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2016年10月12日 (水)

『電通事件』の教訓はどこへ(その2)

 昨日取り上げた電通若手社員の過労死について、もう少し書いておきたい。ブログ執筆後に、ある大学教授が《月当たり残業時間が100時間を越えたくらいで過労死するのは情けない》とネット上で発言し、多くの批判を浴びたことをニュースで知った。この教授はその後謝罪コメントを投稿しているが、まずは元の発言とそのコメントを掲載してから話を進めたい。

《月当たり残業時間が100時間を越えたくらいで過労死するのは情けない。会社の業務をこなすというより、自分が請け負った仕事をプロとして完遂するという強い意識があれば、残業時間など関係ない。自分で起業した人は、それこそ寝袋を会社に持ち込んで、仕事に打ち込んだ時期があるはず。更にプロ意識があれば、上司を説得してでも良い成果を出せるように人的資源を獲得すべく最大の努力をすべき。それでも駄目なら、その会社が組織として機能していないので、転職を考えるべき。また、転職できるプロであるべき長期的に自分への投資を続けるべき。》

《私のコメントで皆様に不快な思いをさせてしまい申しわけございません。ここで、皆様にまとめて返信させて頂きます。

(1)言葉の選び方が乱暴で済みませんでした。

(2)とてもつらい長時間労働を乗り切らないと、会社が危なくなる自分の過去の経験のみで判断し、今の時代にその働き方が適合かの考慮が欠けていました。

以後、自分の専門領域を中心に、言葉を慎重に選び、様々な立場、考え方の方々がいることを念頭において、誠意あるコメントを今まで以上に心がけてまいります。》

 ここまで読んで私は、「この教授は単に火消しを図っただけではないか」と感じた。つまり、《言葉の選び方が乱暴だった》、《誠意あるコメントを今まで以上に心がけてまいります》というのは、主に表現方法についての反省であって、自分の主義主張が間違っていると非を認め考えを改めたわけではないと読めたからである。もしそうならば教授は、社会から批判をいくら浴びようが、正々堂々と受けて立てばいいではないかと私は思う。僅か一日、二日で翻意するような軽い内容を発言したわけではあるまい。

 亡くなった社員の残業時間は、月105時間に上ったと報道されている。労働法や医療関係の本に書かれていることだが、残業時間(時間外労働)が病気発症前1カ月間に月100時間を超える場合や、発症前26カ月間に月80時間を超える場合は、過重な業務負荷と病気(うつ病など)の関連性が強いと認められるという。この基準に照らせば月105時間の残業は、自殺が労災認定されて当然の、酷い労働実態だったと言えるだろう。

 私はこの長時間労働の他にもう一つ、看過してはならない点があったと思う。それはパワハラである。報道されているように、上司からの《「君の残業時間の20時間は会社にとって無駄」》《「目が充血したまま出勤するな」》という叱責や、亡くなったご本人がSNSに残した《男性上司から女子力がないと言われるの、笑いを取るためのいじりだとしても我慢の限界である》という書き込みを裏付ける事実が積み上げられれば、上司からパワハラがあったと見るのが妥当であろう。

 長時間労働だけでも十分酷なことだが、パワハラが加わるとさらに精神的に追い詰められ、病気を発症しやすくなると思う。上司-部下の関係は通常、指揮命令-服従という関係である。この人間関係が悪化していかんともし難くなると、部下は耐えられくなってやがて逃げ場を失う。私には今回の痛ましい事件は、長時間労働とパワハラの複合的な要因によって起きたものと思える(逆に言うと、上司がこの部下に親身になって接していれば、自殺には至らなかった可能性が十分あろう)。なぜ電通ほどのしっかりした大企業で、パワハラが防げなかったのかと疑問に思う(もし企業体質に起因していれば根深い問題である)。

 最後に、長時間労働についてもう一考。人は一体、何時間の労働まで耐えうるのだろうか。極端な例を挙げてみるが、カレーチェーン店『CoCo壱番屋』の創業者・宗次徳二さんはかつて、1日平均15時間半働いていたという。月に換算すれば残業は200時間をゆうに超える計算になる。

1996年は1日も休みをとらず、5637時間働いた。うるう年のため366日で割ると、1日平均15時間半働いていたことになる。日本の労働者の年間実労働時間の平均は1800時間程度だから、およそ3倍の仕事量だった》

(『日本一の変人経営者 CoCo壱番屋を全国チェーン店に育てた男の逆境力』(2009年発行、宗次徳二著、ダイヤモンド社))

 勿論、宗次徳二さんは従業員ではなく経営者の立場であったから、“残業”というのは正確ではない。計算上、実際に仕事をされた時間から法定労働時間(18時間)を引いたものが、それだけの時間にのぼったということである。ただ、人の3倍働いても宗次さんは亡くなったりはしなかった。自らの意思で経営者として働いた場合、こういう超長時間労働が可能な人もいなくはない(稀有な例だと思うが)。

 しかし、企業に雇われて、上司の指揮命令下で仕事に従事する社員はそういう存在ではない。仕事で受ける肉体的な疲労や精神的なストレスは、また違う性質のものなのだ。そして、ストレス耐性には個人差も歴然とある。雇う側、使用する側はそうしたことまで考慮に入れる必要があると思う。今日最後に言いたかったことは、“〇〇時間”という労働時間の数字だけで、働く人間の心身の状態を判断するのもやや短絡的だということである。

(2016年10月12日記)

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