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2016年6月

2016年6月30日 (木)

英国のEU離脱という選択について

 今さらというテーマだが、英国の国民投票(24日)の結果は予想外のものだった。離脱派が多数を占め、(こちらは想定された展開だが)世界的に株価が急落した。私は資産運用において、長期投資を旨としているので株式等の売却に動いたりしなかったが、この日一日で資産の評価額は数百万円減少したはずである。一時的にせよ、世界中の投資家、資本家を敵に回すことになった離脱派の勝利であった。

 自分自身を含め、EUに残留した方がハッピーな人が多くなるだろうと考えている私は、離脱派の考え方そのものに反対というわけではない。EUのために英国が政治の自主性、主権を損なわれているというのは概念が大きすぎて私には分かりにくいが、移民の流入増加を警戒して離脱に一票を入れたくなる英国民の心理は分かる気がする。先日、この話との繋がりが感じられる体験をした。

 電車に乗っている時のこと。外国人の家族連れ2組ほどが、私の乗っていた車両の中で大きな声でしゃべっていた。子どもが騒いでも注意せずに放っている。他の乗客(日本人)は、静かに黙ってスマホを触ったり本を読んだりしていた。その中で私は、この外国人たちに苛立ちを覚えた。静かに過ごしたいのを邪魔されたからである。そして、「これは移民問題に通じる感情ではないか」と感じたのである。

 自分で言うのもなんだが、私はどちらかというと外国人をフラットに見る人間だと思っている。長年勤めた会社を辞める際、職場の同僚の外国人(アジア系)に挨拶したところ、「柏本さんは私たちに、日本人と同じように接してくれました」と感謝を込めて言われたことがある。私は常々「みんな所詮同じ人間じゃないか」と思っているから、外国人に対して日本人とは異なる態度(見下したり馬鹿にするような言動)を取ってこなかったためだろう。

 それでも、先の電車ではイライラしてしまった。「郷に入っては郷に従え」という言葉を強いるつもりはないが、私の静かに過ごす権利を侵してほしくないと思ったわけである。だから、移民の流入増が英国民の職を奪ったり、賃金水準を押し下げたり、治安の悪化を招くとして懸念する見方は、一定程度理解ができてしまう。

 幸い移民問題は、日本では大きな政治的イシューにはまだなっていない。政治的な難民や経済的困窮者を人道的な観点で海外から受け入れることはすべきだとは思うが、日本に永住することを認めるような受け入れは、将来に禍根を残す気がしてならない。移民の一世は受け入れ国に感謝するだろうが、二世、三世へと移っていった時に、日本社会に馴染むかどうか分からない日本生まれのこれら世代を「受け入れない」という選択肢はないからである。日本を“避難所”として海外から来て頂くのは賛成だが、十年、二十年と年限を切って母国に戻ってもらうのが、長い目で見てお互いに幸せな結果を生むのではないだろうか。

 
英国のEU離脱は、国や地域が相互に繋がることを是としてきた世界の歴史において、逆方向に進もうとするもので、一国の選択ながら壮大な実験となろう。今後は混乱を伴いながら、同じ島国である日本にも様々な示唆を与えてくれるに違いない。私たちは、謙虚な姿勢を忘れずに海外から学び続けるのがこれからも賢明である。

(2016年6月30日記)

2016年6月29日 (水)

将棋棋士に緊張感をもたらしたもの

 一昨日は、将棋の感想戦について書いた。ニコニコ動画(ニコ生)によるライブ中継は、将棋ファンの楽しみを広げてくれたわけだが、対局する棋士の側にも影響を与えていることを最近知った。将棋の専門誌『将棋世界』で、ベテランの日浦市郎八段(50歳)が、今春28歳で名人位を獲得した佐藤天彦八段との対局の裏話を披露されている。

《昨年の夏、私は新棋戦である叡王戦のトーナメント表を見ながら頭を悩ませていた。1回戦の相手は佐藤天彦八段。強敵である。それまでの対戦成績は2局指して私の2連敗。(中略)オジサンとしては「こりゃ1回戦負け確実か」と弱気になってションボリしていたのである。

 まあ、負けてしまうのは実力だから仕方ないのだが、問題はこれがニコ生で中継されることである。熱戦になって結果負けならいいのだが、対局が始まったかと思えばすぐに差がついてしまい、中盤ではボロボロ、終盤はコテンパン、短手数で持ち時間を大きく残して終了などということになれば、「日浦弱杉ワロタ」だとか「これでもプロなん?」などという厳しいコメントが流れ、終了後のアンケートで「つまらなかった」が80パーセントとなれば、恥をかくうえにスポンサーのドワンゴ様にも迷惑がかかってしまう。(中略)

 終盤で勝ちが見えたときは本当に嬉しかった。佐藤が投了したときは「888888」「日浦つええええええ」というコメントが並んでいただろう(たぶん)》

(『将棋世界』20166月号)

 確かに日浦八段の言う通りだと思った。ニコニコ動画では、対局の進行中に視聴者の書き込んだコメントが次から次へと流れてくる。目の肥えた将棋ファンによる率直なコメントは、不甲斐ない将棋に対しては辛辣なものになりうるのだ。棋士や対局を評する表現は色々あろうが、「プロ棋士なのに下手くそ」などとおおっぴらに書かれては、大抵の棋士は凹んでしまうのではないか。

 棋士が対局の最中に厳しい評価に晒されるこうした状況は、対局をビデオ撮りしたり、ライブ中継はするも視聴者のコメントをリアルタイムでは受け付けない従来のテレビ放送では、なかったものである。昔のように「メディアへの露出が増えた!」と手放しでは喜べなくなった棋士がやれること、それはファンの予想や期待を超える内容の将棋を指し続けることしかないだろう。

 コンピュータの将棋ソフトが当たり前のようにプロ棋士を凌駕する力を発揮するようになった今は、ファンがスキのない将棋、ミスのない正確な指し手に慣れ始めた時代でもある。こうした時代の変化も受けて棋士は、人間として指すことのできる最高の将棋をファンに見せて“魅せ”なければ、存在意義が問われかねなくなる、と思うのである。

(2016年6月29日記)

2016年6月28日 (火)

人前での自分の妻の呼び方

 『週刊文春』に連載されている伊集院静さんの「悩むが花」という人生相談に、ちょっと考えさせられる投書が載っていた。次のような相談内容である。

《自分の妻を「奥さん」と呼ぶ男性が増えたように思います。そもそも「奥さん」は他人の妻の事を指しますし、身内にさん付けはいかがなものか。それに「奥さん」は「家の奥にいる人」が語源と思われますので、男女差別的な匂いを感じます。この間テレビのアナウンサーまで「うちの奥さん」と言っていて呆れました。(40代・女)》

(『週刊文春』2016428日号)

 私自身、自分の妻をどう呼んだらいいか悩んできた人間である。以前ある職場で妻のことを口にした時、“正解”を求めて思考した末に飛び出してきた言葉は「かみさん」だった。話の相手は私より一回りほど若い女性だったが、これをどう受け取ったかは分からない(古くさい、おじさんらしい言い方、と思われたかも)。

 これまで私は「奥さん」を使ったことはない。意識して排除してきたわけではないが、投書した40代女性のような感覚が私にもあったためかもしれない。念のため辞書を引くと、「奥さん」は《奥様(=他人の妻の尊敬語)より軽い尊敬語》(広辞苑)とあった。自分の妻に尊敬語を使うのはおかしいから、「奥さん」は正しい使い方ではない、ということになる。

 「奥さん」の語源が「家の奥にいる人」かどうか私は知らないが、女性の社会進出が進んだ今、「家内」という呼び方も反感を買いやすい。「奥さん」以上に男女差別的な匂いを嗅ぎ取る人がいるだろう。また、私が昔務めていた会社で、「(うちの)かあちゃん」と言っていた人がいた。子どもがいればそういう言い方もあろうが、夫が母親ではない妻のことを「かあちゃん」と呼ぶのは違和感がある。

 少しひねったところで、「つれあい」という呼び方もある。これは、『家族という病』(2015年発行、幻冬舎)の中で、著者の下重暁子さんが夫のことをこう呼んでいる、と記されている。「パートナー」と外来語で言うよりはましだと思うが、語感に馴染みがないせいか私にはどうもしっくりこない。

 ここは「妻」と呼ぶのが無難に思える。がしかし、「うちの妻が……」というのは、普段の会話の中では堅苦しい感じが否めない。「愚妻」と呼ぼうかと考えたこともあるが、自分の妻をへりくだっていう言葉だと相手がちゃんと理解していなかったならば、「妻のことを愚かだと言うなんて酷い」と筋違いな軽蔑を招く可能性もあり、躊躇してしまう。

 あれこれ書いてみたが、ここで伊集院静さんの回答の一部を抜粋しよう。

《「家の奥にいる人」だから“奥さん”。

そういうつまらんことを言う学者が、何年か前にいましたな。(中略)

日本人の大半が、奥さんで通じとるんですから、それでいいんじゃないですか。

 元々の日本語では、という人がいますが、これだけ外からいろいろな言語が入って来て今にいたってる日本語に、元々なんて言うのが野暮と違いますかね。(中略)

それよりテレビを見なきゃいいだけでしょうが》

 質問者を突き放したような回答だが、言わんとするところはよく分かる気がする。言葉なんて時代の移り変わりとともに変わるものだ、ということだ。思うに、「奥さん」が当たり前に使われるようになれば、国語辞典の「奥さん」の箇所に、“平成以降、自分の妻のことも指して使われるようになった”という説明文が書き加えられるようになるくらいだろう。

