分からトラックの荷台に駆け上がって、乗せやすくするよう台車近くまで荷物を移動させた。そのチームの人たちがトラックの横でただ待っているなか、私は“別チームで働く派遣社員”という部外者ながら、力仕事を自ら買ってでたのである。

 こうした“突発業務”が過去に何回かあって、それに協力してきた私について、そのチームの人たちが「あの人いいね」と言っていると、責任者から聞かされたことが二度ほどあった。派遣契約で定められた本業以外での仕事ぶりへの評価が、ロッカールームの話の裏にはあったことが分かってきた。私が「他のチームでも貢献を期待できる人間」と見られたようだった。

 契約社員という思わぬ打診を受けた私は、即答をしなかった。「検討させて下さい」と答えたところ、「回答に特に期限はありません。もし断ったとしても今まで通り仕事を続けてもらえばいいです」とのことだった。直感的に「決して悪い話ではない」と感じ、即受けようとも思ったが、落ち着いてじっくり考えることにした。契約社員の権利や義務といった、労働法的な側面での知識も持ち合わせていなかったためである。その責任者に「契約書のひな型のようなものは頂けますか?」と聞いたところ、「渡せないが何でも質問があれば答えられます」という返事だった。

 今日のところはここまで。以上、変哲もない日常に突如舞い降りてきた“転機到来!?”の話である。

(2016年11月15日記)

2016年11月14日 (月)

毒舌ナンバーワン

 妻が働いている職場に、決して若くはない“新人”が配属されてきたらしい。妻は正社員から、その人の教育係を仰せつかったという。これは正社員に代わって業務の手順を具体的に説明する役回りなのだが、妻は人に何かを体系立てて教えるのが得意ではないため、かなり迷惑がっていた。

 これに先立ってその正社員は、“新人”に対して同僚となるスタッフ一人一人を紹介していった。その時妻は、こう紹介されたという。

「こちらは柏本さん。この職場で“毒舌ナンバーワン”です」

 妻は「「おいおい」って思ったわ!」と内心憤慨したことを私に報告した。しかし私はむしろ、その正社員の人を見る目に感動を覚えた。妻の毒舌は、家の中では当然普段から猛威を奮っているのだが、職場というアウエーの場において、妻の毒舌キャラを正社員は見抜いたのだから、大したものである。

 
果たして妻の毒舌はいかほどのものか。言葉で説明しても上手く伝わらないため、近日中に、家で私を震撼させた妻の“毒舌例”を披露したいと思う。乞うご期待。

(2016年11月14日記)

2016年11月13日 (日)

座りスマホも時に危険

 今やどこへ行っても、「歩きスマホは危険ですのでご遠慮ください」と注意される時代になった。ならば、座っていれば大丈夫かというと、そうでもなさそうである。そう感じた小さな体験をした。

 電車に乗っていた時のこと。若い女性が席に座ってスマホをいじっていた。足元には二つほど、百貨店か専門店のものと見られる大きな紙袋が置いてあった。どこにでもありそうな光景である。

 そのうち、電車の揺れによりこの紙袋が二つともバタンと通路側に倒れた。通路の真ん中を塞いだ格好である。幸い電車は全く混んでいなかったから、反応する人はいなかった。

 何分過ぎただろうか。電車は次の駅に停まり、新たな乗客が数名乗り込んできた。その人たちが、塞がれた通路を見て、立ち往生する段になって、女性はようやく気が付いた。「すみません」と言いながら、慌てて紙袋を起こして膝の方にたぐり寄せた。

 些細な例ではあったが、歩いていようが座っていようが、何かに熱中していれば、周りの様子が目に入らなくなり危ないということだ。スマホにはそういう人を熱中させる力があると理解して、慎重に生活すれば足り、もう「歩きスマホは危険ですので……」と取り立てて警鐘を鳴らす必要もない気がする。

 そういえば、私は紋切り型の標語とか表現、言い回しを好まない人間であった。“歩きスマホ”などというシャレた新語も、時が経てば“くわえタバコ”のような、私たちが背景や意味を深く考えない言葉へと堕するのではないかと、ひねくれた私は見ている。

