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2016年9月12日 (月)

仕事観の今昔

 『孤独の価値』(森博嗣著、幻冬舎)という本を読んだ。僕は一人でいることが苦にならないし、今のところ孤独を恐れてはいないから、なぜ孤独を論じたこの本を手に取ったかは自分でもよく分からない。ただ昔から、“孤独”を人がどう捉えているかには関心を持ってきた気がする。

 この本で強く印象に残った記述は、意外にも孤独とはあまり関係のないところだった。長くなるが、引用してみたい。

《このまえ、仕事に関する本を書く機会があった。書いた内容を要約すると、仕事にやり甲斐を見つけること、楽しい職場で働くことが、人生のあるべき姿だ、という作られた虚構がある。それをあまりに真に受けて、現実とのギャップに悩む人が増えている。つまり、仕事をしてみたら、苦しいばかりでちっとも楽しくない、やり甲斐のある仕事をもらえない、という悩みだ。その本では、一般の人からの仕事に関する相談が寄せられたが、その中には、「職場が明るくない」とか、「つまらない作業ばかりやらされる」といった悩みが多くあった。これなども、仕事を美化した宣伝のせいで誤解をしている人がいかに多いか、という証左ではないだろうか。

 僕はその本で、仕事は本来辛いものだ、辛いからその報酬として金が稼げるのではないか、というごく当たり前のことを書いたのだが、読者からは、「そう考えれば良かったのか、と目から鱗が落ちた」とか、「読んで気が楽になった。なんとか仕事を続けられそうに思えた」とか、そんな声が多く寄せられた》

(『孤独の価値』(2014年発行、森博嗣著、幻冬舎))

 そうなのかぁ、と私は思った。今の若い世代の多くは、仕事で輝くとか自己実現するとか、そんな夢みたいなことを思い描いているのか、と思わざるをえなかった。もちろん、若くしてイメージ通りの仕事をしている人も少しはいるだろうが、圧倒的多数は厳しい現実の前に悩んでいると想像する。

 私もそのうちの一人だったと言ってよい。それで、タイミングを見計らって会社勤めを辞め、組織を離れた生活へと移行した。今も仕事はしているが、職場は短期の仕事をするところだから、忠誠心など持っていない。さらに、誤解を恐れずに言えば、「頭を使わない仕事」、「気を使わない仕事」だからやっている。頭を使う仕事は、顧客との交渉や社内での高度なやりとりが発生する類である。今は、頭ではなく手先を使う仕事で済むから続けているのである。また、気を使わないというのは、仕事についての責任がないことからくる。責任は正社員がかぶるもの、という線引きが前提にある。以上を纏めると、私は現在の仕事にストレスは感じていない(疲労は感じるけれど)。

 私の処世術を若い人たちに勧めようとは思わない。そんなことをすれば、まとまったお金を稼ぐことは困難になろう。仕事で色々なことに悩み、我慢する対価として、相応の額の収入を安定的に得られる、というのが社会の現実の仕組みになっているからである。社内外の嫌な人間と上手く良好な関係を構築できる人が、出世の可能性が高まる(収入を増やせる)というのも、同じ土俵の上で語ることができる。

 
二十五年ほど前、就職活動をしていた頃を思い出す。所属していた大学運動部で、OBが銀座のしゃぶしゃぶ屋さんに大勢の4年生を招待してくれた。そのOBは大手証券会社の勤務だったから、しゃぶしゃぶのおごりは実質的にその証券会社の採用活動の一環である。その時の私たち4年生を覆っていた空気には重苦しいものがあった。「あの証券会社はノルマが厳しいらしい」と皆が警戒しつつ、タダのしゃぶしゃぶを食べに行ったのだ(余談:脱帽ものだが、実は参加した一人がその証券会社に就職した)。

 そう、当時私の周りでは、仕事は厳しいものだというのは、少なくとも頭では分かっていたのである。特に、業績拡大にいそしむ民間企業で課されるノルマへの恐れは大きかった。それが、時代は変わってしまったのだろうか。仕事はいきいきと活躍できる場であるという綺麗事、美化されたイメージが広まり、働く人たちの苦悩を深くしているような気がする。今の僕は仕事について、お金が稼げさえすれば、それでもう十分じゃないかと思っているが、いかがだろうか。

(2016年9月12日記)

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