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2016年2月 7日 (日)

優しくしないで

 そもそも私は派遣スタッフとして、ごく短期の契約に基づき今の職場で働いている。始めて半年以上になるが、これは1ケ月程度の期間の契約が何度も更新されてきたものだ。職場の業務量の変動に応じて雇われている身にすぎない。

 にもかかわらず、飲み会や食事会で人間関係を深めたとして、その時は心地よいかもしれないが、先々辛い結末が待っているだけではないかと思ってしまう。お世話になった社員に情が移ったり、愛社精神のようなものが芽生えたとしても、切られる時は切られるのである。

 その意味で、リーマンショック後に日本の産業界で吹き荒れたあの雇い止め、派遣切りの動きは、貴重な教訓を与えてくれる。「頑張って会社のために働いてきた」という真面目で熱い気持ちを、働く側が持っていたがゆえに、切られた際の心の痛みが大きくなったのだと思う。

 当たり前のことだが、正社員と派遣の間には、明確な線引きが存在する。仮定の話だが、私が何らかの事情により職場で倒れて命を落としたとしよう。それでも私の葬儀に、その会社の社長名で弔電一本来ることはない。私は社内の人事データベースには載っていない臨時の傭兵部隊の一人にすぎないからである。そういう線引きの認識は重要である。

 私が飲み会や食事会を通して社員の人たちと親しくなったり、好感を抱くようになったとしても、「来月からこの仕事はなくなりました」と通告されればそれまでである。そのため、雇用形態に符合した形で人間関係の濃淡を調整し維持する方が、後々裏切られたという怨みを抱かないで済み賢明であると私は考えている。

 
以上が、私が不参加を決めた理由である。だから日々、社員の方々にはこう思って仕事をしている。


「優しくしないでください」

(2016年2月7日記)

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