(2016年11月13日記)

2016年11月12日 (土)

「右腕(うわん)」はまずい

 他人の揚げ足を取るような話で恐縮だが、今日夜7時のNHKニュースを見ていて耳を疑った。正確な文章はあいにく覚えていないのだが、アナウンサーが「ドナルド・トランプ氏の右腕として活躍した長女……」というくだりの“右腕”を“うわん”と読んだのだ。

 人間誰でもミスや失敗はするものである。しかし、アナウンサーという職業の性格に鑑みれば、これはちょっとお粗末な恥ずかしいミスと言わざるを得ない。国語力の無さを露呈してしまった格好である。

 こういう事態を防止するために、NHKはこの際、ニュース原稿の漢字すべてにふりがなを付してはどうかと思う。ベテランのアナウンサーは「屈辱的」と感じて受け入れがたいかもしれないが、ミスを限りなくゼロに減らすには、小学生に作文を読ませるようなやり方も仕方あるまい。

 
いや、もしNHKが漢字にふりがなを付すやり方をすでに採用していて、その結果今回のミスが生じたとすれば、ふりがなを付したスタッフが悪いということになる。もっとも、アナウンサーに正しく“みぎうで”と読む力があれば、間違ったふりがなに引きずられることもなかった、と言うこともできる。やはり根本的には、アナウンサーに国語力を高めてもらうしかなさそうである。

(2016年11月12日記)

2016年11月11日 (金)

将棋で考えた著名人のSNS活用方法

 ちょっと名前の知れた人やファンを抱えた人は、ブログやツイッターは細々とでもやっておいた方がいいのかもしれない  将棋ファンとして、三浦弘行九段の不正疑惑問題の成り行きを見守っている際、そのように思った。

 10月に持ち上がった将棋ソフト使用の不正疑惑は、当事者や関係者に取材を行った週刊誌(20日発売の週刊文春)でも大きく取り上げた。しかし、そこに書かれた内容やトーン、ニュアンスは、一部の棋士が違和感を覚えるものであったことが後に明らかになった。

 まず、週刊文春で《「(三浦九段の件は)限りなく“黒に近い灰色”だと思います」という内容のメールを日本将棋連盟の理事に送っていた》とされた羽生善治三冠は、奥さん(元女優・畠田理恵さん)のツイッターを使って、訂正する趣旨の次のような文章を投稿された。

《一部報道で誤解を招くような表現がありましたのでこの場をお借りして説明をさせて頂きます。まず、「灰色に近い」と発言したのは事実です》

《今回の件は白の証明も黒の証明も難しいと考えています》、

《疑わしきは罰せずが大原則と思っていますので誤解無きようにお願いを致します》

 渡辺明竜王(現二冠)も自身の思うところを明らかにした。10月12日付のブログで《大変な事態になってしまいましたが、引き続き将棋界へのご声援を宜しくお願いします。 詳細は各種報道に任せて、ここでは省略します》と静観する態度を示していたが、週刊文春の記事の内容が自身のイメージしていたものと違っていたようで、ブログで次のように軌道修正を図っている。

《一連のこと。

昨日は月例報告会で棋士に一連の経緯と自分の行動意図を説明しました。その後に囲み取材を受けましたが、報道された記事でこれでは発言が後退しすぎと言うか、最初から何もしなかったほうが良かったという体になってしまっているので、そこは訂正させてもらいます。連盟の公式HPでなく個人のブログに書くのは褒められた行為ではないかもしれませんが、ずっと誤解されるのは耐えられないので。(以下略)》(2016-11-01

《最後に。

昨日ので最後にしようと思いましたが、言い足りないことがあったので最後に付け加えます。

自分ではブレてないつもりでも、言葉があちこち飛び交ったのは自分の責任です。急所を自分のブログで書くのを怖れてメディア任せにしたのもいけなかった。この点、自分も身を挺しきれていなかったです。

