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2015年10月14日 (水)

負けず嫌いはどこへ?

 父の葬儀でお会いした際に、従姉のMさんから教えて頂いた昔話がある。私が幼稚園児か小学校低学年の頃、母の田舎で、Mさんと私の兄と私がトランプで遊んでいたときのこと。五つ年上の兄、さらに年上のMさんに、幼い私は全く歯が立たず、何度も「もう1回!」とごねたという。ババ抜きなど、トランプのゲームは総じて偶然の要素が強いから、たまには勝てたのでは?と思ってMさんに聞くと、こう返ってきた。

「だって湊くんのカード、見えちゃってたから」

 そうか、私にはまだ手札を隠して持つという知恵が身に付いてなかったのだ。これでは勝てるはずがない。さらに当時の私は、トランプに限らず、Mさんと兄の二人に執拗について回って一緒に遊ぼうとしたそうである(まるで金魚の糞のようだ)。そんな私の様子を思い出して、Mさんはこう懐かしがった。

「湊くん、私たちにずっとついてくるから、ホント足手まといやったわー(笑)」

 ユーモアを感じさせる、上手い形容の仕方があったものである。年下で背も低かった自分が“背伸び”をして、仲間入りを果たそうとしていたことがよく分かる。人の背中を見て後を追う行動は、就職するまで、私の意思決定スタイルに深く入り込んだものだと思う。

 上のエピソードで私らしいなと感じたのは、トランプで何度も再戦を求めたことだ。実は他にも似たような体験がある。やはり小学校低学年だったと思うが、父の勤め先に家族で遊びに行った時のこと。どこかに卓球台が置いてあって、皆で卓球の試合をしたのだが、年の差は大きく、兄をはじめ全く勝たせてもらえない。それで私は、「勝つまで帰らない!」と遅い時間まで泣きじゃくったのだ。最後は誰かが手加減してわざと負けてくれたのだと思うが、「勝つまで帰らない!」とごねたのはよく覚えている。

 かくのごとく、子ども時代の私は、負けず嫌いが甚だしかった。ところが、いつの頃からか、勝ち負けへのこだわりが薄れていった。そして今は、「戦わないのが最善である」、「どうすれば勝負をせずに済むだろうか」と考える思考パターンが定着している。これには、何か直接的なきっかけがあったわけではない。ただ、勝つことに執着することによる負の影響(例えば神経が擦り減ること)が大きいと感じるようになったことは確かである。

 振り返ると、勤め先を退職する何年も前から、社内評価や出世に拘らず仕事をするようになっていたし、現在の個人投資家としてのスタイルは、デイトレーダーのような勝ち負け追求型ではなく、のんびりした長期投資を基本としているし、派遣社員として仕事をするときは、一人でこなす単なる時間労働と割り切っている。従って、今は競争とは完全に無縁の生活である。

 私の負けず嫌いはどこへ行ってしまったのだろうか?と思うことは今でもたまにあるが、昔の闘争心を取り戻したいとは思わない。競争社会の勝者を羨んで心が揺れることもない。そんな面倒なことをしなくても、満足のいく生活及び幸せな人生を送ることは可能だと信じているからである。


(2015年10月14日記)

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