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2016年2月 2日 (火)

小保方晴子さんの手記に思う(続き②)

 昨日私は、自分が当事者ならば、『あの日』の中で名指しで攻撃された納得できない内容について反論したい、と書いた。が、一晩寝て目が覚めて、沈黙という現時点における理化学研究所と若山教授の態度にも十分もっともなところがあると思うに至った。私の頭に浮かんできたのは次の二文字である。

-“無視” 

 山梨大学の「大学として『コメントしない』という コメントそのものも出さない」は、まさに無視する方針が的確に表された言葉である。無視というのは、いじめの世界においては、相手の存在そのものを否定して振る舞うことだから、最もきつい攻撃と言えるものかもしれない。

 無視は閉じられた仲間内で行なわれれば“いじめ”ということになるが、今回のケースは閉じられた世界で行なわれていないから“いじめ”には当たらない、特段問題ないやり方と言っていいだろう。

 以上のように考えれば、無視するというのも立派な戦略であると思う。勝手な想像だが、理化学研究所と若山教授は「彼女は科学者としての資質、能力を欠いている上、私憤を公表したのは人間的にも最低である」と見切ったゆえに、一切の関係性を断つことにしたのではないか。昨日書き急いでしまった感のある私は、少し思慮を欠いていたと反省している。

(2016年2月2日記)

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