週刊文春に掲載された記事内容は、個人的にはおおむね間違っていないように思いますが、矛盾の印象を与えそうな言葉や、本意では伝わらない恐れがある表現は、誤解を解くような努力をしなくてはいけなかったと反省しています。時間が経ってからでは状況を見て態度を変えているように思われるのも仕方がなしです。(以下略)》(2016-11-02

 ここまで書いて私は、「著名人は自分の意見を表明するツールとしてSNSを持っていた方がよい」ということを言いたいわけだが、同じ将棋界で、それがさらに感じられた“事件”が起こった。10月30日の公式戦(第2期叡王戦(ドワンゴ主催))で、トップ棋士の一人久保利明九段が対局開始時刻を勘違いして不戦敗となった。この対局はニコ生でネット中継されることになっていたから、対局観戦を楽しみにしていた久保ファンは待たされた挙句、がっかりしたに違いない。皮肉にもこの不戦敗はヤフーニュースのトップページにも掲載され、ネットの威力により多くの人の知るところとなった。

 私の知る限り、久保九段はブログやツイッターはされていないようだが、もし使っていれば直接、ファンの方々に釈明なり謝罪をできただろうに、と思う(ファンあっての将棋界である)。著名人がSNSを通じて過剰に自分を演出する姿は見ていて気持ちのいいものではないが、ここぞという時に自分の意見や考え、思いを表明するのは望ましいことであり、SNSはそのための有効なツールたりえるのではないか、と最近の将棋界の動きを見て考えた次第である。

(2016年11月11日記)

2016年11月10日 (木)

妻のストレス

 昨日、妻がぼやきながら仕事から帰ってきた。社員の方から急に、「忘れていました。皆さんに『ストレスチェック』を受けて頂きます」と言われ、早速業務時間中にやることになったという。以下は、やりとりの再現である。

社員:「スマホをお持ちの方は今ここで取り出してアンケートに回答して下さい。あ、柏本さんはガラガラケーでしたよね。別室にパソコンがありますので、そちらへどうぞ(笑)」

妻:「そういうこと言われるのがストレスなんですよ!」

 ひと言反撃しつつも、妻は別室へと向かった。そして、操作方法を社員に指南されて妻がパソコンで回答した結果は、凄いものだったらしい。妻は私に一気にまくし立てた。

妻:「あなた、聞いて。あたしの結果は‘A’で一番ストレスが低いランク。しかもその中で一番左だったのよ。これは‘ストレスが殆どない’ってことで、社員はびっくりしながら笑ってた。失礼しちゃうわー。あたしだってストレス感じてるんだから」

私:「‘ストレスあり’よりは良かったんじゃない? 普段から言いたいこと言ってるんだから、正しい結果じゃないかな」

妻:「困るわよ。今までことあるごとに社員に、「そういうこと言われるのがストレスなんですよ!」って言い返してきたんだから。ストレスない人って思われて、“ストレス”がNGワードになっちゃったじゃない」

 妻は仕事で疲労を感じていてもストレスをため込むには至っていない、というのが私の見立てである。というのも、結構言いたいことを社員に言って、駆け引きを楽しんでいる節が感じられるからである。「今までどんなことを言ってきたか?」ですか? 今年は例えばこんなやりとりをしておりました。ご参考まで。

『妻のユーモア(職場編)』(2016年1月3日(日))↓

http://minato-kashiwamoto.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-d1ee.html


『本来の妻』(7月23日(土))↓

http://minato-kashiwamoto.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/post-8cb1.html


『みたび妻登場』(8月23日(火))↓

http://minato-kashiwamoto.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-1e66.html


『四たび妻登場』(8月24日(水))↓

http://minato-kashiwamoto.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-36df.html


『妻の切り返し』(11月8日(火))↓

http://minato-kashiwamoto.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-f5fb.html


(2016年11月10日記)

2016年11月 9日 (水)