 え?こんな終わり方は納得できない?それよりブログを見なきゃいいだけでしょうが(笑)。

(2016年6月28日記)

2016年6月27日 (月)

将棋の『感想戦』というコンテンツ

 先日ネットで、将棋の『叡王戦』を初めて視聴した。予選が始まっている第2期叡王戦に、羽生善治九段が初参戦されたので、応援しようと思ったためである。叡王戦の主催者は、ニコニコ動画で対局を生中継している株式会社ドワンゴ。こうしたネット企業のお陰で将棋をライブで楽しめるのは、ファンにとっては大変有り難いことである。

 私が観戦した羽生善治VS屋敷伸之戦(九段同士の予選)は、羽生さんが優勢に立った後、そのまま押し切った。羽生さんは最近、公式戦6連敗を喫したことがあったので、この勝利と内容はファンには嬉しいものだったが、視聴するなかで感じたことがあった。それは『感想戦』についてである。先に定義を書いておくと、『感想戦』とは《囲碁、将棋、チェス、麻雀などのゲームにおいて、対局後に開始から終局まで、またはその一部を再現し、対局中の着手の善悪や、その局面における最善手などを検討すること》(Wikipedia)である。

 今回の羽生VS屋敷戦は、第2期叡王戦で優勝した山崎隆之八段が解説者を、山口恵梨子女流二段が聞き手を務めていた。対局中はこのお二人が視聴者に向けて解説をしていたのだが、対局後はこれがなくなり、羽生さんと屋敷さんが対局を振り返る感想戦の様子が映し出された。何の演出も音楽もなく、対局者の二人が指し手の是非を論じたり、実現しなかった思考を披露していく。そういうところを観ることができるのは、なんて贅沢なことだろうと思った。

 この一局に関しては、対局時間中にこんなことがあった。対局の中盤辺りで山崎八段が「羽生先生は飛車を引いて展開して使うのではないか」と、大胆な構想を予想した。これに山口女流二段が「それは山崎流ですね」とすかさず突っ込みを入れて、否定的な見方を暗に示した。山崎八段の棋風を知るファンならよく知っていることだが、飛車を展開し局面を大きく動かすのは、“山崎好み”なのである。

 感想戦に戻る。対局者二人を遠巻きに見ていた山崎八段があるタイミングで感想戦に加わり、解説で触れた大胆な構想について、羽生さんに確認したシーンがあった。そして、その時の羽生さんの反応の薄さから、羽生さんがその構想を検討していなかったことが分かったのである(山口女流二段の勝ち!)。指し手には現れないこんな細かなことまで、ファンは知ることができるようになった。

 将棋の感想戦は、私の理解では、ニコニコ動画で今のように放送されるまでは、ファンが立ち入ることのできない、対局者同士の閉じた世界であった。新聞社が主催するタイトル戦や棋戦の場合、感想戦でのやりとりは新聞の将棋欄に載ったり、ネットに掲載される棋譜に後日追加されるにとどまっていた。だから、リアルタイムで視聴できるようになったというのは、静かで地味ながら革新的であって、感想戦をコンテンツとして活かすようにしたニコニコ動画の判断は大変素晴らしいと、私には強く感じられたのだった。

(2016年6月27日記)

2016年6月26日 (日)

空疎に響いたねぎらいとお礼の言葉

 それは不自然な光景だった。単発仕事での現場でのこと。朝、責任者を務める中年男性が大勢のスタッフを前に、その日の仕事の手順と留意事項を、手元の紙を見ながら読み上げていった。その日までにスタッフ一人一人に届けられていたマニュアルに記載の内容と重複している部分も多かったため、私は「メリハリないなあ」と思いながら聞いていた。まあしかし、その日集まっていたスタッフ全員に漏れなく周知徹底するためには、こういうやり方しかなかったのかもしれない。

 夕方、一連の仕事がおおむね終わった頃、その責任者が再び壇上に立った。いよいよスタッフは解散というタイミングである。すると、驚いたことに、責任者は朝と同じ紙を取り出して、そこに書かれている文章をおもむろに読み始めた。

「皆さまのおかげで、本日の業務をスムーズに終了することができました。ありがとうございました」

 彼は、朝の時点で既に印刷されていた「スムーズに終了することができました」を棒読みしたのだ。仕事をする前から、スムーズに終了すると決まっていたはずはなかろう。実際振り返ると、大きなトラブルこそなかったが、業務のピーク時にバタバタ感があったのは否めなかった(そういう意味でスムーズとは思えなかった)。一日の最後にスタッフに伝えるねぎらいとお礼の言葉を、こんな紋切り型の文章の棒読みで済ませるのはいただけない。

 こういう時は、どもろうが詰まろうが、自分の言葉で語るべきなのだ。そうでなければ、感謝の気持ちも誠意も伝わらないだろう。この人は忠実に読んでしまったことで、“私はこんなことも、文章を読まないと口にできないんです”という能力の無さを、余韻としてその場に残してしまったように私には感じられた。

(2016年6月26日記)

2016年6月25日 (土)

女子の生き方

 昨日の姪っ子から聞いた話である。「女の子でも浪人するんだ」と驚くのはオジさん世代の感覚であって、今は浪人するのに男子も女子もないという。姪っ子は、首都圏で進学校として知られた某女子高の話をしてくれた。そこの生徒は4分の1が浪人したとのこと。印象として、これは決して小さくない数字である。

 既に短大に進学する女子は減っているというから、男子と同じように四年制大学を目指すとなれば、浪人もやむなしというのは自然な流れであろう。受験した大学をすべて落ちた人(全落ち)もいれば、滑り止めは受かったが、本命の大学が不合格だったために浪人を選ぶ女子もいるそうである。

 このような大学進学における性差の縮小は何をもたらすのだろう。とっくにこの道の専門家が一家言もって色々と発表しているテーマに違いないが、私が直感的に思ったのは、ますます<平均して結婚する時期が遅くなる>ことや<結婚しない道(非婚)を選ぶ女性が増える>ということである。短大を卒業して就職し、そこで職場結婚し退職する、というのはもはやマイナーな道なのだろう。四年間勉強して社会に出て、それから結婚相手と出会うとなれば、畢竟結婚は遅くなる。そして、仕事をして稼げる自活力がついた女性ならば、結婚することのプライオリティが下がってもおかしくはない。

 これは生き方をめぐる価値観に関わることだから、かくあるべき、などといったことはとても言えない(私はお節介をするのも嫌いである)。姪っ子は、私のような年長世代が経験したのとは全く違った時代をこれから生きていくのだ。有益なアドバイスなどできそうにないため、ただただ、姪っ子本人が納得できる人生の選択をして幸せになって欲しいと陰ながら願うばかりである。

(2016年6月25日記)

2016年6月24日 (金)

最初の関門

 昨晩、数か月ぶりに姪っ子と会った。義兄の娘さんが関西から出てきて、今春から東京の大学に通い始めているのだ。入学が決まり引っ越してくる前に会っていたのだが、この二、三か月の間、無事新生活を送れているかが少しばかり気になっていた。

 面識あるオジさんとはいえ、年頃の女の子にプライベートなことを根掘り葉掘り聞くのはまずい。そこで、義兄や義父、妻が繰り出す質問に集中して、元気にやっているかを掴もうとした。蓋を開けてみると、私の心配は全くの杞憂だった。大学の学科内に友達もでき、サークルにも入って、それなりに楽しい人間関係を構築できているようだった。授業にもきちんと出席しているとのこと。彼女は大学を受験する前に、自分に合った“校風”かどうかもきちんと調べていたようで、それも奏功したのだろう。

 もう三十年前のことになるが、私は大学での新生活で躓きを感じた人間である。人見知りが激しく、趣味が偏っていて話題が少ないせいで(加えて暗い性格で?)、クラス内に仲の良いグループはできなかったし、思い切って飛び込んだ運動部(体育会)は、人数がとても多くて慣れるのに長い時間がかかった。昔の自分を振り返ると、苦い感覚が想起されて、姪っ子の明るい表情がとても羨ましかった。

 姪っ子曰く、もう大学に馴染めなくなっている学生もいるらしい。多分今の時期は、大学に入って最初の関門なのだ。それなりに人間関係が出来ているか、そして学びたいことが大学で見いだせたかというのが、大学生活を左右する大きなポイントだろう。一人孤独に向き合うことは容易ではないから、人間関係を上手く築けないと、楽しく充実したキャンパスライフどころではなくなってしまう。学生がその辺りで悩んでいたりしないか、周囲の大人も含め、敏感に察知してあげたいところである。

 かく言う私だが、人間関係について直接的な助言をするのは躊躇われる。というのも、これくらいの年齢になれば、「人間関係で悩まないための一番の方法は、人間関係をなるべくシンプルにすること」という割り切りができるようになるからである。私の場合、妻以外の人と会話をしない日だってかなりある。若い人はそこまでドライに実践することは困難だろうと思う。だから、どう人間関係を作っていけばいいか、という視点での知恵が私にあいにく備わっていない。

 飛行機で言えば、姪っ子は新しい環境で無事に“離陸”したと言っていいだろう。次の関門は、就職活動ということになろうか。ただ、それを今すぐ口にしてしまっては可哀想かもしれない。そういう先々のことはあまり考えずに、暫くの間、青春は青春として謳歌するのがよい  そのように感じて、姪っ子を囲んだ食事会を終えたのだった。

