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2015年12月16日 (水)

なくすという発想

 今月10日、京都大学が入学試験において受験生の時計の使用を禁止することを明らかにした。同日にホームページで『入学試験における時計の持ち込みについて』と題して公表された全文は、以下の通りである。

《最近、通信機能や計算機能を備えた腕時計型ウェアラブル端末が普及してきました。

 これを受けて、入学試験における公平性を確保するために、全試験室に電波時計を設置するとともに、受験生に対して、試験室内での各自の時計(腕時計、置時計、スマートウォッチ等)の使用を禁止することにしました。受験に際しては、試験室に入る前にかばんに入れておいてください》

(京都大学ホームページより)

 私はこれをニュースで知って、妙案だなあと感心した。同大学では数年前に、受験生がネットを使って不正を図った事件が起きたこともあった。それもあって他に先駆けた動きになったのかもしれないが、一般に、各種試験会場に持ち込まれる携帯電話・スマホへの対応は年々大変になっていると聞く。最近は様々な機能が付加された時計が登場するようになり、これからどうなっていくのだろうと思っていた矢先のニュースであった。

 少し話が飛ぶようだが、イタリアンワイン&カフェレストラン『サイゼリヤ』のある“英断”を思い出した。『おいしいから売れるのではない 売れているのがおいしい料理だ』(2011年発行、正垣泰彦著、日経BP社)という本に書かれていたと記憶しているが、調理するスタッフが包丁で怪我をしないようにするため、店舗の厨房で包丁自体を使わないようにした、という内容である。全店舗のスタッフに「手を切らないように気をつけよ」といくら周知徹底しても、ヒューマンエラーである怪我はゼロにはならない。そこで、包丁そのものを厨房からなくし、それでも調理ができるよう工夫したというわけだ。

 これは、トラブルや事故の元となるもの自体を、現場からなくしてしまうという発想である。考えてみれば、京都大学の発表した時計の使用禁止もこれに似ている。受験生が各自の時計を使用しさえしなければ、時計を使った不正行為は起こり得ない。これは効果抜群であり、しかも大変分かりやすいと言える。

 “なくすという発想”は、私たちの生活でも取り入れることができる余地があると思われる。テレビばかり見て「時間がない」とこぼす人は、テレビそのものを処分すればよいし、歳をとって車の運転に自信がなくなれば、事故防止のために車を手放すという手がある(もちろんその際は、思い切った決断が必要になるが)。対処療法ばかり目につく世の中にあって、今日はそんなことを考えた。

(2015年12月16日記)

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