ドナルド・トランプ氏、米大統領選に勝利

 ドナルド・トランプ氏がアメリカ大統領選に勝利した。私はこのブログで過去2度ほどトランプ氏を取り上げたことがある。今回が3度目である。

『政治家ドナルド・トランプ氏に注目』(2015年8月31日(月))↓

http://minato-kashiwamoto.cocolog-nifty.com/blog/2015/08/post-4533.html

『勢いづくドナルド・トランプ氏』(2016年3月4日(金))↓

http://minato-kashiwamoto.cocolog-nifty.com/blog/2016/03/post-4240.html


 今回の選挙戦、下馬評ではヒラリー・クリントン氏有利と伝えられていたから、トランプ氏勝利のニュースは衝撃となって世界を駆け巡ったが、私は比較的冷静に受け止めた。これには理由があって、11月5日放送のNHKスペシャル『揺らぐアメリカはどこへ 混迷の大統領選挙』を観て、「トランプ氏が勝つ可能性は結構あるのでは?」とそれまでの見方が変わっていたためである。

 この番組で私は、アメリカで中間層以下に位置する白人の“トランプ氏待望論”を実感することになった。アメリカ人の雇用を脅かす移民政策を変更し、低所得に喘ぐ労働者の生活を向上させようとするトランプ氏の姿勢が、こうした層に沈みこんだ人達の心を掴んだことがよく分かった。今思い出しても不思議な感覚なのだが、「もし自分がアメリカ人だったら、トランプを支持するかもしれない」と映像を見て思ったほどだった。

 これは、“チェンジ”を実現できなかった民主党・オバマ大統領と、その路線を引き継ぐヒラリー・クリントン氏の下では、何も変わらないに違いないと見切ったアメリカ人が多数派を占めたことの裏返しでもある。私もそう思う。ヒラリー・クリントン政権では、豊かな者は豊かなまま、貧しい者は貧しいままという構図が維持されることになっただろう。ヒラリー・クリントン氏はどうにも現状維持的に映るのである。

 ドナルド・トランプ新大統領の誕生が確実になったことで株価が暴落(トランプ・ショック)するなど、この日一日世界は大きく振り回された。でも、トランプ氏に票を入れたアメリカ人の気持ちは分かる気がする。「今のままでは生活に希望を見いだせない。トランプ氏なら思い切ったことをやってくれる気がする。怖い部分もあるけれど、リスクを取って彼に賭けてみようではないか」-そんなところではないかと私は想像する。リスクを恐れないアメリカ人の国民性が垣間見えた大統領選であった。

(2016年11月9日記)

2016年11月 8日 (火)

妻の切り返し

 私はいつも、仕事から帰った妻が披露してくれる土産話を楽しみしている。妻曰く、今日は職場でスタッフ全員が、昔やったであろう仕事ができそうか責任者から探りが入ったという。

責任者:「柏本さん、この仕事やったことありますか?」

妻:「いえ、やったことないと思います」

責任者:「待って下さいね。見てみますから(と手元のノートに目をやる)。あ、以前やっていますねー」

妻:「過去のことは忘れました。あたし、未来のことしか考えてませんから」

責任者:「……」

 妻
はその場しのぎの返答が得意なのだ。「また余計なこと言っちゃった」と妻はちょっぴり後悔したみたいだが、後の祭りである。その時相手はどう思っただろうか……と意地悪な想像をするのが、私の密かな楽しみになっている(「減らず口のおばさん!」と思ったのだろうなあ)。

(2016年11月8日記)

2016年11月 7日 (月)

電通は変わるだろうか?

