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2016年6月23日 (木)

給付型奨学金の導入には反対

 昨日書いたことの続きだが、大抵の学生は借金の重さ、返済の大変さを十分理解してはいないだろう。だから、安易に「借りられるなら、借りておいた方が得」とばかりに借りっぱなしにすると、気が付けば借金まみれになり、「こんなはずではなかった」と後悔する羽目になりかねない。無利子であっても、借金は借金、負債は負債なのである。

 奨学金については現在、給付型と呼ばれるタイプの創設が検討される方向にある。これは返済が要らないもので、支給される学生にとっては有り難いことこの上ないものだ。しかし私は、給付型奨学金の導入には反対の立場である。よく言われる、公平性に欠けるというのがその理由である。

 例えば、あまり勉強しない難関大学生と、入学後に学業に目覚めて優秀な成績を収めた無名大学(入学が容易な大学)の学生が支給対象の候補者に挙がった場合、どちらが選ばれるべきかは判断が難しいだろう。客観的な物差しがないなかで、選ばれる人と選ばれない人の間の不公平感はぬぐい難いものがあると想像する。世界的に注目されるような発明や開発、賞の獲得など、傑出した成果があれば個別に認める余地はあるかもしれないが、これはかなり例外的なものであろう。

 そもそも給付型は、“多額の現金プレゼント”という大盤振る舞いである。それは、お金に余裕のない学生の中に、“持てないままの者”(圧倒的多数)と“持てるようになった者”(ごくごく少数)の線を引くことになり、結果的に格差を作ることを助長している感じもする。今考えるべき奨学金のあり方は、困っている大勢の利用者に、広くどう手を差し伸べるかという点を中心に捉えるべきだと思う。

 一案だが、私は無利子であっても奨学金の取り立てを厳しくすべきではないと考える。社会に出てから諸事情により収入の伴わない人の状況も考慮して、月1~2万円程度の返済を許容したり、10年、20年でも返済を待ってあげてよいのではないだろうか(延滞金などのペナルティは課さずに)。回収が進まなければ、今後支給する奨学金に回すお金が足りなくなると懸念する見方もあろうが、それはそもそもの原資が潤沢にないことが本質的な問題であろう。

 
元来奨学金は、公的な立場から人の教育を支援する趣旨のものに違いない。だから、返済を気長に待ってあげるといった、一般の金融機関のローンにはない懐の深さがあってよい、と私は思うのである。

(2016年6月23日記)

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