(2016年6月24日記)

2016年6月23日 (木)

給付型奨学金の導入には反対

 昨日書いたことの続きだが、大抵の学生は借金の重さ、返済の大変さを十分理解してはいないだろう。だから、安易に「借りられるなら、借りておいた方が得」とばかりに借りっぱなしにすると、気が付けば借金まみれになり、「こんなはずではなかった」と後悔する羽目になりかねない。無利子であっても、借金は借金、負債は負債なのである。

 奨学金については現在、給付型と呼ばれるタイプの創設が検討される方向にある。これは返済が要らないもので、支給される学生にとっては有り難いことこの上ないものだ。しかし私は、給付型奨学金の導入には反対の立場である。よく言われる、公平性に欠けるというのがその理由である。

 例えば、あまり勉強しない難関大学生と、入学後に学業に目覚めて優秀な成績を収めた無名大学(入学が容易な大学)の学生が支給対象の候補者に挙がった場合、どちらが選ばれるべきかは判断が難しいだろう。客観的な物差しがないなかで、選ばれる人と選ばれない人の間の不公平感はぬぐい難いものがあると想像する。世界的に注目されるような発明や開発、賞の獲得など、傑出した成果があれば個別に認める余地はあるかもしれないが、これはかなり例外的なものであろう。

 そもそも給付型は、“多額の現金プレゼント”という大盤振る舞いである。それは、お金に余裕のない学生の中に、“持てないままの者”(圧倒的多数)と“持てるようになった者”(ごくごく少数)の線を引くことになり、結果的に格差を作ることを助長している感じもする。今考えるべき奨学金のあり方は、困っている大勢の利用者に、広くどう手を差し伸べるかという点を中心に捉えるべきだと思う。

 一案だが、私は無利子であっても奨学金の取り立てを厳しくすべきではないと考える。社会に出てから諸事情により収入の伴わない人の状況も考慮して、月1~2万円程度の返済を許容したり、10年、20年でも返済を待ってあげてよいのではないだろうか(延滞金などのペナルティは課さずに)。回収が進まなければ、今後支給する奨学金に回すお金が足りなくなると懸念する見方もあろうが、それはそもそもの原資が潤沢にないことが本質的な問題であろう。

 
元来奨学金は、公的な立場から人の教育を支援する趣旨のものに違いない。だから、返済を気長に待ってあげるといった、一般の金融機関のローンにはない懐の深さがあってよい、と私は思うのである。

(2016年6月23日記)

2016年6月22日 (水)

奨学金利用の心構え

 録画してあった今月2日放送のクローズアップ現代+『“奨学金破産”の衝撃 若者が… 家族が…』(NHK)を観た。今や大学生の2人に1人が奨学金を借りる時代になり、しかも、「返したくても返せない」若者が急増した結果、自己破産した件数が累計で1万件にのぼるという。奨学金が返せなくなる人の増加は、急に社会問題として浮上したわけではなく、じわじわと広がってきた印象だが、番組を観てこれほど事態が深刻だとは思わなかった。

 ここで私自身のことを少し書いておこう。大学生の時、日本育英会(当時)の奨学金を利用した。親からの月十万円ほどの仕送りでは少し余裕がなかったので、親に書類を頼んで無利子の奨学金の申請手続きを取って認められた。三、四年生時の2年間利用したから、総額で200万円ほど借りたのだろう。

 
「200万円ほど」と一応書いたが、私は不思議なことに総額で幾ら借りたのか正確な金額の記憶がない。それほど借金についての自覚がなかったということである。社会人になって稼ぎ始めてから完済したが、何年かけて幾らずつ返済したのかも覚えていない(これでよく返済できたものだ)。思いの外時間がかかったような気はするが……。こんな程度の意識で返済を終えられたのは、ひとえに当時の雇用・所得環境が今ほど悪くなく、私が正社員として就職できたからにほかならない。そういう意味で、僥倖であった。

 私が学生の頃と今とでは、時代が変わってしまった。教育費(大学の入学金や授業料)はバカ高くなった一方、大卒の価値は著しく低下した。進学を支える親の平均年収は低下傾向を辿り、今は仕送額の平均は月8万円台に下がってしまった。だから、学生の多くが奨学金に頼る事情はよく分かるが、それに見合った将来のリターン(好待遇の仕事など)が得にくくなっている。学生にとっては大変しんどい時代で、気の毒に思う。

 今日ここで私にできることは、「今自分が学生の立場だったらどうするか」というアドバイス的な考え方を示すことではないかと思う。私なら、奨学金は利用しつつも、時間を有意義かつ効率的に使ってアルバイト等でしっかり稼ぐこともし、学生のうちに借金の残高をなくしたい。全額とはいかなくても、少しでも多く返しておきたい。感覚的には、社会に出た時に300万円以上の残高が残っていては、金銭的にも精神的にも負担が大きすぎると思う。

 「アルバイトなら、大抵の学生がすでにやっている」と言われそうだ。私ならその時間を増やしたい。アルバイトする時間が足りなければ、部活・サークル活動は思い切ってやめる。そのために友達が減ったとしても、目をつぶるしかないと割り切る(友達が減っても自己破産にはならない!)。学業や資格とアルバイトのバランスを上手くとって、とにかく借金をできるだけ抱えないようにするのである。大人ですら借金(各種ローン)の返済は大変なのだから、世の中を知らない学生は言うまでもない。

 そして、就職が最も注意を要するポイントとなる。クローズアップ現代+には、保育士の職に就いたものの、非正規社員であったため、その収入では奨学金の返済資金を捻出できず自己破産に追い込まれた29歳の女性が登場していた。この女性は一例だが、公式的に表現すれば、<奨学金利用+非正規社員 ⇒ 奨学金返済の延滞(ひどい場合は自己破産)>という流れが出来上がってしまっていると思う。

 一般に、非正規社員での働き方では、今を生きる生活費程度しか稼ぐことができない。将来(老後)の生活費や家族の生活費までまかなうのは難しく、同様に、過去の生活費(学生時代に使った分)をカバー(返済)するのも困難である。ゆえに奨学金を利用した学生は、とにかく正社員として就職し、奨学金の返済が終わるまではその立ち位置から離れずに安定的な収入を得ることが大切だと私は思う(なお、正社員といえども、就職先がブラック企業の場合はこの限りではない)。

(2016年6月22日記)

2016年6月21日 (火)

一生に一度の光景

 私の今住んでいる地域には警察学校がある。近くを歩くと、若者が規律正しく訓練している声がよく聞こえてくる。なんとなくその辺り一帯は、ピリリとした空気が普段から張り詰めている感じがする。

 そんな場所を、私はしばしば自転車で通りがかる。行きつけのスーパーがあるためで、今月某日も、買い物をしに警察学校の正門の向かい側を走っていた。すると、その正門のすぐ前を、柴犬を連れた男性がさしかかったのが目に入った。どこにでもある散歩に見えた。

 ところが、柴犬が急に立ち止まった。そして腰を落とし踏ん張り始めたのである。連れていた男性は落ち着いた様子で、もうビニール袋を取り出そうとしていた。その場所は正門の真ん前で、人の出入りに目を光らせている守衛室の目と鼻の先であった。

 
私はこの“絵”が可笑しくて仕方がなかった。威厳漂う警察学校の正門の前で、犬が平然と用を足そうとしている。飼い主はその後始末の準備をし、守衛室に詰めている警察関係者が咎める様子もない。自然の摂理だからどうしようもないが、犬が場をわきまえずに平然と“やろうとしている”のがとにかく可笑しかった。

 
自転車で通り過ぎながら、「これは一生に一度の光景だろう」と思った。縁起がいいかもと思い、何か幸運なことが起きる予兆ではと期待したが、今のところ何も起きていない。家に帰ると、テンション高く早速に妻にこの土産話をした。が、それで終わったまま。「一生に一度の光景」なのだから、自分は“何かを持っている”運のいい人間に違いないと思いたいのだが、具体的にそれがどういう運なのかまだ掴めていないのが残念である。

(2016年6月21日記)

2016年6月20日 (月)

最後のチャンスを逸した舛添都知事

 「もういいだろう」と言われそうだが、結局説明責任を果たすことなく“舛添小劇場”の幕が事実上下りたので、以前のブログの後に感じたことを書いておこうと思う。

 舛添さんにも都議会の解散に踏み切れるほどの肝っ玉はさすがになかったことから、辞職は当然の帰結である。ただ、辞職表明の際も、どこか不満げな様子が見てとれた。私は、「この方は自分に100%非があるとは内心は思っていないのだな」という印象を受けた。

 辞職が取り沙汰された頃から、退職金の額がマスコミで報じられるようになった。都の条例に基づき2,200万円ほどになるという。この金額を知り、「都知事は退職金を辞退すべき」との声もネットで見られた。一般人として、そういう思いが生じるのはよく理解できる。

 実はここが、舛添さんが自身の名誉を多少なりとも挽回できるラストチャンスであった。「退職金は全額辞退する」と表明していれば、世間に「最後の最後に潔いところを見せたな」とか「お金への執着を少しは反省したのだな」と思ってもらえるところだった。今回の騒動は、“政治とカネ”という範疇の問題と捉えられたが、「せこい」という人間性の一面が指摘され叩かれた。だから、「私は本当はせこくなんかありません」、「お金の亡者ではありません」と主張するチャンスだったのだ。それを舛添さんは活かさなかった。

