« 辛気臭いこと | トップページ | 自堕落な私 »

2015年12月25日 (金)

見ようとしないものは見えない

 昨日取り上げた先崎九段の著書に、大変面白い、そして示唆に富んだエッセイがある。『将棋盤に点はあるかないか 裏の将棋界史に残る珍論争』というタイトルのものである。かなり長くなるが、端折ると先崎九段が再現された登場人物のやりとりの妙味を損ねかねないので、中心となる部分をそのまま引用しようと思う。

中村修(現九段)、郷田真隆(現王将)の両氏と、片山さん(元奨励会員)と私で、函館に競馬をやりに行った時のこと。ヒマだったので、一週間ほど滞在した。毎日競馬観戦そして夜は酒で、頭がふにゃけたころ、酒を飲みながら、そういえば、将棋盤にはなんで点があるのか、というはなしになった。碁盤に星があるのは、星打ちということばがあるぐらいでなんとなく分る。しかし、なんで将棋盤の中央には四つ、点があるのだろう。

 その時、中村さんが叫んだ。「点なんて、あるわけないじゃない」

 はあ、となる三人。たしか、あったはずじゃあ……。「ない」と中村さん。「ない。君達、何年将棋やってるの。そんな点、あるわけないじゃん」

「なにいってるんすかあるに決まってる」と郷田。かくて不毛な点のあるない論争がはじまったのである。「ある」「いや絶対にない」。この絶対ということばに郷田がかみついた。「絶対というなら一億円と一万円で賭けましょう」

 論より証拠、誰かに電話して確かめようということになって、電話をしたのは私。相手はなんと羽生善治(現四冠)である。酔っぱらいの勢いというのは凄いものだ。

 羽生は眠そうな声だった。事情を説明すると、呆れられた。「ちょっと盤を見てくれない」と私。「メンドーです。たしかあったんじゃないですか」

「羽生はある、といってたよ」と私はいった。次の中村さんの一言はカッコよかった。「羽生時代もこれで終った」

 東京に帰り、家の将棋盤を見た時の中村さんのことを考えると、今でも笑ってしまう。そう、あるんですね。だいたいの盤には、四つしっかり点がある。》

(『摩訶不思議な棋士の脳』(201510月発行、先崎学著、日本将棋連盟))

 私も念のために調べたが、確かに点が四つある。お節介ながら、将棋を指さない方に分かりやすい確認方法をお伝えすると、毎週日曜日(年末年始等を除く)に教育テレビで放送されている『NHK杯将棋トーナメント』を観れば一目瞭然である(一目瞭然といっても、テレビ画面に1メートル以内位まで近づかないと見えない小さな点です)。

 「いや絶対にない」と啖呵を切ってしまった中村修九段は、タイトル獲得歴もある実績豊富なベテラン棋士である。事件が起きた函館旅行がいつ頃のことなのか分からないが、プロ棋士は子ども時代から将棋盤に向かって指してきた人達だから、中村九段は将棋盤を何万時間、いや何十万時間と眺めてきたはずである。そうした御仁でも、9×9の盤のマス目と将棋の駒に集中するあまり、盤上にある“点”には一度として気付かなかったのである。

 見ようとしないものは見えない、そういうことであろう。私たちの生活を見回しても、例えば最寄り駅までの道にマンホールがどこにあるか、電柱はどこに立っているかといったことは、確実に視界に入ってきたはずなのに、認識されていないのではないだろうか。

 これは人間関係についても言えるかもしれない。例えば、恋人や配偶者(妻、夫)といった人間関係。相手の嫌な点、欠点ばかりを意識するようになれば、素晴らしい点は見えなくなってしまうのではないだろうか。素晴らしい点を見ようとしなければ、見えないからである。そう考えると、先の『裏の将棋界史に残る珍論争』はなかなか示唆的である。誰しもが、焦点が合わずに見過ごしてきたことが多々あると考えられる(ことに大切な人間関係において)。

(2015年12月25日記)

« 辛気臭いこと | トップページ | 自堕落な私 »

人間関係」カテゴリの記事

将棋」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/573382/62908514

この記事へのトラックバック一覧です: 見ようとしないものは見えない:

« 辛気臭いこと | トップページ | 自堕落な私 »