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2016年4月28日 (木)

廃れゆく価値観

 最近、ディーン・フジオカさんという俳優を初めて知った。本業のドラマではなく、今月13日に放送された『ホンマでっか!?TV』(フジテレビの情報バラエティ番組)にゲスト出演している姿を観たのだが、甘いマスクに加えどことなく翳もあるところに、俳優としての高いポテンシャルが感じられた。

 番組の中でディーン・フジオカさんは、インドネシア人の奥さんと双子のお子さんがいて、家庭内では英語で会話していることを口にしたのだが、披露されたエピソードに大変印象深いものがあった。子どもの教育方針について語る場面で、奥さんは子どもたちに次のことを強く言い聞かせているそうである。

「弱い者いじめをしてはいけない」

 これを聞いた番組の出演者たちは、感心しきりの様子であった。今の日本に、「弱い者いじめをしてはいけない」という価値観、倫理観は希薄になっていると思う。「人に迷惑をかけてはいけない」、「嘘をついてはいけない」といったものが上位に来て、「弱い者いじめをしてはいけない」は圏外という気すらする。実際、現実社会において、大企業が中小の下請け企業や納入業者を叩くことは多いし、お金のある消費者(買い手)が商品・サービスの売り手に理不尽な要求やクレームをつけることもしばしばである。


 
人により意識に個人差はあろうが、今の社会では総じて、「必ずしも弱い者いじめをしてはいけないということはない」というのがコンセンサスになっているのではないか、という気がする。この認識が一応正しいとして、私なりにその理由を考えてみた。

 思いつく理由は二つある。一つは、民主主義の根幹たる多数決の原理である。この原理の下では、集団における多数派が特定の弱い者を“いじめてもよい”と判断すれば、いじめのGOサインになってしまう。多数派イコール正義という構図のなかで、容易にいじめが始まるのだ。だから、大変皮肉なことだが、民主主義の多数決という仕組みに慣れきった私たちには、いじめを惹起しやい面があると思う。

 二点目は、自己責任の原則である。競争社会を前提とした時、「弱い者」に成り下がったのは、その人に力がないから、努力が足りないからだ、といった見方がなされる可能性が高い。そうすると、「弱い者」になったのは自分のせいだから(つまり自己責任で)、その結果として競争社会でいじめられても仕方がないではないか、となるわけである。

 今日は、以上の「弱い者いじめをしてはいけない」を取り上げて、『廃れゆく価値観』と題したが、ひょっとするともう廃れてしまっているのかもしれない。それでも、ディーンさんの言葉を聞いて、私は復権を望みたいと思う。番組出演者たちが一様に感心した反応は、この価値観がとても貴く高尚なものであることを暗に示していたと感じられたからである。

(2016年4月28日記)

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