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2016年1月 7日 (木)

後味が悪い年賀状

 今年は年賀状がごく僅かしか届かなかった。いや今回は、ごく僅かでも届いてしまったと言わなければならない。私は昨年、身内の大切な人を二人も喪ってしまった。それで11月下旬に、年賀状をやりとりしている方々へ喪中葉書を送ったのだが、年が明けて、十指に満たないながらも送付先から年賀状が届いたのである。

 喪中葉書の文面の検討を含めて、何もかもが初めての体験であったが、喪中葉書を出した後のことについては全くイメージがなかった。だから、全体の数%の割合ながら「喪中葉書」がスルーされたことには、少なからず驚かされた。

 送ってきた方々を“非礼だ”と責めるつもりは毛頭ない。誰にでもうっかり見すごすことはあるわけで、それが何人かの人において同時に起きただけだと思う。責めはしないのだけれど、心中穏やかでない感じが残る。「喪中だったので私は年初の挨拶は失礼しましたよ」と今から伝えるのは、相手を咎めるようで嫌みになるからできないが、今のまま「柏本には年賀状を送ったのに返事がない。失礼な人だな」と誤解されるのもすんなりとは受け入れがたいのである。

 以上のような面倒な感情を呼び起こした元凶は、年賀状と喪中葉書の存在にある。両方とも行き交うことがなければ、つまりこの国において、「新年だからといって年賀状の挨拶は不要」「従って喪中葉書も不要」という見方が当たり前になり習俗化すれば、かえって人間関係に波風が立たないかも……と思ったのであった(まあ向こう数十年はそんなドライな日本になりはしないと思いますが)。

(2016年1月7日記)

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