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2016年9月24日 (土)

欲張り

 普段、予定していないテレビ番組を視聴することはあまりないが、先日、テレビの電源を入れた時にたまたま流れていた番組を珍しく見続けることになった。『結婚したら人生激変!○○の妻たち』(TBS系、9月19日放送)がそれである。

 番組の“主人公”は、タレント・キャスターのみのもんたさんと妻・靖子さん。意味深な感じで、「国民的キャスター みのもんたの妻は幸せだったのか?」という問いかけが行われていた。というのも、靖子さんは病気のため2012年に66歳という若さで亡くなっていたからである。

 テレビには、みのもんたさんが妻と生活を共にした敷地面積3,000坪の豪邸での取材の様子が映っていた。そして、広大な家の中にはスーツやシャツが綺麗かつ整然と並べられた部屋があった。靖子さんがスタイリストとして、夫・みのもんたさんの日々の衣装選びをしていたことが窺えるものであった。

 
このあたりから、私の心は素直さを失っていったような気がする。「これだけの豪邸に住み、テレビの晴れやかな仕事に没頭する夫を支えた人生が、幸せでないわけがないではないか」と思わずにはいられなかった。それで「みのもんたの妻は幸せだったのか?」は私の目には、なんとも不可思議な疑問と化した。66歳という短い命が、番組にこんな問いかけを設定させたのだろうか。

 「あなたに靖子さんが幸せかどうかなんて、分かるはずがない」と言われそうだが、それを言うなら私に限らないわけで、誰も他人の幸福度は知りえない。すると、「みのもんたの妻は幸せだったのか?」はそもそも意味を失ってしまうだろう。この番組は、他に何か伝えたいことがあるのではないか、と私は思い始めた。

 今、テレビで取材を受けているのはみのもんたさんである。まだ遺骨は家に置いたままになっていた。「もう一度でいいから、妻に会いたい…」という言葉が流れる。やはりスポットライトが当たるのは、みのもんたさんの靖子さんを想う気持ちだったのだと私は理解した。そうしたなか、私には一つ引っかかるところが出てきた。それは、「四十何年間の生活の中で朝から消灯まで一緒にいたのはたった一年間だけだった」という後悔めいた言葉を聞いた瞬間だった。

 もしこれが、「もっと二人きりで過ごす時間をとるべきだった」という意味なら、それはその気になればできたんじゃないか、と私は思う。こじんまりした家に住むなどしてお金を使わずに貯め、計画的に○○歳でリタイヤするという大橋巨泉さんのような働き方、生き方をすれば、かなりの年数、二人だけの時間を持つことができただろう。こう考えると、純粋に選択の問題である。

 いつだって熟考し決断できたのに、そういう選択をしなかったのは、二人の意思だったのだ。だから、今になってそれを「一緒にいたのはたった一年間だけだった」と振り返るのは、少々思慮が浅いか、あるいは一人になって感傷的になったか、あるいはテレビ用に作った偽善的態度のいずれかではないか、と私は意地悪な見方をしてしまった。

 さらに言えば、想像力を働かせれば分かることだが、みのもんたさんが早くリタイヤして靖子さんとの時間を多く作ったとして、それが靖子さんの幸福度を増やしたかどうかは不明である。靖子さんの幸せは、テレビで有名人となり活躍するみのもんたさんがいてこそだったからかもしれない。引退して隠居するようになった場合、夫への愛情は変質した可能性もなくはないだろう。

 七十歳を超えた今も、みのもんたさんはテレビに出続けている。キャスターが天職というご認識かどうか知らないが、外から見れば、テレビでの仕事にはまった人生と言っていいだろう。恐らく、今の仕事はお好きなのだ。だから、そのために奥さんと過ごす時間が減ってしまったのだとしても、仕方あるまい。何でもかんでも自分が望んだように手に入る、というのは欲張りというものだ、と素直でない私は思う。


(2016年9月24日記)

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