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2016年1月28日 (木)

小保方晴子さんの手記に思う

 ネットのニュースで、理化学研究所元研究員の小保方晴子さんが手記を出版したと知った。本のタイトルは『あの日』、出版元は講談社である。講談社といえば出版業界の横綱であるから、しっかりした本作りが行なわれたに違いない。

 それにしても、と思う。言論・表現の自由の観点から言って、小保方さんが手記を上梓できない理由は何もない。が、それでも釈然としない感じを覚えてしまう。その最大の理由はこうだ。例の件はSTAP細胞を作ることができない(STAP現象を確認できない)ということで、既に科学的な決着がついてしまっている。もう結論が出ている、済印がつかれてしまった研究にまつわる話を今さら語られても、仕方あるまいという気がするのである。

 次に、彼女が「自分が犯したあやまちを、科学者を志す後進の若い人たちに繰り返してほしくない」という思いから筆を撮ったとすると、それは過剰な反応である。彼女が啓蒙的なことをせずとも、科学界において、論文のコピペを許さず、データを正確に記録しながら進めるというあるべき実験が行われればよいだけのこと。小保方さんの失敗を改めて学ばないと先へ行けない人は、科学を専門とする資格はないと言っていいだろう。

 他にもまだある。STAP騒動によって自死してしまった上司のご遺族や、同じ理化学研究所で巻き添えにより不利益を被った人たちは、小保方さんの手記が世に出たことをどう受け止めるのだろうか。「もうあの事件のことは忘れたい」と思っている人にとっては、傷口に塩を塗られることになりはしないだろうかと思ってしまう。

 小保方さんは、以上の点も十分に踏まえた上で出版を決断したのかもしれない。もしそうであれば、謝ることに主眼があり、執筆した内容は事件の関係者や科学の世界に身を置く人たちへの懺悔の書になっているのだろう。だが、小保方さんはもうすでに、山ほど批判やバッシングにさらされて、尋常ではない社会的制裁を受けたではないか。今から重ねて謝罪することを世の中が求めているとは思えない。

 
以上のように考えてみると、今回報じられた出版は、冷たい言い方になるが「彼女自身のために行なうもの」と見ざるをえない気がする。科学者の道を外から断たれた彼女の中で、まだ“区切り”がついていないから、未練のようなものがあるから、自分の思うところを世に問うのだろう。しかし私の目には、これはなかなか危険な行為に映る。話題性から本はかなりの冊数売れるだろうが、新たな批判を招くおそれがあるためである。私は、寝た子を起こすよりも、時間の力によって忘れてしまった方が賢明なのにと思うが、もう時計の針を戻すことはできない。出版により彼女はまた、これから起きることを引き受けなければならなくなった。しかし今度は全てを自分一人で……である。

(2016年1月28日記)

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