 知事職に留まろうとしていた時、給与の返上を自ら口にされていたが、これは、知事で居続けられれば(色々と得るものはあるから)差し出してもよい、というだけだったのだろう。知事に残れなければ、頂けるものは頂くという、素の姿が露わになったのだと思う。これだけの額の退職金を受け取るというのは、舛添さんは疑念、疑惑を生じ世間を騒がせたことをお詫びはしたが、自分のした行為についてやはり100%反省したわけではないことを暗に示している。

 もっとも私は、これから振り込まれるであろう2,200万円を返還すべきだと強く思っているわけではない。ただ、舛添さんに起こった一連のことが同じ規範の下で展開されたというのがよく分かり興味深かった。一連のこととは何か。それはまず、「政治資金及び税金の使い方は不適切だったが、法律違反ではなかったこと」、「説明責任を果たさないのも法律違反ではないこと」、「こういう状況で退職金を受け取ることも法律(正確には条例)違反ではないこと」である。法律に違反していなければ、というのは、舛添さんの一貫した規範であった。

 
ならば、こうも言えることになるだろう。舛添さんは猛烈かつ執拗に続けられたバッシングを行き過ぎであると不本意に感じられたと思うが、これを非難することはできない。なぜなら、「尋常ならざるバッシングも法律違反ではない」からである。今までもそうだし、これからもそうである。

(2016年6月20日記)

2016年6月19日 (日)

もしも日本が戦争になったら

 私は知的ユーモア溢れる数学者・藤原正彦さんのエッセイをよく読むが、最近そこから広がりがでてきた。奥様である藤原美子さんの文章を目にする機会に恵まれたのである(奥様も健筆家とはこの時まで存じ上げなかった)。『夫の悪夢』(2010年発行、文藝春秋)というエッセイ集がそれである。

 この中で、夫・正彦さんの母親であり、戦後まもない時代のベストセラー『流れる星は生きている』(1949年発行、日比谷出版)の著者・藤原ていさんのことが触れられている。新婚の頃の美子さんが、戦争の恐ろしさ、残酷さを身をもって体験された満州からの引き揚げ者である藤原ていさん(義理の母)から語りかけられた、次のような言葉が載っていた。

《「(前略)私たちの時代にはある日、いきなり夫が戦地へ連れていかれたりしたのですよ」

と言った。母(藤原てい)は柿の若葉をまぶしそうに見上げた。そして「いま戦争が起きたら、美子さん、どうしますか」と聞いた。

戦争が起きたら、なんて考えたこともなかった。(中略)こんなに静かで平穏な時の流れの中で、そこまでの非常事態を心積もりしていなければいけないのだろうか。

「美子さん、正彦をどんなことがあっても戦地に送ってはいけないですよ。そのときには私が正彦の左腕をばっさり切り落としますからね。手が不自由になれば、召集されることはありません。右手さえあればなんとか生きていけますから」

 と毅然として言った》

(『夫の悪夢』(2010年発行、藤原美子著、文藝春秋))

 いざ戦争になれば、子どもが戦争に駆り出されないよう左腕を切り落とす、とは凄い覚悟である。正気の沙汰とは思えないが、太平洋戦争中、生きて帰れぬと言われた南方の戦地で爆撃に遭い左腕を失った水木しげるさんが、二度と戦線に復帰することなく帰還できた(後に右手一本で漫画家となった)という事実は、利き腕とは反対の腕を切り落とすのが、実効性ある最後の手段と言えることの証左だろう。

 かの苛烈をきわめた戦争を経験していない私には、藤原ていさんほどの覚悟とリスクマネジメントは正直難しい。そこまで(腕を切り落とすまで)せずとも、もっとやりようがあるのではないか、と考えるからである。身体を痛めつけずに戦争に関わらないようにするには、どうすればよいか。

 現時点での私のプランは、海外への逃亡である。その前の、日本が戦争状態に突入するまでは、国内で反戦・非戦の行動をとるが、それでも戦争不可避となり、自分が直接間接に戦争に巻き込まれそうになれば、新たな生活拠点を求めて海外に向かうしかないと思っている。「あいつは国を捨てた」「非国民だ」と後ろ指をさされようが、愚行の極みである人の殺し合いには関わりたくないのだから仕方がない。

 『もしも日本が戦争になったら』は、性質の悪い妄想と思われるかもしれない。が、私たちが平和で安全な社会に浸りきっていて、リスクマネジメント感覚が十分に養われていない面は否定できないだろう。藤原ていさんの言葉は、それを自覚させてくれるものだった。今日は最後に、日常生活に目を移した時に参考になりそうなていさんのリスクマネジメントの考え方を紹介して、筆を擱こうと思う。

《玄関に脱ぎっぱなしになっている息子たちのわらじのように大きな靴を私が片づけたりしていると、「美子さん、靴は片づけないで置いておきなさい。屈強な男の子たちの居る家と知れば、強盗も押し入ったりできませんからね」と母によく言われたものである》

(『夫の悪夢』(2010年発行、藤原美子著、文藝春秋))

(2016年6月19日記)

2016年6月18日 (土)

レジセルフ化の波と『機械との競争』

 今月7日のことだったと思う。よく行くディスカウントストアの風景が一変していて驚いた。店内を見渡すと、真新しいレジが整然と並んでいる。「今までのレジは確かに古かったな」と思いつつ、買い物かごを持ってレジに並んだところで、ようやくあることに気付いた。

 セルフレジが導入されたのである(正確には、このディスカウントストアでの呼称はセミセルフ精算)。店内全部がこれに一斉に切り替えられたわけではないが、幾つかのレジでは、商品のバーコードを読み取るところは従来通り店員が行なう一方、続く買物代金の精算は、駅で切符を買うような要領で、お客自身が会計レジでやるようになっていた。最初のうちは、慣れないお客が出ることも想定されていたのだろう。システム会社からと思われるスタッフが後方に何人も控えていた。

 
『機械との競争』(2013年発行、日経BP社)という本がある。デジタル化、自動化のスピードがあまりに速いために、雇用が奪われること(=テクノロジー失業)を指摘した内容だが、この中に、《小売業界では自動化の動きが急速に進んでいる》とするアメリカの新聞記者の報告を引用した次のような一節がある。

《「小売業と言えばアメリカ人の10人に一人近くが働いており、長いこと雇用創出源として頼られてきた。ところがその業界で、より多くの商品をより少ない人手で売ろうとする試みが拡がっている。たとえばカスタマーサービス係に代わってバーチャルアシスタントが導入され、売店やスーパーマーケットではセルフレジが普及してレジ係の需要が減りつつある》

(『機械との競争』(2013年発行、エリック・ブラインジョルフソン、アンドリュー・マカフィー著、日経BP社))

 これは私が見たものと符合しているではないか。私は最初、一人の買い物客としてしか、このセルフレジを観察していなかったが、今後他の量販店などに広がっていけば、雇用への影響が避けられなくなる可能性があると思うようになった。端的に言えば、レジで働くパート、アルバイトの仕事が減るということである。

 ここで、量販店で過去に見られた買い物袋有料化の流れを思い出した。数年間になろうか、私の住んでいる地域では、ある時まで買い物袋がタダで配られていたが、あるスーパーが“原則有料”を打ち出し、買いたい人には1袋数円で販売し始めてから、競合店が追随し始めた。そのうち、近隣の殆どの量販店で、買い物袋はお金を払って買うものになった。このように、デファクトスタンダードは固定的なものではない。卑近な例を出してみたが、オセロゲームのように、一気に塗り替わることもあるのだ。

 どういう職種や仕事が、将来的に機械との競争を余儀なくされる可能性が高いのか、自分に当てはめるとどうかは、日頃から問題意識を持っていた方がよいだろう。「こんなはずじゃなかった」と気付いた時には、もう手遅れだからである。なお、先の『機械との競争』には、少々意外感のある以下のような記述がある。

《いまのところ人間がまさっているのは、じつは肉体労働の分野である。人型ロボットはまだひどく原始的で、こまかい運動機能はお粗末だし、階段を転げ落ちたりする。したがって、庭師やレストランのウェイターがすぐに機械に取って代わられる心配はなさそうだ》

《体の動きと知覚とをうまく組み合わせる必要のある肉体労働は、基本的な情報処理よりはるかに自動化しにくい》

(同上)

 私は「肉体労働か」と思った。言われてみれば、庭師やウェイターの他にも、引っ越し(事務所移転)の運搬や各種試験の監督など、きめ細かく身体を使いつつも、人(顧客)とのコミュニケーションや臨機応変の判断力を伴う仕事については、まだまだ自動化されるイメージはない。

 
“身体が資本”というのは、当たり前のことながら、よく耳にする言葉である。だが、こと労働に関して言えば、機械との競争の可能性を考えると、言葉以上の重みがあるのかもしれない。身体がちゃんと動く限り、両手を挙げて降参という事態にはならないのだから。

(2016年6月18日記)

2016年6月17日 (金)

期待される『もーさん』のつらさ

 15日の深夜。半月ぶりに妻と一緒に体重計に乗った(もちろん、別々にである)。妻は同窓会を終えて暫く経ったため、少々気が緩んだらしい。この点妻は十分に自覚していて、同窓会後もほぼ毎日“ストイックタイム”を続けていたにも関わらず、案の定、体重や体脂肪率などの数値が悪化した。私の数値が少し改善したのとは対照的だった。

