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2016年2月25日 (木)

嫌老社会の予感

 見慣れない言葉のタイトルに惹かれて、五木寛之さんの『嫌老社会を超えて』(2015年発行、中央公論新社)を一気に読了した。将来の日本について考えさせられる内容だった。五木さんの最大の問題意識は、老人を嫌う風潮が広まっていくのではないかという、社会の空気の将来予測である。人口動態は最も確実に読める未来であると言われたりするが、そこから来る老人の増加を前提に、社会の空気を予測するのはなかなか大胆で興味深い(ここから先は、“老人”はやめて“お年寄り”と書くことにしよう)。

 自分が大人になってはっきり感じることは、長寿のお年寄りが全く珍しくなくなったことである。八十代はもはや「長生きですね」と声をかけるほどの年齢ではなくなっている。そして、お年寄りの経験や知恵も、何でも調べられるインターネットの出現によって、特段頼られることのない社会になった。こうした“珍しがられず有り難がられないお年寄り”がこれから加速度的に増えていく方向にある(人数の多い団塊の世代が控えている)。

 そうすると、「お年寄りは敬うもの」という昔からある規範、価値観は、今後力を失っていくのではないか。社会保障費や医療費の増加要因であるお年寄りは、負担を被る現役世代・若年世代から見れば、邪魔な存在に見えてくる恐れがあろう。

 さらに具合の悪いことに、《一億総活躍社会》なる珍語からも読み取れるように、日本では“活躍すること”、“社会の役に立つこと”に高い価値が置かれがちである。“迷惑をかけること”は悪いこととされる。仕事をしなくなって、人手ばかり借りるようになったお年寄りを“お荷物”視する土壌は、既に出来上がっている気すら私にはする。

 お年寄りと言っても一様ではない。経済的格差はかなりあると言われている。が、上も下も安全ではなさそうである。下の困窮する人達は現役世代・若年世代から蔑まれる対象となり、一方でリッチな人達は妬みや憎悪の対象となりうる。オレオレ詐欺や振り込め詐欺は、後者のリッチな層を狙ったものだと言えなくもない。捕まった犯人がしばしば口にする「高齢者が溜めこんで眠らせているお金を、俺たちが使うことで社会の中で再分配しているんだ。経済にプラスの行為なのだ」という身勝手な理屈が、人数の少ない若い世代に受け入れられるようにならないか、私は少々心配である。

 嫌老社会の到来を予防する特効薬があればいいのだが、なかなか見つかりそうにない。強いて言うならば、現役世代・若年世代もいずれはお年寄りの立場になることを早くから自覚してもらうことである。自分がお年寄りを嫌がれば、将来自分も嫌がられる存在になる。手痛いしっぺ返しを喰らうのである。そう考えると、お年寄りは次のような古い言い方で今のうちから警鐘を鳴らす(脅す?)のがいいかもしれない。

「お年寄りをいじめるとバチが当たるよ」

(2016年2月25日記)

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