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2016年6月28日 (火)

人前での自分の妻の呼び方

 『週刊文春』に連載されている伊集院静さんの「悩むが花」という人生相談に、ちょっと考えさせられる投書が載っていた。次のような相談内容である。

《自分の妻を「奥さん」と呼ぶ男性が増えたように思います。そもそも「奥さん」は他人の妻の事を指しますし、身内にさん付けはいかがなものか。それに「奥さん」は「家の奥にいる人」が語源と思われますので、男女差別的な匂いを感じます。この間テレビのアナウンサーまで「うちの奥さん」と言っていて呆れました。(40代・女)》

(『週刊文春』2016428日号)

 私自身、自分の妻をどう呼んだらいいか悩んできた人間である。以前ある職場で妻のことを口にした時、“正解”を求めて思考した末に飛び出してきた言葉は「かみさん」だった。話の相手は私より一回りほど若い女性だったが、これをどう受け取ったかは分からない(古くさい、おじさんらしい言い方、と思われたかも)。

 これまで私は「奥さん」を使ったことはない。意識して排除してきたわけではないが、投書した40代女性のような感覚が私にもあったためかもしれない。念のため辞書を引くと、「奥さん」は《奥様(=他人の妻の尊敬語)より軽い尊敬語》(広辞苑)とあった。自分の妻に尊敬語を使うのはおかしいから、「奥さん」は正しい使い方ではない、ということになる。

 「奥さん」の語源が「家の奥にいる人」かどうか私は知らないが、女性の社会進出が進んだ今、「家内」という呼び方も反感を買いやすい。「奥さん」以上に男女差別的な匂いを嗅ぎ取る人がいるだろう。また、私が昔務めていた会社で、「(うちの)かあちゃん」と言っていた人がいた。子どもがいればそういう言い方もあろうが、夫が母親ではない妻のことを「かあちゃん」と呼ぶのは違和感がある。

 少しひねったところで、「つれあい」という呼び方もある。これは、『家族という病』(2015年発行、幻冬舎)の中で、著者の下重暁子さんが夫のことをこう呼んでいる、と記されている。「パートナー」と外来語で言うよりはましだと思うが、語感に馴染みがないせいか私にはどうもしっくりこない。

 ここは「妻」と呼ぶのが無難に思える。がしかし、「うちの妻が……」というのは、普段の会話の中では堅苦しい感じが否めない。「愚妻」と呼ぼうかと考えたこともあるが、自分の妻をへりくだっていう言葉だと相手がちゃんと理解していなかったならば、「妻のことを愚かだと言うなんて酷い」と筋違いな軽蔑を招く可能性もあり、躊躇してしまう。

 あれこれ書いてみたが、ここで伊集院静さんの回答の一部を抜粋しよう。

《「家の奥にいる人」だから“奥さん”。

そういうつまらんことを言う学者が、何年か前にいましたな。(中略)

日本人の大半が、奥さんで通じとるんですから、それでいいんじゃないですか。

 元々の日本語では、という人がいますが、これだけ外からいろいろな言語が入って来て今にいたってる日本語に、元々なんて言うのが野暮と違いますかね。(中略)

それよりテレビを見なきゃいいだけでしょうが》

 質問者を突き放したような回答だが、言わんとするところはよく分かる気がする。言葉なんて時代の移り変わりとともに変わるものだ、ということだ。思うに、「奥さん」が当たり前に使われるようになれば、国語辞典の「奥さん」の箇所に、“平成以降、自分の妻のことも指して使われるようになった”という説明文が書き加えられるようになるくらいだろう。

 え?こんな終わり方は納得できない?それよりブログを見なきゃいいだけでしょうが(笑)。

(2016年6月28日記)

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