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2016年6月16日 (木)

家族写真入りの年賀状

 家族についての話をもう少し続けてみたい。昨日の『家族という病』(下重暁子著、幻冬舎)には、次のようなことも書かれている。

《私は、家族写真の年賀状があまり好きではない。善意であることは間違いないし、たくさんいただくので差し障りはあるのだが。

 幸せの押し売りのように思えるからだ。家族が前面に出てきて、個人が見えない。感じられない。お互いの家族をもともと知っている場合は別として、私はよその家族を見たいと思っているわけではない。へそ曲がりといわれるかもしれないが、頼んでもいないのに子供の写真を見せられるのに似ている》

(『家族という病』(2015年発行、下重暁子著、幻冬舎))

 私自身は下重さんの言うように、《家族写真入りの年賀状は幸せの押し売り》とまでは思わないが、幸せそうな姿の見せびらかし、という面はあるように思う。私も、面識がなければ友人、知人の家族であっても基本的に関心がないから、家族の写真を見てもその残像が脳内に焼き付けられることはまずない。

 「じゃあ、家族写真が飛び交う年賀状は何のためにやっているの?」と聞かれそうだが、“年に一度の生存確認と住所確認”を行うためと思っている。それ以上に何か連絡を取る必要が出てくれば、個別にメールや電話などでどちらかがコンタクトすればよい。

 もちろん私は、「家族写真入りの年賀状は送ってこないでほしい」と願っているわけではない。“年賀状は家族を含めて近況を相手に報告するもの”と位置付けている人には、家族写真を載せるのは自然なことだろう。また、文章を書くのが苦手な(面倒な)人にとっては、写真の活用は作文の負担を減らすメリットがある。

 このように、送り手にも色々と考え方があるだろうから、私に文句をつける筋合いはない。ただ、私自身の嗜好として、家族写真入りの年賀状をじっくり見ることはない、というだけである。

 最後に一つ付言しておきたい。下重さんは《家族写真入りの年賀状は幸せの押し売り》と仰ったが、私は「写真を撮って送ってきた家族が幸せとは限らない」と真面目に思っている。幸せそうに見せているだけかもしれないし(≒虚勢を張った対外的な幸せアピール)、入学式、卒業式といった家族の人生節目の儀式で、親が記念に撮っておいた家族写真なだけかもしれない。だから、家族写真と家族の幸せをリンクさせて私は理解していない。

 想像するに、家族全員が幸せを感じている家庭はそう多くはないし(恐らくは少数派)、人が幸せかどうかは当人が心の中で感じることであって、写真を見ても私には感知できないものである。下重さんと違って私が家族写真入りの年賀状に“不感症”気味なのは、こういう考え方のせいだと思っている。


(2016年6月16日記)

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