« 45歳という転換期 | トップページ | 黒髪の壮年男子 »

2016年8月28日 (日)

もてはやされる学歴とは

 少し前のこと。電車に乗っていて、ある予備校の広告が目にとまった。そして考えさせられた。広告には次のような文章が記されていた。

《日本でもてはやされる学歴が、海外で通じるとは限りません。グローバル社会では、学校名よりも個人の資質。受験だけを目標にせず、視野を広くもって学び、世界で自己実現できる力を育みたい》

 一読して、《日本でもてはやされる学歴》って何だろう、という素朴な疑問が湧いた。私の国語の読解力が足りないせいか、特定の学校(大学)を指した学歴という意味なのか、一般的に学歴は日本でもてはやされているという意味なのか、判然としない。

 もし前者だとすると、東大や京大、早慶といった有名大学の学歴が、海外ではそれほど大きな力を持たないという自明なことを、あえて言ったことになる。これは特に最近顕著な現象というわけではないから、「何を今さら」という感じがする。

 後者だとすると、これまた理解に苦しむところが出てくる。というのも、海外もそれなりに学歴社会だと思われるからである。個人の資質ばかりが平等、公平に評価されるわけではない。ある本に載っていた以下の記述は、そういうことを示唆している。

《シグナルの伝達が大学教育の価値の大きな部分を占めていることに疑いの余地はないだろう。(中略)雇用者は、4年制のエリート大学を出ているという「ブランド価値」のある学位保持者を、そうでない者より優先して雇用する(そして、より高い給与を支払う)傾向にある。

皮肉にも、これは当人の大学の成績にかかわらず当てはまることのようだ。たとえば、ハーバード大学の最下位の学生は、(公平であろうが、なかろうが)、他の多くの大学のトップ学生よりも、多くの仕事に採用される可能性が高い》

(『勝手に選別される世界』(2015年発行、マイケル・ファーティック+デビッド・トンプソン著、ダイヤモンド社)

 先の予備校は、教育方針が学歴至上主義ではないことを訴えたかったのかもしれない。しかし、果たして顧客たる受験生やその親御さんの考えなりニーズはどうだろうか。予備校に通う意義の殆どは、希望大学に合格する学力をつけるため、というのが実態ではないだろうか。私には、何回読んでも冒頭の文章が、“綺麗すぎ”“格好よすぎ”に思えて仕方がなかった。

(2016年8月28日記)

« 45歳という転換期 | トップページ | 黒髪の壮年男子 »

教育」カテゴリの記事

社会全般」カテゴリの記事

若者・就職」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/573382/64108434

この記事へのトラックバック一覧です: もてはやされる学歴とは:

« 45歳という転換期 | トップページ | 黒髪の壮年男子 »