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2016年9月26日 (月)

ゼロ葬(0葬)を受け入れる考え方

NHK『クローズアップ現代+』「あなたの遺骨はどこへ ~広がる“ゼロ葬”の衝撃~」を観た(9月21日放送)。 “ゼロ葬(0葬)”については、このブログでも今年1月19日(火)に『静かに逝くという選択』で取り上げたことがある。ゼロ葬は、家族が葬儀もせず、遺骨も引き取らない、そして墓も作らない新しい葬送のスタイルである。

 
番組では《“ゼロ葬”の衝撃》という表現をしていたが、私はゼロ葬が一つの風習としてこれから日本で定着していくと予想している。それには、ゼロ葬を肯定的に捉える考え方が必要になるだろうが、肯定派の私は次のようなイメージを持っている。

 まず、地球を列車に見立ててみる。地球に人が住んでいるというのは、人が列車に乗っているということである。地球が有限であるように、列車のスペース(座席数)には限りがある。そして人はいずれ死ぬ。死ぬからこそ、新しい世代の人が空いた座席に座れるのだ。死ぬということは、これから生きていく人たちに席を空けてあげることにほかならない。

 こう見ると、死ぬ時に、自分の座っていた席を綺麗にしてあげるのは尊いことではないか、という考え方が成り立ちうる。お墓を作ったりすれば、譲るはずの座席は新しい人には座りにくいものになるだろう。だから、何も席に残っていないすっきりした形にして、綺麗にして去るのである。これは「他人に迷惑をかけない」という日本人の行動規範との親和性も高い。

 私には時間軸は読めないが、未来の日本人が、「ゼロ葬の一体何が衝撃だったの?」と疑問に思う日が来るような気がする。その頃には、私はこの世にはおらず、ブログもなくなっている可能性が高いだろう。が、それでも全くかまわない。以上述べた、自分を“無”とし次の世代の“有”に繋いでいく美学が、ゼロ葬を肯定する価値観になっていくのではないかと私は考えている。

(2016年9月26日記)

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