 順番に体重計に乗って、表示された数値をパソコンに入力した後、一応私は“身体を揉んでもいいよ”オーラを出してあげていた。なので、妻はすぐに布団に向かって倒れ込んで、私に熱い視線を浴びせ始めた。

妻:「今日は『もーさん』、来るよね?」

私:「『もーさん』が揉んでも、体重は減らないよ。筋肉の疲れは取れるけど」

妻:「揉んだら脂肪燃えるよぉ。燃焼系でお願いします」

私:「燃焼系は無理っ」

妻:「わかった!揉んであたしだけ数値が良くなると困るんでしょ!」

私:「……」

 妻の信念は異様に固い。揉まれれば痩せると信じて疑わないのである。この日私は「……」のあとに黙って揉み始めたが、腕に力を入れて妻の身体を押したりさすったりしている私の方が、揉み=トレーニングになって、体重が減り筋肉が付きやすいに違いない。だから数値が逆方向に振れるのだと思う。

 
そういえば以前、揉んでいる最中に妻に、「結果にコミットして!」と言われたことがあったのを思い出した。日々妻に献身的に尽くしている奇特な夫にも、できることとできないことがあるのである。そこを理解してもらいたいのだが、まだいい方法が見つかっていない。

(2016年6月17日記)

2016年6月16日 (木)

家族写真入りの年賀状

 家族についての話をもう少し続けてみたい。昨日の『家族という病』(下重暁子著、幻冬舎)には、次のようなことも書かれている。

《私は、家族写真の年賀状があまり好きではない。善意であることは間違いないし、たくさんいただくので差し障りはあるのだが。

 幸せの押し売りのように思えるからだ。家族が前面に出てきて、個人が見えない。感じられない。お互いの家族をもともと知っている場合は別として、私はよその家族を見たいと思っているわけではない。へそ曲がりといわれるかもしれないが、頼んでもいないのに子供の写真を見せられるのに似ている》

(『家族という病』(2015年発行、下重暁子著、幻冬舎))

 私自身は下重さんの言うように、《家族写真入りの年賀状は幸せの押し売り》とまでは思わないが、幸せそうな姿の見せびらかし、という面はあるように思う。私も、面識がなければ友人、知人の家族であっても基本的に関心がないから、家族の写真を見てもその残像が脳内に焼き付けられることはまずない。

 「じゃあ、家族写真が飛び交う年賀状は何のためにやっているの?」と聞かれそうだが、“年に一度の生存確認と住所確認”を行うためと思っている。それ以上に何か連絡を取る必要が出てくれば、個別にメールや電話などでどちらかがコンタクトすればよい。

 もちろん私は、「家族写真入りの年賀状は送ってこないでほしい」と願っているわけではない。“年賀状は家族を含めて近況を相手に報告するもの”と位置付けている人には、家族写真を載せるのは自然なことだろう。また、文章を書くのが苦手な(面倒な)人にとっては、写真の活用は作文の負担を減らすメリットがある。

 このように、送り手にも色々と考え方があるだろうから、私に文句をつける筋合いはない。ただ、私自身の嗜好として、家族写真入りの年賀状をじっくり見ることはない、というだけである。

 最後に一つ付言しておきたい。下重さんは《家族写真入りの年賀状は幸せの押し売り》と仰ったが、私は「写真を撮って送ってきた家族が幸せとは限らない」と真面目に思っている。幸せそうに見せているだけかもしれないし(≒虚勢を張った対外的な幸せアピール)、入学式、卒業式といった家族の人生節目の儀式で、親が記念に撮っておいた家族写真なだけかもしれない。だから、家族写真と家族の幸せをリンクさせて私は理解していない。

 想像するに、家族全員が幸せを感じている家庭はそう多くはないし(恐らくは少数派)、人が幸せかどうかは当人が心の中で感じることであって、写真を見ても私には感知できないものである。下重さんと違って私が家族写真入りの年賀状に“不感症”気味なのは、こういう考え方のせいだと思っている。


(2016年6月16日記)

2016年6月15日 (水)

『家族という病』

 『家族という病』(下重暁子著、幻冬舎)という本を読んだ。私にはかなり共感できる内容であった。私がもしも同じような切り口で文章を纏めるならば、タイトルは『家族という幻想』と付けそうだが、主張は似たようなものになる気がした。

 この本では、著者の下重暁子さん(元NHKアナウンサー)と父親の関係性が語られている。下重さんの父親は亡くなっているが、病院に臥せっていた父親を見舞ったのは、容態が急変したとの知らせを受けて駆け付けた、亡くなる直前であったという。それより以前に、父親の主治医から手紙が届いたくだりが記されている。

《分厚い封書の中身は、私を非難するものでした。

「あなたは、テレビの中でいつも優し気に微笑んでいる。たくさんの人々があなたの笑顔にだまされているが、なんと冷たい女なのだ。結核病棟に老いの身を横たえている父親を一度も見舞いに来たこともないではないか」

私は主治医からの手紙を無視しました。返事もせず、行動も起こしませんでした。私は怒っていました。

「父娘の確執など第三者のあなたにわかるはずがない。世の中の常識で物を言って欲しくない」

忘れかけていたあなた(父)への屈折した気持ちを思い出し、お節介な医師のいる病院へ行くことをますます拒否したのです》

(『家族という病』(2015年発行、下重暁子著、幻冬舎))

 私はこの部分を読んで、下重さんに激しく同意した。人との関係性、とりわけ家族との関係性は、他人に踏み込んでほしくないデリケートな領域なのだ。病気の父親の手当てをしている医師とて、そこに立ち入る権利はないはずである。世の中で当たり前のように使われる「家族なのだから……」という論法には、私も抵抗を感じる。“確執”という表現が適しているか分からないが、私自身、家族については複雑な感情を抱いているところがある。

 下重さんは、家族のことで悩んでいる人に有益と思われる、アドバイス的な考え方を示されている。今日はその幾つかを、骨となる一文だけ取り上げ紹介して筆をおくことにしたい。

《やはり家族に期待してはいけないのだ》

《相手に期待する前に自分でやればいいではないか》

《家族は暮らしを共にする他人と考えた方が気が楽である》

(『家族という病』(2015年発行、下重暁子著、幻冬舎)) 

(2016年6月15日記)

2016年6月14日 (火)

再び再び舛添都知事

 個人的に何の恨みもない(再掲)。標的にするような理由は一つもない(再掲)。ただ、昨日行われた東京都議会総務委員会の集中審議での舛添都知事の発言を読んで、またも強い違和感を覚えたから、しつこく書いておくことにした。

《もし、私への不信任が可決されれば、私が辞任するか、議会を解散するかという選択をすることになる。いずれにしても選挙になる。選挙の時期はどうしてもリオ五輪、パラリンピックと重なる》、《選挙はリオで重なるので、そういうものはどうしても公益にそぐわない》とのこと。この期に及んで“公益”という言葉が飛び出したのには驚いた。大切な税金を高額出張で費消することは、“公益”に叶った行為だったのでしょうか。「都知事の政治資金問題が長引いて都政が停滞していること」こそが、公益を損ねているのではないでしょうか。

《何人かの委員のみなさんがおっしゃっているように、不信任案を提案したいとの発言もありました。極めて重く受け止めている》とのこと。各種アンケートで有権者の圧倒的多数が辞任を求めるなか、都議会で不信任案の声があがっているのを「極めて重く受け止めている」のに、責任を取らない(辞意を表明しない)というのは、本当は「極めて重くは受け止めていない」ということではないでしょうか。

 最後に、《どうかこの時期を猶予していただき、その上でふさわしくないというご判断をなさるときは不信任案を出してもらえればと思う》とのこと。この発言も、“期待感”が滲み出ていて、素直には読めない。「今は私の問題ばかりが過度に報道され、バッシングの嵐になっている。時間をおいて冷静になって判断してもらえれば、不信任案が提出されるような事案ではない」というのが、ご当人の真意ではないでしょうか。

 ああ、またしても一気に書いてしまった。すらすらと文章が書けても、一抹の後味の悪さは感じている。

(2016年6月14日記)

2016年6月13日 (月)

再び舛添都知事

 個人的に何の恨みもない。標的にするような理由は一つもない。ただ、9日に遭遇した人身事故で、再び舛添都知事のことをある脈絡から思い出してしまった。説明をするとこういうことである。

 事故や故障で電車が遅延するたびに、「東京の人は紳士的だなあ」と私は感じる。ここで言う“東京の人”とは、東京生まれ東京育ちといった狭い意味ではなく、東京を生活拠点ないし勤務地とする人々の意である(かなり広義である)。遅延が生じても大抵の場合、東京の人は整列した状態で静かに電車が来るのを我慢強く待っている。感情的になって不満をぶちまけたり、横暴な振る舞いに出る人は稀である。これは文化的に見て、東京の人が持つ矜持なのかどうか私には分からないが、とにかく現象としては、紳士的で素晴らしいと思う。

 比較的最近読んだ本に、『イギリス、日本、フランス、アメリカ、全部住んでみた私の結論。日本が一番暮らしやすい国でした。』(2014年発行、オティエ由美子著、リンダブックス)というものがあった。この中で国民性の興味深い比較が行われていて、《イギリス人は大変な状態になっても動じたり慌てたりしない》という趣旨のことが書かれていた。それこそかつて世界で覇権を握った大英帝国の誇りを受け継いできたせいかもしれないが、緊急時における東京の人の振る舞い方と通底したものがある気がした。

