« “口角を上げる”作戦 | トップページ | 悪意はないが配慮もない不作為(その①) »

2015年10月 9日 (金)

よりけり

 私には最近、関心を持って幾つかの著書を集中的に読んでいる方がいる。弘兼憲史さんという漫画家がその御仁で、名前は知らない人も、『課長島耕作』という作品名を耳にしたことはあるのではないか。関心を持つようになったきっかけは、弘兼さんの奥さんにあるのだが、それについては別の機会に書くつもりである。

 弘兼憲史さんの著書の一つ、『僕はこう考えて生きてきた』(2014年発行、サンマーク出版)に、「忍耐と許容が夫婦関係を持続可能にする」という章がある。そこから一節を引用したい。

《(結婚して)四年を過ぎれば、男女の愛情も解消に向かう。言い換えれば、恋愛感情によって夫婦が維持されるのは四年が限度、それ以上長く、夫婦関係を続けようとするなら、愛情以外のファクターが必要になってくるということだろう。

 その有力なファクターのひとつが「がまん」である》

(『僕はこう考えて生きてきた』(2014年発行、弘兼憲史著、サンマーク出版))

 内容は、特段新しいものではない。夫婦に我慢はつきものとは、昔から広く言われてきたことである。しかし私は、誰にも楯突くつもりはないが、そうは思っていない人間なのである。白状すると、妻との結婚生活で我慢したことは一度もなく、「我慢が必要だ」と感じたこともない。例外的な夫婦かもしれないが、夫婦に我慢はつきものということが真理のように語られるとすれば、少々違和感を覚えてしまう。

 全く別の内容だが、この本には次のような一節もある。これも私の心に引っ掛かってきた文章である。

《尊大なことをいうつもりも無神経なことをいうつもりもないが、僕には挫折の体験が一度もないのだ。むろん、世間並みの困難は何度か経験しているが、致命的、決定的といえるような失敗体験はこれまでにゼロだし、これからもゼロだろうと思う》

(同上)

 これは逆に、弘兼憲史さんが例外的であると言えそうな内容に思えた。大抵の人には人生で挫折を感じた経験があるだろう。私も心が折れかけた経験が二、三あるが、「挫折が一度もない」と言い切れる人は、そういないのではないかという気がする(挫折しない秘訣を知りたい方は、弘兼さんの著書をお読みください)。

 以上から言えそうなことは、つまるところ“人によりけり”ということである。今は“人によりけり”よりも、“人それぞれ”とか“ケースバイケース”という言葉の方が圧倒的に使用頻度が高そうだが、なぜか私の頭には“よりけり”という言葉が浮かんだのだった。少し古めかしい語感だが、私にはなかなか良い言葉に思える。広辞苑(第四版、岩波書店)で引くと、次のように語源と意味が説明されていた。

《よりけり:ヨル(因)の連用形に詠嘆の助動詞ケリの付いた語。人・事・物の如何により決ることで、一概には言えない意》

 ここまできて、「今日のブログは結局何を言いたいの?」と感じた方がいらっしゃるかもしれない。私としては、「夫婦は我慢が必要」とか「人生は挫折体験やむなし」といった固定観念に縛られる必要はない、ということを当初は言いたかったのだ。しかし、考えているうちに「大抵のことは一概には言えない」ということを主に伝えたくなった。

 
そう、ブログに限らず、文章の読み方、受け止め方というのは人それぞれである。いや、ここはやはり、「人によりけりである」に修正しておこう。

(2015年10月9日記)

« “口角を上げる”作戦 | トップページ | 悪意はないが配慮もない不作為(その①) »

人物」カテゴリの記事

価値観・性格」カテゴリの記事

」カテゴリの記事

生き方・人生論」カテゴリの記事

社会全般」カテゴリの記事

言葉について」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/573382/62444163

この記事へのトラックバック一覧です: よりけり:

« “口角を上げる”作戦 | トップページ | 悪意はないが配慮もない不作為(その①) »