 電通で起きた新入社員の過労自殺がこのような展開を見せるとは思わなかった。報道によると、《厚生労働省は7日、労働基準法違反の疑いで、広告大手の電通の本社と3支社に一斉に強制捜査に入った。複数の部署で、労使で決めた時間外労働の上限を超えて従業員を働かせていた疑いが強まり、先月の立ち入り調査に続いて強制捜査に着手した》(朝日新聞デジタル)という。

 残業の実態がこれに似た企業は、世の中に数多くあると考えられる。ゆえに、電通は“氷山の一角”であり、今回の捜査は “見せしめ”的という見方が可能だが、電通は誰もが知る大企業ゆえ、産業界、企業社会に注意喚起し改善を促す意義は大きいと言っていいだろう。

 電通では、残業時間の過少申告が広く行われていたと見られている。元社員がテレビのインタビューに応え、「インターネットに勤務実績を入力していた」と証言していたが、これでは過少申告が行われるのも当たり前である。上司や人事部から、「〇月の残業は□時間以内に抑えるように」と指導されれば、業務量がいかに多かろうと、入力時に勤務時間を“調整”せざるをえない。自己申告による勤務実績の入力(という仕組み)が、残業時間の過少申告を生むインフラになっているのである。

 よく考えてみれば、勤務実態を概ね正確に反映した勤務時間の記録は難しいことではない。社内ネットワークにアクセスした時間とビル(オフィス)に入った時間のいずれか早い方を勤務開始時間として、人事部が捉えればよいのである。このようなシステムの構築は技術的に困難ではないはずだから、旧態依然として自己申告に頼っている企業は、「労働基準法に違反する残業を黙認している」と指摘されても反論できないと思われる。

 違法な残業が一部の部署だけで行われていたならば、そこの管理責任者(例えば部長)が一義的にペナルティを課されるべきだが、社内のあちこちで行われていたならば、トップ(社長)にも大きな責任があると言わざるを得ない。「私は法律を破ってまで仕事をしろとは指示してない」などと社長は言いそうだが、これは自己保身を図った詭弁である。社内で常態化した違法な残業を見て見ぬふりしていたとすれば、社長にも大きな責任があると私は考える。

 過去に、社長主導で社員の残業を極力なくそうと取り組み成果を上げた有名な企業がある。吉越浩一郎さんがその社長で、著書『デッドライン仕事術』(2007年発行、祥伝社)によると、《2006年まで社長を務めていたトリンプ・インターナショナル・ジャパンで、原則として残業を禁止していた》という。業種柄、女性社員が多い企業だったという背景もあろうが、トップが本気で陣頭指揮を取れば、残業すらよしとしない企業となりうるという好例である。

 営利目的の企業にとって、法令遵守は業績拡大という目標に劣後して位置付けられがちである。法律を守ったところで、一銭も儲からないからである。しかし、企業は利益を追求する以前に、法を守らなければ社会的存在として認められなくなる。今回の一件は、そういう当たり前のことを改めて世に知らしめたと思う。

 
「社が直面する課題を共に克服し、新しい電通を作り上げていこう」》(毎日新聞)と社員に改革を呼び掛けた電通の社長は、根深い問題を抱えた現状をどうやって変えていくのだろうか。オフィスを夜10時に一斉消灯したところで、<業務量と人員がアンバランス>という残業の裏にある根本的なところは手付かずのままである。残業時間を抑えるには、今の業務をこなすため人員を増やすか、思い切って業務量を減らすといったことをしないとダメであろう。前者はコストアップ要因、後者は減収要因だから、本気で改革すれば今の業績は維持できなくなると考えるのが自然である。そのようなことが果たしてできるのか……社長の胆力が試されているとも言える。

 5年後、10年後の深夜、電通の本社ビルを外から眺めれば、どうなったかが分かるだろう。灯りが煌々とついていれば、電通は変わらなかったということになる。“新しい電通”については、私はかなり懐疑的である。というのも、企業というのは根っこのところでそう簡単に変わるものではない、と思うからである。

(2016年11月7日記)

2016年11月 6日 (日)

職業を探る巧妙な質問

 今日あった単発の仕事の現場にて。今まで何度かペアになったことのある男性と、少し時間ができた時に雑談をしていた。私はプライベートなことは自分から話さないし、人のことを進んで聞こうともしない人間である。従って、相手が話好きの人ならば、会話の主導権は相手が握るようになることが多い。この男性は“話好き”のタイプであった。