 
“紳士的”というのは、換言すればスマートさと言ってもいい。ここで話は舛添都知事に戻る。政治資金使途問題で数々の問題点が明るみになり、都民の信頼を失い、不適切な支出を第三者の専門家に認定され、さらに都議会からの追及を受け、それでもなお都知事の職に留まりたいとするのは、見苦しいと言わざるを得ない。まったくもってスマートではなく、紳士的とは程遠い姿を晒している。これもまた、紳士的でありスマートさに価値を置いている多くの都民の目からすれば、“都知事に相応しくない”という評価に繋がっているのだろうと私は感じた、というわけである。

 そういえば、先日駅構内で、列に割り込んできた男性に向かって「順番に並んでますよ!」と強く抗議した私は、こんなブログを書きながら、自らを“紳士的”と称する資格はないのかもしれない。通算すれば東京には随分と長く暮らしたのだが、念のため東京の人ぶるのはやめることにしよう。

(2016年6月13日記)

2016年6月12日 (日)

いつになく攻撃的な私

 人身事故で電車が止まった9日の夕刻、妻と私は首都圏近郊の某駅構内で落ち合って、改札を出ることにしたのだが、その際ちょっと面倒なことが起きた。妻はそこが乗車駅で、回数券を使って入っていたため、それを取り消してもらう必要があった。そのため改札に向かったが、すでに長蛇の列ができていた。ダイヤの乱れで、何かしら手続きが必要な人たちに違いなかった。

 妻はその列の最後尾についた。私が辺りを見回すと、案内係とおぼしき女性駅員の姿が目に入った。「長蛇の列に並ばずに済む方法はないものか、一応聞いてみよう」と思って近づくと、他にも質問者が集まってきていて、女性駅員の前にも小さな列ができてしまった。私は2番目の順番で待つことになった。

 すると突然、どこからともなく背の高い中年男性が近づいてきて、その駅員に後ろから話しかけてきた。割り込みである。私は殆ど反射的に、彼を遮るべく大きな声を発していた。

「順番に並んでますよ!」

 
普段の私ならば、行動を起こす前に、善悪とか損得とかその先の展開とかをじっくり考えるのだが、この時は違った。考えるよりも先に、「順番に並んでますよ!」と抗議していたのだ。その男性は、私に気圧されたのか、質問の言葉を繋げられずに、すごすごと列の後ろについたのだった。

 
私の心に“してやったり”感は生まれなかった。それはなぜかを振り返ることにした。私の中で、その男性の“人物分析”は始まってもいなかった。もしも彼が喧嘩早かったり、癇癪持ちであったら、言い争いになったかもしれない。そう思うと、なぜ私がいつになく攻撃的になったのかは、自分でも不思議である。「正義感が強かったから」と格好良く言いたいが、本当のところは「早く改札を出て美味しい刀削麺を食べたかったから」かもしれない。

(2016年6月12日記)

2016年6月11日 (土)

麺はどこへ消えた?

 9日のこと。妻も私も仕事でそれぞれ外出していたのだが、夕方、利用していた電車の路線で人身事故が発生し、二人とも一時立ち往生した。帰宅してから食事を用意すると遅くなりそうに思えたので、二人が合流できる一番近い駅でかろうじて降り、外食してから徒歩で帰ることにした。

 その駅の近くには、前から二人で行ってみたいお店があった。中華料理店で、『刀削麺の王様』という、その名の通り刀削麺が売りのお店である。刺激のあるものを食べたかったので、二人とも麻辣麺(マーラーメン)を注文し(私は麺を大盛にした)、口をヒリヒリさせながら美味しく頂いた。

 問題はその後である。食後の運動も兼ねて、二人で数十分歩いて帰宅。尾籠な話で恐縮だが、私はほどなくして便意を催しトイレに駆け込んだ。食べたのと同じ分だけ外に出ていけば、体重は変わらず太らぬはずである。しかし私の後、何時間経っても、妻がトイレに立つ気配がない。そのまま寝る時間を迎えてしまった。

 翌朝、日頃から体重および体型を気にする妻は、目が覚めて開口一番、こう口にした。

「麺はどこへ消えた?」

「知らんがな~」と私は思ったが、何も言えなかった。あの刀削麺、妻の身体のどこかに取り込まれたに違いない。「妻の代謝を良くしなければ……」 やはり今後も“ストイックタイム”は止めてはいけない、と意を強くした。

(2016年6月11日記)

2016年6月10日 (金)

記者の無神経

 昨日取り上げた小学2年の男児が、入院していた病院から退院した時のこと。その様子がテレビやネットで流れたが、記者からのものだろう。車に乗り込もうとしていた男児に向かって、「ヤマトくん!」と女性の親しげな声が飛んだ。それから、二人の間で次のようなやりとりが行われた。

記者:「学校に早く行きたい?」

男児:「行きたい」

記者:「運動会ももうすぐだね」

男児:「はい」

記者:「楽しみ?」

男児:「楽しみです」

 ああ、なんというひどい会話だろう、と私は思った。「学校に早く行きたい?」、「(運動会は)楽しみ?」という質問は、「いいえ」という返事が許されないものだ。暫く行けていなかった学校へは“行きたい”が正解であり、皆が待ってくれた運動会は“楽しみ”というのが正解なのである。仮に、男児が学校嫌いや運動会嫌いであっても、こう答えないといけない場の空気というものがあった。

 だから、この質問を立て続けに投げかけた記者は、私に言わせれば無神経である。さらに言えば、この時ご両親は病院への挨拶のためか後方にいて、男児は一人きりになっており、親の目の届かぬそういう状況を利用したという意味で、この記者はずるいという印象を私は持った。

 私自身は、学校は嫌いではなかったが、行きたくて仕方がないと思ったことはなく、運動会も強制的に競わされて見せ物にされる感じが不自然に思えたから、心待ちにしたことはない。男児と同じようなシチュエーションで、同様の質問をされたなら、模範解答をする自信はない。この男児も、もし期待された反応をしなかったなら、「世間を騒がせた上に、状況がよく分かっていない子」と世間から冷たい目で見られかねなかったところである。こう考えると、記者の質問がいかに無神経で危ういものだったかが分かるだろう。

 そっとしておくのが理想だが、マスコミに「一切質問するべきでない」とまで言うつもりはない。ただ、こういう場合の質問は、はい・いいえの二択で迫るものではなく、「~は何ですか」「~どうですか」といった“開かれた質問”の方がはるかに好ましいと言える。その方が、答えないという選択肢も含めて、聞かれた人が自由に答えられるからである。

 この一件、もう終わりとしよう。この男児は芸能人や公人ではないのだから、やはりそっとしておくのが一番である。

(2016年6月10日記)

2016年6月 9日 (木)

小2男児のたくましさ

 親のしつけが原因で、小学2年の男児が北海道七飯町の山中で行方不明になり、6日ぶりに保護された一件について、少し書いておきたい。「事件性なし」ということもあり一件落着、メデタシメデタシだが、一連のニュースを見て私の頭に二つの思い出が蘇ってきた。

 一つは、私が小学1年か2年の時、学校の帰り道に、近所に住む同級生の男の子1人、女の子1人と3人で雑木林に探検に行ったことである。時間など気にせず遊んで、日が暮れてしまったころにのこのこと家の近くまでやってきたのだが、大勢の大人が道に出て集まっており、ただならぬ雰囲気である。私の親をはじめとして、「子供たちが帰ってこない」とお騒ぎになっていた。“行方不明”となっていた私は、その夜家で親から怒られたかどうか全く覚えていないが、夜七時頃だったか、五歳年上の兄が心配する大人に混じって、自転車にまたがって私を探していたのは記憶に残っている。

 二つ目の思い出は、大学時代のものである。福井県に住んでいた中学からの友人のもとへ遊びに行った時のこと。誘われて名所の東尋坊に一緒に向かい一周したのだが、再び夜に車で訪れた時は東尋坊の威容に圧倒された。確か陸側から橋がかかっていたと思うが、その向こうに巨大な黒色の塊があって空間を支配していた。日中は単に緑の森にしか見えなかった東尋坊が、夜は恐ろしくて近づく気すら起きなかった。真っ暗な自然を前に、ただただ恐怖を感じた。

「進んでいけば、きっと戻ってこられないに違いない」

 以上の記憶が蘇った後、北海道の男児がたくましく思えて仕方がなかった。たった一人で山の中を歩き続けたことも、真っ暗な夜を一人で何夜も過ごしたことも、子ども離れしている。この子が置かれた環境は、大人だって心細さのあまり、泣いたりへたり込んでしまうようなものに思えるのだ。

 今回の一件は、事の大きさに比して世間が騒ぎすぎた感があるが、あまりに稀有な体験は男児の記憶に間違いなく残るに違いない。これからの人生において、何かプラスに作用すればいいが(例えば、孤独に耐える自信がついた)……などとお節介にも思った次第である。

(2016年6月9日記)

2016年6月 8日 (水)

妻の決心

注目していた今月3日の将棋棋聖戦第1局。羽生善治棋聖が挑戦者の永瀬拓矢六段に敗れた。五番勝負の初戦を落としたのは痛いが、内容もいま一つだったようだ。今回の敗戦で羽生さんは、公式戦6連敗となった。通算勝率7割超を誇る羽生さんにとって、これは恐らく連敗のワースト記録だろう。来週末の棋聖戦第2局に向け、今後短期間で立て直せるか、ファンとしてはとても心配である。

