« 最近の身体の変化 | トップページ | 時に厄介な“いい人” »

2016年7月17日 (日)

人への関心

 理由は分からないが、私には人と違う考え方に惹かれる傾向がある。そういう意味で、突っ張った感じの女性の価値観にも興味を覚えるところがあり、最近、『群れない 媚びない こうやって生きてきた』(下重暁子・黒田夏子著、海竜社)という本を読んだ。作家の下重暁子さんが次のようなことを仰っている。

《お天気がいいとか、その程度の話ならいいけど、自分の息子がどうしたとか、ダンナがどうしたとか、そういうった世間話ができない。困ってしまう。だから、クラス会のようなものに出たいとも思わない》

《人づきあいは下手。そんなこともいっていられない仕事だから人前ではなんとかやっていたけど、内心では「早く終わらないかな」と、そんなことばかり考えていた。世間話の好きな人たちって、人の噂話が好きよね。私は人に関心がない》

(『群れない 媚びない こうやって生きてきた』(2014年発行、下重暁子・黒田夏子著、海竜社))

 このくだりを読んで、私は自分と似ているなあと感じた。最後の《私は人に関心がない》は、まさに自分のことだと思った。些細なことだが、数年前にこんなことがあったのを思い出した。

 会社で何年もお世話になった尊敬する元上司(以下、上司)と、飲み会で再会したときのこと。私は既に退職していたから、在職中の思い出話を語り合うといった感じだったのだが、今どこに住んでいるのかと聞かれた。その時、上司は私が以前住んでいた場所を覚えていたのだが、逆に私は上司の住んでいた場所を覚えていなかった。その上司は「覚えていないの?」とは口に出さなかったが、怪訝そうな表情を見せ、一瞬微妙な空気が漂ったのだ。私は上司の家のことなど、もうすっかり忘れてしまっていた。

 かように私は、基本的に人への関心がない。どこに住んでいるか、家族構成はどうか、趣味は何か、出身はどこか、どこに勤めているか等々、知りたいという気持ちが湧き起こらない。「それは好奇心がなさすぎでは?」と言われるかもしれないが、そういう性格なのだから仕方がない。それにメリットもある。人に関心がないから、他人を嫉妬したり蔑んだりという嫌な感情が生じにくいのである。人は人、自分は自分という線引きを普段からしているのが、精神的安定という効果をもたらしている気がする。

 今日のブログは、“言い訳”でもある。もし私に対し、「俺(私)のことに興味がないのか!」と感じたことのある方がいるとすれば、この場を借りて「私のそういう淡白な態度は特定の人に向けられたものではありません」と、釈明しておきたいと思う。

(2016年7月17日記)

« 最近の身体の変化 | トップページ | 時に厄介な“いい人” »

人間関係」カテゴリの記事

価値観・性格」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/573382/63965624

この記事へのトラックバック一覧です: 人への関心:

« 最近の身体の変化 | トップページ | 時に厄介な“いい人” »