 男性は私の“職業不詳”に以前から疑問を持っていたのかもしれない。この日初めて、私の平日の仕事について質問してきた。が、「お仕事は何を?」とは聞いてこなかった。もっと巧妙な次の質問を投げてきたのである。

「職場(の場所)はどちらですか?」

 見事だなあと思った。仕事が何かをストレートに聞くのではなく、まずは場所から聞いて、外堀を埋めようとしているのだ。この男性、数度ペアを組んだ経験で言えば、仕事が非常にできる人という印象であった。そういう人だから、巧い聞き方ができるのだなあと合点がいき感心した。

 もっとも、質問の仕方に工夫があったからといって、私が胸襟を開くわけではない。さらりと「特定の仕事は持っていません」と答え、フリーランサーらしいと理解してもらったところで、この話題は終了した。私がこの男性に職業を聞き返すことをしなかったため、乗り気でないと思われたためかもしれない。私は黙ることで、最後の最後に会話を終わらせる主導権を握ったのである。

(2016年11月6日記)

2016年11月 5日 (土)

将棋・第三者調査委員会はフェアか?

 将棋・三浦弘行九段の不正疑惑について。日本将棋連盟が三浦九段に出場停止の処分を下して以降も、三浦九段が反論文書を公にしたり、週刊誌が一連の経緯と舞台裏を報じたり、当事者の一人渡辺明竜王がブログで真意を明らかにしたりと、事態は沈静化していない模様である。

 外からは処分を一方的に下した格好に見える将棋連盟は、このままではまずいと判断したのだろう。第三者調査委員会を設置することをホームページで明らかにした。以下のように、10月27日付と11月4日付の二度掲載されている。

《過日発表の通り、当連盟常務会では1012日付で、三浦弘行九段を出場停止(20161012日~1231日)の処分と致しました。

本件につきまして1024日に理事会を開催し、第三者により構成する委員会を設け、調査することを決定しました。委員長には但木敬一氏(弁護士、元検事総長)が決まりました。出場停止処分の妥当性、三浦九段の対局中の行動について、調査を要請しました。》(20161027日)

《三浦弘行九段に対する出場停止処分の妥当性や、三浦九段の対局中の行動について調査する第三者調査委員会(但木敬一委員長=弁護士、元検事総長)は本日、初会合を開催しましたので、お知らせします。

 なお、初会合開催に先立ち、永井敏雄氏(弁護士、元大阪高等裁判所長官)、奈良道博氏(弁護士、元第一東京弁護士会会長)の2人が新たに委員に選任されましたので、あわせてご報告いたします。》(20161104日)

 以上を読んで私が感じたのは、第三者調査委員会はフェアたりうるのだろうか、ということである。委員会のメンバーは、将棋連盟が選任し調査を依頼したと考えられるが、当然ながら対価を支払っての調査のはずであり、将棋連盟寄りの結論になるバイアスは避けられないのではないだろうか。

 “第三者〇〇”で思い出すのは、政治資金の私的流用疑惑で辞任に追い込まれた舛添要一前都知事である。疑問視された数々の支出について、「厳しい第三者の専門家の公正な目で調査してもらう」と連呼。しかしながら、出てきた報告書のトーンはかなりマイルドだったと記憶している。これで果たして公正と言えるのかな、と当時感じたのを思い出した。

 私の予想だが、今般の第三者調査委員会の報告によって、年内の対局をなしとした出場停止処分の妥当性が否定されることはないだろうと思う。穿った見方をすれば、将棋連盟がこれまでに取った行動と意思決定(=処分)を追認せんがための第三者調査委員会設置と見られないこともない。

 
以上のように私は、“第三者〇〇”と聞いて、無条件にそのフェアネスを受け入れられない人間である。偏屈に感じられたかもしれない。しかし、鵜呑みにせずに懐疑的な視点を残しておくのが、実はバランスの取れた見方だと思うのだが、いかがだろうか。

(2016年11月5日記)

2016年11月 4日 (金)