 
第1局の結果を妻に伝えた時、予想されたことではあったが、妻はがっくりときた。そして暫くして、こう宣言した。

「あたし、羽生ちゃんを応援するの、やめる。将棋はもう観ない」

 妻曰く、羽生さんの敗戦の報を聞くたびに、胸が痛くなり耐えられないという。私はそこまで辛くはならないが、将棋と距離を置きたくなる気持ちはよく分かる。ファン心理はそういうものだと思う。妻の変化を受けて私は、日本将棋連盟のホームページで発表される棋士の対局結果を妻に逐一報告するのを控えることにした。言えばまた、羽生さんのことを思い出すに違いないからである。

 毎週日曜日は、NHKの将棋トーナメントが放送される日で、今月5日は私が子どもの頃から大好きな谷川浩司九段が対局者だった。いつもなら、遅くとも翌月曜日には、録画した対局を再生して観るのだが、今週はグッと我慢してまだ観ていない。谷川九段の勝ち負けが気掛かりだが、妻が家にいない時間を見計らって、ひっそりと観るしかないと思っている。

(2016年6月8日記)

2016年6月 7日 (火)

舛添都知事の記者会見(6日)に思う

 昨日開かれた、舛添要一都知事の記者会見の様子をニュースで見た。自らの政治資金問題をめぐり、第三者として調査を依頼した弁護士二人がどういう判断をするかが注目されたわけだが、問題視されてきた支出の多くが、「不適切だが違法ではない」と判定された。まあ、そうであろう。これは専門家の手を煩わせるまでもなく、殆ど常識的に導かれる結果だという印象である。舛添さんは、要は、「違法ではない」という点につき、とにかく専門家のお墨付きを得たかったのだろうと想像する。

 反省した舛添さんは「公私の区別を明確にし、信頼を少しでも取り戻すべく、粉骨砕身、都政運営に努めていきたい」と述べ、知事職を続ける意向を改めて表明されたが、信頼回復や粉骨砕身といった決意への有権者の関心は薄いと思う。今回の政治資金問題の内容と舛添さんの対応の仕方(説明責任の回避)から、「知事に相応しい人物ではない」「知事を務める資格がない」ことがはっきりした時点で、もう“アウト”と言わざるをえない。不適切な支出を返金すれば済むものではないし、けじめをつける意味で美術品を寄付しようが、別荘を売却しようが、知事職に求められている資質の欠如を埋め合わせることにはならない。はっきり言えば、辞職するのが筋であって、それでももう一度都知事として仕事をしたいならば、改めて都知事選に出馬すればいいだけのことである。

 
最後に。もっとも、このような舛添知事から、私たちが見習える点もないわけではない。これだけマスコミや有権者から“袋叩き”にあいながらも、なお続投しようとする神経の図太さには恐れ入る。総じて打たれ弱いひ弱な現代人には、生きていく上で大いに参考になる“資質”と言えるかもしれない。

(2016年6月7日記)

2016年6月 6日 (月)

読書で抱く思わぬ感想

 本を読んでいて、本文以外の箇所で思わぬ感想を抱くことがある。最近立て続けにそんな経験をした。一冊目。あとがきにあった次の一文に「ん?」と思った。

《あなたにも幸せになっていただきたいと願って、この本を書かせていただきました》

(『ヒマラヤ聖者の太陽になる言葉』(2015年発行、相川圭子著、河出書房新社))

 これは、読者を“あなたは幸せではない”と決めつけているかのように感じた。著者の人となりまでは分からないが、へそ曲がり人間の私は、こうした文章を書けるのはよほどの善人か、よほどの自信家か、よほどのペテン師的才能の持ち主か、よほどの勘違い人間かと思ってしまった。少なくとも私は、会ったこともない人に向かって、「あなたにも幸せになっていただきたいと願って……」とは、歯が浮くような感じがして、発することができない。

 二冊目は、著者プロフィールにあったくだりである。

《土屋賢二 1944年岡山県玉野市生まれ。(中略)35年にわたって哲学を教え、現在、お茶の水大学名誉教授。哲学のかたわら、50歳のときユーモアエッセイ集「われ笑う、ゆえにわれあり」(文春文庫)を出版したのを皮切りに、(中略)多数のユーモアエッセイ集と、(中略)少数の哲学書を発表、いずれも好評のうちに絶賛在庫中。他に「幸・不幸の分かれ道-考え違いとユーモア」(東京書籍)(中略)などを矢継ぎ早に発表し、在庫に花を添えている》

(『哲学者にならない方法』(2013年発行、土屋賢二著、東京書籍))

 こちらは、真面目が当たり前の著者プロフィールにおいて、《絶賛在庫中》、《在庫に花を添えている》というのがスパイスが効いていて、たまらなく可笑しかった。こんな秀逸なユーモアセンス、ブログでつい批判や皮肉が多くなりがちな私にもあればなぁと思った。

(2016年6月6日記)

2016年6月 5日 (日)

最近私に取り付いた価値観

 いい大人になると、人間なかなか価値観が変わることはない気がするが、このところ私に取り付いた価値観がある。それも、一過性のものではなく、私の生き方や人間関係を大きく左右する骨太の“効果”を生みつつある。ブログで今までに何度も取り上げたことがある生物学者・池田清彦先生の《依って立つ原理》に触れて、その考え方が根付きつつあるのだ。先生は多年にわたり何冊もの著書で紹介されているが、まずはその原理の説明から始めよう。

《私が依って立つ原理は極めて単純で、次のようなものだ。

「人々が自分の欲望を解放する自由(これを恣意性の権利と呼ぼう)は、他人の恣意性の権利を不可避に侵害しない限り、保護されなければならない。但し、恣意性の権利は能動的なものに限られる」》

(『正しく生きるとはどういうことか』(1998年発行、池田清彦著、新潮社))

《(能動的というのは)他人を愛する権利、他人を無視する権利、アホなことをする権利などを有するが、他人に愛される権利とか、ちやほやされる権利とかはないのである》

(『世間のカラクリ』(2014年発行、池田清彦著、新潮社))

《私の人生なのだから、どのように生きようと勝手だ、というのはまさにその通りなのだが、ここには他人の恣意性の権利を侵害しない限りという条件がつく。但し、恣意性の権利は能動的なものに限られる。これは池田流リバタリアニズムの公準である》

(『心は少年、体は老人。』(2015年発行、池田清彦著、大和書房))

 “他人の恣意性の権利”というのが少々分かりにくいが、池田先生によると、例えば、修学旅行の待ち合わせ時間に遅れてきた生徒は、特に責められる必要はないという。なぜなら、他の生徒たちはこの遅刻者を待たずにさっさと出発すればよいからである。つまり、他の生徒たちの能動的な権利を侵害しているわけではない、ということである。日本社会の通説的な価値観、常識では、待ち合わせに遅れた人は、“みんなに迷惑をかけた人”として、当然に責められることになろう。しかし、池田先生の考え方に依れば、これも自由として許されることになる。

 この原理が私にどのように影響するかを書いておこう。私は結構、大勢の人と会うのを面倒がるところがある。その際の理由は多種かつ複合的であって、「その人との会話がはずまない(楽しめない)」、「緊張する」、「過去に(特定の人と)嫌な経験をした」、「プライベートにつきやたらと聞かれるのが不快」、「(会うことの他に)もっと楽しいことがある」等々である。そういった真の理由を前面に出すのははばかられるため、明かさないまま人の集まり(例:飲み会)を遠慮することがあるのだが、これを正当化するロジックとして、池田先生の考え方がピッタリくることに気付いたのである。私がそういう会への参加を断ったところで、その会は私抜きで開くことができるから、“他人の恣意性の権利”を侵害したりはしていない。

 まるで書きたい放題の今日のブログを読んで、不愉快に思った人が仮にいたとしても、私に責められるところはない。嫌ならば、その読者は読まないようにすればいいのであって、読者の方の権利を侵害していないはずである。そして、私の文章には「読まれる権利」(受動的な権利)はないが、「書く権利」(能動的な権利)は存在するのだ(←とても高慢な態度に見えるけれど)。

 
以上が、『最近私に取り付いた価値観』である。他人はこんな私を気に入らないかもしれないが、私はかなり大きな精神的自由を得た気がする。人生の後半戦を楽しく生きるための武器として、是非活用したい。


(2016年6月5日記)

2016年6月 4日 (土)

十代に伝えたい職業選択の指針

 好きなことを仕事にできればいいのに、とは多くの人が思うことである。これに関連することとして、古くは、『人生の最大幸福は職業の道楽化にある』という林学博士・本多静六氏の一文が有名で、私には大いに頷けるところである。好きなことを仕事にする、また、仕事が楽しくて仕方がないというのは、幸せなことに違いない。が、ちょっと異なる逆説的な見方もある。それは、端的に言えば「好きなことを仕事にするな」という主張である。

 この点につき、『マツ☆キヨ 「ヘンな人」で生きる技術』(マツコ・デラックス×池田清彦著、新潮社)という本の中で、池田清彦さんとマツコ・デラックスさんが、意見の一致をみている。

