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2016年8月 7日 (日)

『広がる“ブラック部活”』を観て(後編)

 私は地元の公立中学に入学してすぐ、テニス部に入部した。深い理由はなかったが、父がテニスをたしなんでいた影響が多少あったかもしれない。後は、身体を鍛えたかった。その程度のきっかけである。

 学校のテニスコートは2面しかなく、一方で1年生は大勢いたから、放課後は連日球拾いだった。コートに入って打つ練習ができるようになるまで、数か月かかった気がするが、よく覚えていない。私はこの部活をしんどく思うようになるのだが、その要因は全く別のところにあった。厳しい練習で1年生がどんどん辞めていき、男子は5、6人にまで減ってしまったのだが、私はこの中で友達が一人もできずに孤立していた。人と容易に打ち解けない生来の性質に加え、私以外は全員別の小学校から上がってきていたことも大きかった。彼らは最初から友達だったのである。私は練習合間の休憩時、一人ポツンと日陰に行って、凍らせた水筒片手に水分補給をしていたのを、夏の暑さとともに鮮明に記憶している。

 部活に行っても誰ともしゃべらないのだから、部活に前向きになれる要素がない。私の場合、別に“ブラック部活”の範疇ではないが、孤立した人間を、監督や先輩を含め誰一人として一度もケアしてくれなかったという意味では、冷たさが満ち満ちた環境だったと思う。

 先を急ごう。結局私は、夏休み明け暫くして退部した。監督には退部する旨を伝えに行った気がするが、やりとりを含めこの記憶はおぼろげである。ただ親には、「どうしても辞めたい」と涙を流して説得したように思う。親がどういう反応だったか、こちらも不思議と記憶にない(忘れたい記憶は、残らないように脳ができているのだろう)。

 私には、部活を辞めた決断に一片の後悔も抱いていない。あの時我慢して続けていれば人間不信に陥っただろうし、自尊心もズタズタにされただろうと思うから、あの決断をした自分を今でも褒めてあげたい気持ちである。

 私の経験では、辞めた後の方がよほど大切である。辞めたことで、負け犬根性を身につけてはいけない。漠然とそう感じ、辞めたことの代償を勉強に求めた。得られた時間的、精神的余裕を勉強に振り向け、それは高校受験で報われたのである。

 繰り返しになるが、部活を辞めることは決して敗北ではない。敗北や挫折と受け止めるかどうかは、本人次第である。辞めた後に、自分を立て直し、自分の力をどこに向けていくか、新しく進む道を納得感を持って日々の生活に落とし込んでいけるかどうかにかかっていると思う。部活の実態が“教育”とは呼べないものだと悟ったら、周囲の意見も聞きつつよくよく考えるべきであろう。

(2016年8月7日記)

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