個人情報じゃあないけれど

 ある日、職場でのこと。たまに話をする同じ派遣の男性(おそらく三十代)がいるのだが、業務終了後のロッカールームでこんな会話になった。

男性:「柏本さん、今月後半はお休みなんですか?」

私:「そうですけど、何か?」

男性:「旅行に行かれるんですよね? 派遣会社のHさんがそう言っていました」

私:「えっ? ちょっと用事があって、何日間か連続で仕事を入れなかったんですが、Hさんはそんなこと言ってたんですか?」

男性:「はい。「旅行」と言っていました。で私、他の派遣スタッフにも、「柏本さんは旅行に行くそうだよ」って言っちゃいました」

私:「ええっ? 旅行話、広まってるんですか!」

 私は今月の出勤日の希望を派遣会社に伝える際、「〇日から□日ははずせない用事があるため、出られません」と言ってあった。何の用事かは一言も口にしていないのである。言えない用事ではないが、言いたくはない用事ということで、ぼかした意図は伝わっているかと思っていたが、Hさんが勝手に“旅行”を捏造してそれを他人に明かしているとは思ってもみなかったのである。

 
男性から思わぬ話を聞かされて私は、「個人情報じゃあないけれど……」と思った。派遣会社が登録スタッフのこうした情報を了解なしに流すというは、個人情報保護法には触れないがNGだろう。Hさんに連絡して「旅行の予定なんてありませんよ」と苦言を呈しようかと頭をよぎったが、最終的にはやめることにした。電話をしたらしたで、「旅行じゃなくて何の用事なんですか?」と返されるかもしれない……そのやりとりがまた面倒に思えたからである。

(2016年11月4日記)

2016年11月 3日 (木)

密かな(?)決意

 私は健康オタクではないが、健康に関する書籍を読むのが好きである。目に入ってきた情報のなかで、最近私の心に深く刻まれたのは、「健康診断を受けても寿命は延びない」とする説。例えば、次のような記述が見られる。

《少々極端かもしれませんが、私は、定期健診は受けても受けなくてもいいと思っています。なぜなら、定期健診は、あくまで病気を発見するための手段であって、それを受けたからといって病気を防ぐことは決してできないからです。そもそも健康な身体をつくっていれば、ほとんどの病気は自然治癒力で治してしまうことができるのです。

201210月に、デンマークで公表されたレポートをご紹介しましょう。

「一般健康診断をしても病気になる率も、死亡率も、どちらも低下しない。心血管疾患やがんによるものをはじめ、すべての病気についても同様だった」

検査をすべて否定するわけではありませんが、定期健診に振り回されてはいけませんよ、ということです》

(『薬剤師の私が実践する 薬に頼らず健康に暮らす27の習慣』(2013年発行、宇多川久美子著、中経出版))

《養老孟司:(健康診断は)行きません。これはもうはっきりしています。健康診断を受けても受けていなくても、平均寿命は変わりないっていう調査結果はきちんと出ています》

(『老人の壁』(2016年発行、養老孟司・南伸坊著、毎日新聞出版))

 関連した内容で、現在の医療業界を痛烈に皮肉った酷い指摘もある。

《健康な人たちは、医療業界にとっては釣り堀の魚のようなものです。彼らは、早期発見・早期治療というお題目を餌にした、健診という釣り針を投げ入れ、えものがかかるのを待つわけで、面白いように魚が釣れる気分でしょう》

《近藤誠(医師):私は健康診断は不要と言っていますが、健康診断をなくせば日本の医療は崩壊しますよ。なぜなら、今の医療界は健康な人を病人に仕立て上げることで経済的に支えられているのですから》

(『医者とクスリに殺されない賢い患者学』(2015年発行、文藝春秋11月臨時増刊号))

 こうした知識を得て自分なりに長い間考えた結果、私は今後健康診断を受けないことにした。勿論、身体に尋常ならざる不調を感じた時は病院に行くが、異変がなければ何もしないということである。その代わり、毎日の運動(腹筋35回と背筋50回)を続けることで筋力を維持、今の体力を落とさないようにして予防に力を入れる、というのが私の主張点である。

