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2016年6月15日 (水)

『家族という病』

 『家族という病』(下重暁子著、幻冬舎)という本を読んだ。私にはかなり共感できる内容であった。私がもしも同じような切り口で文章を纏めるならば、タイトルは『家族という幻想』と付けそうだが、主張は似たようなものになる気がした。

 この本では、著者の下重暁子さん(元NHKアナウンサー)と父親の関係性が語られている。下重さんの父親は亡くなっているが、病院に臥せっていた父親を見舞ったのは、容態が急変したとの知らせを受けて駆け付けた、亡くなる直前であったという。それより以前に、父親の主治医から手紙が届いたくだりが記されている。

《分厚い封書の中身は、私を非難するものでした。

「あなたは、テレビの中でいつも優し気に微笑んでいる。たくさんの人々があなたの笑顔にだまされているが、なんと冷たい女なのだ。結核病棟に老いの身を横たえている父親を一度も見舞いに来たこともないではないか」

私は主治医からの手紙を無視しました。返事もせず、行動も起こしませんでした。私は怒っていました。

「父娘の確執など第三者のあなたにわかるはずがない。世の中の常識で物を言って欲しくない」

忘れかけていたあなた(父)への屈折した気持ちを思い出し、お節介な医師のいる病院へ行くことをますます拒否したのです》

(『家族という病』(2015年発行、下重暁子著、幻冬舎))

 私はこの部分を読んで、下重さんに激しく同意した。人との関係性、とりわけ家族との関係性は、他人に踏み込んでほしくないデリケートな領域なのだ。病気の父親の手当てをしている医師とて、そこに立ち入る権利はないはずである。世の中で当たり前のように使われる「家族なのだから……」という論法には、私も抵抗を感じる。“確執”という表現が適しているか分からないが、私自身、家族については複雑な感情を抱いているところがある。

 下重さんは、家族のことで悩んでいる人に有益と思われる、アドバイス的な考え方を示されている。今日はその幾つかを、骨となる一文だけ取り上げ紹介して筆をおくことにしたい。

《やはり家族に期待してはいけないのだ》

《相手に期待する前に自分でやればいいではないか》

《家族は暮らしを共にする他人と考えた方が気が楽である》

(『家族という病』(2015年発行、下重暁子著、幻冬舎)) 

(2016年6月15日記)

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