《池田:趣味が仕事になっちゃうと大変なんだよな。(中略)好きなことを仕事にしちゃうと、仕事以外に好きなことがなくなっちゃうから、大変なんだ》

《マツコ:ほんとにそうよ。仕事が楽しいわけがないのよ。「仕事が楽しい」なんて言っている人はね、ちゃんと仕事をしていない! 仕事はね、疲れるものなのよ!》

《池田:まったく、その通りだな。虫捕りにしても、仕事にしてしまうと大変だろうなと思うもの》

(『マツ☆キヨ 「ヘンな人」で生きる技術』(2014年発行、マツコ・デラックス×池田清彦著、新潮社))

 ここからは、私が思うようになったことだが、結論を先に言えば、“好きなこと”と“得意なこと”を一つずつ持ち、“好きなこと”を一生の趣味に、“得意なこと”を職業にするのがよいと思う。例えば草野球のように、野球が好きだがプロレベルに達していなければ、趣味の範囲で続けるのが幸せだろう。語学が“得意”であれば、語学を使う職業に就くのが幸せに繋がる可能性が高い。ここでいう“得意”というのは、人よりも高いパフォーマンス(アウトプット)を容易に発揮できる、という意味である。

 自分の十代を振り返ると、好きなこと、得意なことの切り分けと認識が希薄だったばかりか、職業との繋がりを考える知恵も働いていなかった。こういうスタンスだと、仕事も人生も巡り合わせや運任せといった感じになるように今は思える。

 一般に日本人には馴染みのない視点だが、毎日「自分は楽しんでいるか?」「ハッピーか?」という自分への問いかけが欠け気味という印象を受ける。私など気付くのがちと遅すぎたが、若い人であれば、「毎日楽しいと感じられる人生にするにはどうしたらいいか」を念頭に置いて、早いうちから職業について考えてみてはどうだろうか。その際に参考になると私が思うのが、先に書いた「好きなことは一生の趣味に、得意なことは仕事に」である。

 ここで少し補足だが、“得意”なことをそのまま職業にする、と狭く捉える必要はない。手先が器用でものを作るのが得意なら、ハイテク分野から伝統工芸までものづくりの道もあれば、料理人という選択もありえる。絵を描くのが得意なら、画家のみならず、漫画家でもデザイナーでもよく、何か描くことに関連した世界であれば十分である。広い意味において“得意”なこととの繋がりを理解するだけで、職業の選択肢はかなり広がると思う。

 今の十代の若者はどのように職業を見ているのだろうか。『我が心の遍歴』などという古めかしく胡散臭い(?)ブログを読む人は少ないだろうなーと思いつつ、今日は思うところを書いてみた(参考になったと感じる人が一人でもいれば嬉しい)。本当のところは、昔の自分に耳打ちして教えてあげたい内容である。

(2016年6月4日記)

2016年6月 3日 (金)

私と妻の気掛かり

 5月31日の夜、我が家は暗い空気に包まれた。妻は夕食後、「あーあ」を連発してため息をつく。私も元気が出ず、何かをする気にならなかった。この日行われた将棋名人戦第5局で、羽生善治名人が失冠したためである(これに伴い、名人・王位・王座・棋聖の4冠から3冠へと後退した)。

 新名人となったのは、佐藤天彦八段。タイトル戦への挑戦は三度目だったから、まさに三度目の正直であった。天彦さんは、順位戦で最上クラスのA級入りを果たした後、すぐに名人への挑戦権を獲得し、この度4勝1敗で羽生名人を押し切った。将棋界にとても強い棋士が出てきたこと、新たなスターが誕生したことは、素直に歓迎すべきことだと思う。

 が、その一方で私は、二十八歳の佐藤天彦新名人に屈した四十五歳の羽生さんの調子が心配になる。先に行われた竜王戦の予選では、同じく若手強豪の豊島将之七段に敗れて、今年度の竜王戦本選への出場権がなくなっていた。竜王というタイトルへの挑戦の芽がなくなり、保持していた名人というタイトルを失冠し、そして今日は朝から棋聖戦の防衛を賭けた戦い(五番勝負の第1局)が始まる。羽生さんは百戦錬磨とはいえ、スケジュールがタイトななか、上手く気持ちを切り替えられるか、ファンとしては気になって仕方がない。

 
棋聖戦の相手は永瀬拓矢六段。二十三歳の伸び盛りの若手で、初めてのタイトル戦登場となる。ここに、羽生ファンから見て気になるデータがある。それは、過去の羽生-永瀬戦は3局あり、全て永瀬六段が制していることである。対局数がそもそも少ないので参考程度の情報だが、永瀬六段が「第一人者の羽生さんには歯が立たない」というコンプレックスを持っていないことは大きそうに見える。

 もしも羽生3冠が棋聖をも失うことになれば、棋力の陰りを指摘する向きが増え、「“羽生世代の終わり”の始まり」とでも称されるようなターニングポイントとなるかもしれない。同じ四十代後半の私としては、羽生さんに是非踏みとどまってほしいと願っている。

【追記】

 名人戦が決着した翌6月1日の夜も、妻は唐突に「あーあ」とため息をついた。そして、「さて、何の「あーあ」でしょう?」と聞いてきたので、「羽生ちゃんのことでしょ」と解答すると、あっさり「正解です」ときた。その声は元気がなかった。妻は案外引きずるタイプなのであった。

(2016年6月3日記)

2016年6月 2日 (木)

雇用条件が引き上げられる話

 面白いもので、昨日とは逆に、条件が引き上げられるような体験もした。別の派遣会社でのこと。ある仕事に応募して採用の回答を待っていると、数日して「最近、仕事の現場が増えてきたため、○○○ポストのスタッフが不足しています。そこで、経験豊富な皆様に、○○○業務のご協力を頂きたく……」という、思わぬメールが返ってきた。

 これは大変そうなポストに見えて少し躊躇したが、雇用条件が当初の『時給:Y円』から『時給:Y円+300円』へと良くなっていたため、気を良くした私は好感し、この話を受けてもよい返事をした(時給が下がっても上がっても引き受けようとする私は、意外と融通無碍な人間かもしれない)。

 この派遣会社の“変心”は、決して私が高く評価されていることを意味しない。昨日の引き下げのエピソードと共通するのだが、要は労働力の需給を反映してのことである。人手に余剰感が出れば雇用条件は悪化の方向へ動き、人手が逼迫すれば雇用条件は良くなる方向へ振れる。それが端的に現れた事象にすぎない。そして、ここで大切な確認事項は、短期で働く人の待遇は、こういう外的要因(変化)に大きく左右される構造の中にある、ということである。

 暫くして、件の派遣会社から採用の通知が来た。中身を見ると、ポストは当初と変わらず、『時給:Y円』のままであった。○○○ポストには、誰か他の人がアサインされたということだろう。「こんなことなら、最初から期待を持たせるオファーをしないで」と言いたくもなったが、世の中自分の思い通りに事は運ばないものであるから、不平不満まで抱いてしまうのは筋違いというもの。私もそこはさすがにわきまえているつもりである。

(2016年6月2日記)

2016年6月 1日 (水)

雇用条件が引き下げられる話

 以前、「こんなことがあるのか」と思う経験をした。ごく短期の仕事の求人に応募したところ、派遣会社から《ご経験を踏まえまして、是非、ご就業をお願いしたく……》という丁寧な文面でメールが来たので、就業意思の最終確認のメールを送ったところ、思わぬ返信が戻ってきた。

《ご案内しておりました枠で急遽調整が入った為、下記枠で再度ご検討頂きたく……》

 
「なんだ、人繰りの関係で、少し仕事の内容を替えて欲しいということかな」と思って、続く文章を読むと、勤務場所が当初より遠方のところに変わっていた。雇用条件で提示されていた『時給:X円プラス交通費最大500円支給』には変わりがなかったので、「まあいいか」と思い、再び就業意思の最終確認メールを送った。

 すると、その翌日。またメールが届いた。前口上は《ご案内しておりました枠で急遽人数調整が入った為、改めて下記内容でご検討頂きたく……》と、前回とほぼ同じ書きぶりである。しかし、その後を読んで目を疑った。仕事のポジションが当初希望していなかったものに変わっており、それに付随して雇用条件が『時給:X-250円』(交通費支給なし)に引き下げられていたのである。

 この条件を飲んで就業したいとするならば、私はまた意思確認のメールを送らねばならない。三度もメールを送らせる手間を相手に求めつつ、しれっと雇用条件を引き下げていくというのはどういう了見だろうかと、その派遣会社の対応に不信感を持った。

 実はこの派遣会社、名の知られた大企業である。一方で私は、ネガティブな風評を色々な職場で耳にしていたから、「登録スタッフをこういう風に扱うのは社風なんだな」と見切っていた。で、この仕事についてどうしたかというと、私は結局受けることにした。その仕事の日は特に予定を入れていなかったし、その職場でどんな人がどう働くのかを観察するのも楽しかろう、と思えたためである。

 仕事の当日。朝から、観察に値するちょっとした事件が起きた。来るはずであった複数の派遣スタッフが無断欠勤したのである。しかもそこに、『時給:X円プラス交通費最大500円支給』のポジションの人が含まれていた。「私をそのポジションにアサインしていれば、欠勤なんか絶対にしないのに」という私の心の声をここで書くと、厚顔無恥に聞こえるのでやめておこう(もう書いてしまったけど)。

 この日私の行き着いた結論はこうである  雇用条件をどんどん引き下げて提示するようなことをするから、そういう雑な扱いなり接し方が登録スタッフに伝わって、派遣会社はしっぺ返しを食らうのだ。

(2016年6月1日記)

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