 そういえば、ここ半年あまりに2回も、市役所から「健康診断を受けませんか?」というお誘いの電話がかかってきていた。市が実施するタイプのものは格安だが、一度決意を固めた私には無用のものとなった。将来、自分がどういう病気に罹って何歳で亡くなるかは分からないが、それは誰も見通すことができない。健康についても大切なのは、自分の意思とそれに基づく生き方なのだと私は考えている。

(2016年11月3日記)

2016年11月 2日 (水)

NHKとハロウィン

 10月の28日か29日だったと思うが、夜NHKのニュースを見ていて失望した。ハロウィンを目前に控え、街が盛り上がっている様子を報じていたのだが、それを紹介している女性アナウンサーが黒いマントか何かを羽織って“変身”していたのである。

 街の人がどう盛り上がろうと今は大して気にならないが、ニュースを読むのが仕事のアナウンサーまで着飾る必要はないだろう。視聴者の歓心を買いたいという意図が見えてしまい、またアナウンサー室あたりで「どの衣装にしようかしら」と同僚と盛り上がっていたさままで想像されて、私は不愉快に感じてしまった。

 このニュースでは後半に、「海の向こうもハロウィンで盛り上がっています」とアメリカの映像をご丁寧に流していた。“海の向こうも”の“も”が、これまた私は気に入らない。「ハロウィンはアメリカこそ本場、本家本元でしょうが!」と突っ込みたくなった。日本のハロウィンは、みんなでワイワイ盛り上がるのを好む軽佻浮薄な日本人が、ビジネスにもなるからと積極的に取り込んだだけの話である(東京ディズニーリゾートが火付け役という説も)。

 妻が言うには、今の職場でNHKの受信料を支払っていない人が結構いるらしい。私はNHKをそこそこ観ているから当然支払ってきたが、女性アナウンサーの姿を見てなんだか馬鹿らしく思えてきた。金額は微々たるものだけれど、きっとあの衣装代は契約者の受信料から出ているのでしょうね……。

(2016年11月2日記)

2016年11月 1日 (火)

小さな文字こそ重要

 今回の帰省では、新幹線に乗った。乗車がお昼時に差し掛かる時は、お弁当を食べるのが楽しみである。今回は、東京駅のお弁当売り場(「祭」というところ)で、家では作らない牛タンのお弁当を買った。母のことは気掛かりだが、乗って座席に座ってしまえば、ちょっと旅行気分になる。

 牛タン弁当はまずまず美味しかった(温かければもっと良かったけれど、贅沢は言えない)。ただ、食べた後で、お弁当の容器に貼られた紙のシールを見て、ゾッとした。原材料欄に、次のようなものがびっしりと記載されていたからである。

調味料(アミノ酸等)、酸味料、リン酸塩(Na)、保存料(ポリリジン、ソルビン酸K)、漂白剤(次亜硫酸Na)、酸化防止剤(VC)、酒精、増粘剤(キサンタン)、着色料(カラメル、赤106、黄4、青1、赤105)、VB1、香料、甘味料(サッカリンNa、ステビア)、ソルビット、ミョウバン》

 大半は食品添加物だと思うが、得体のしれないこれらのものがとても小さな文字で印刷されていた。私は、身体に悪そうなものを摂取してしまった、と思った。もしこれが大きな字で、かつ容器の表面に貼られていたならば、私は買わなかっただろうし、購入する人は激減するだろう。

 消費者金融の広告では、借りてからの一定期間、《金利0%》を大きく謳っているものがあるが、その後に支払う必要が生じる金利の数字(高いものは2桁)は、小さな文字で表記されていることが多い。お金を借りる人に見せたくないから、小さく目立たないようにしていると考えられる。

 このように、文字が小さくなっているのには理由がある。見せる側に何らかの意図がある。見る側の人(消費者)は、そういう小さな文字こそ重要である、と肝に銘じて生活するのが望ましいだろう。

(2016年11月1日記)

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