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2016年3月 1日 (火)

再びK.H君のこと

 昨年12月9日(水)のブログ『部活仲間の訃報に接して』、今年1月2日(土)の『K.H君のこと』の続きを書いておきたい。大学時代の部活仲間K.H君が昨年5月に亡くなったことは既述の通りだが、同期のメンバーの中からお香典を送ろうという話が出てきた。仲間同士で細かい情報交換があって時間がかかったが、最終的に有志12名で送ることになった。

 送付先の住所を知っていたのが私だったので、“実務”は私が担当することになった。仕事の予定がなかった今日、朝からお香典と手紙を現金書留で送る準備をした。お香典も、現金書留も、一筆したためることも、非日常的なことなので、思いのほか時間がかかり神経も使う。近所の郵便局に書留を持ち込み、有志のみんなにメールで完了報告をした時は、もう夜近い時刻になっていた。

 今回も痛感したことだが、お香典にせよ手紙にせよ、ご遺族の方がそれをどう受け止められるかは分からない。辛さのあまり、K.H君の死を早く忘れたいと思っていらっしゃるとしたら、私たちの行為は昔を思い出させるむごいものになってしまう。世間的には、お香典を送るのはごく自然なことだが、個別には色々な事情があって、受け取る側の気持ちは一様ではないだろうと思う。

 そこまで認識していながら、それでも今回送ったのは、K.H君に対して何もしないままやりすごす自分に耐えられないからである(私はそう考えている)。何もしないままというのは、心にうずきを覚えながらずっと生きていくかの如く、しんどく感じられたのだった。

 そう考えると、お香典を送る行為も、実は自分のためという側面がかなり強そうである。送らなければ自分の心が休まらないのであれば、そうであると思う。私も本当は、お菓子を配って回った昨日の“卑屈なおじさん”と同じように、自分の気持ち最優先で動いたのかもしれない。

(2016年3月1日記)

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