« 期待される『もーさん』のつらさ | トップページ | もしも日本が戦争になったら »

2016年6月18日 (土)

レジセルフ化の波と『機械との競争』

 今月7日のことだったと思う。よく行くディスカウントストアの風景が一変していて驚いた。店内を見渡すと、真新しいレジが整然と並んでいる。「今までのレジは確かに古かったな」と思いつつ、買い物かごを持ってレジに並んだところで、ようやくあることに気付いた。

 セルフレジが導入されたのである(正確には、このディスカウントストアでの呼称はセミセルフ精算)。店内全部がこれに一斉に切り替えられたわけではないが、幾つかのレジでは、商品のバーコードを読み取るところは従来通り店員が行なう一方、続く買物代金の精算は、駅で切符を買うような要領で、お客自身が会計レジでやるようになっていた。最初のうちは、慣れないお客が出ることも想定されていたのだろう。システム会社からと思われるスタッフが後方に何人も控えていた。

 
『機械との競争』(2013年発行、日経BP社)という本がある。デジタル化、自動化のスピードがあまりに速いために、雇用が奪われること(=テクノロジー失業)を指摘した内容だが、この中に、《小売業界では自動化の動きが急速に進んでいる》とするアメリカの新聞記者の報告を引用した次のような一節がある。

《「小売業と言えばアメリカ人の10人に一人近くが働いており、長いこと雇用創出源として頼られてきた。ところがその業界で、より多くの商品をより少ない人手で売ろうとする試みが拡がっている。たとえばカスタマーサービス係に代わってバーチャルアシスタントが導入され、売店やスーパーマーケットではセルフレジが普及してレジ係の需要が減りつつある》

(『機械との競争』(2013年発行、エリック・ブラインジョルフソン、アンドリュー・マカフィー著、日経BP社))

 これは私が見たものと符合しているではないか。私は最初、一人の買い物客としてしか、このセルフレジを観察していなかったが、今後他の量販店などに広がっていけば、雇用への影響が避けられなくなる可能性があると思うようになった。端的に言えば、レジで働くパート、アルバイトの仕事が減るということである。

 ここで、量販店で過去に見られた買い物袋有料化の流れを思い出した。数年間になろうか、私の住んでいる地域では、ある時まで買い物袋がタダで配られていたが、あるスーパーが“原則有料”を打ち出し、買いたい人には1袋数円で販売し始めてから、競合店が追随し始めた。そのうち、近隣の殆どの量販店で、買い物袋はお金を払って買うものになった。このように、デファクトスタンダードは固定的なものではない。卑近な例を出してみたが、オセロゲームのように、一気に塗り替わることもあるのだ。

 どういう職種や仕事が、将来的に機械との競争を余儀なくされる可能性が高いのか、自分に当てはめるとどうかは、日頃から問題意識を持っていた方がよいだろう。「こんなはずじゃなかった」と気付いた時には、もう手遅れだからである。なお、先の『機械との競争』には、少々意外感のある以下のような記述がある。

《いまのところ人間がまさっているのは、じつは肉体労働の分野である。人型ロボットはまだひどく原始的で、こまかい運動機能はお粗末だし、階段を転げ落ちたりする。したがって、庭師やレストランのウェイターがすぐに機械に取って代わられる心配はなさそうだ》

《体の動きと知覚とをうまく組み合わせる必要のある肉体労働は、基本的な情報処理よりはるかに自動化しにくい》

(同上)

 私は「肉体労働か」と思った。言われてみれば、庭師やウェイターの他にも、引っ越し(事務所移転)の運搬や各種試験の監督など、きめ細かく身体を使いつつも、人(顧客)とのコミュニケーションや臨機応変の判断力を伴う仕事については、まだまだ自動化されるイメージはない。

 
“身体が資本”というのは、当たり前のことながら、よく耳にする言葉である。だが、こと労働に関して言えば、機械との競争の可能性を考えると、言葉以上の重みがあるのかもしれない。身体がちゃんと動く限り、両手を挙げて降参という事態にはならないのだから。

(2016年6月18日記)

« 期待される『もーさん』のつらさ | トップページ | もしも日本が戦争になったら »

企業経営」カテゴリの記事

社会全般」カテゴリの記事

職業観・勤労観」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/573382/63793291

この記事へのトラックバック一覧です: レジセルフ化の波と『機械との競争』:

« 期待される『もーさん』のつらさ | トップページ | もしも日本が戦争になったら »