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2015年9月11日 (金)

遠い日の記憶から

 実家に帰省していた時、思いがけない話を母から聞かされた。私がまだ親と同居していた頃、私の学習机のなかに“自殺”と書かれたメモを見つけ、ギョッとしたという。私はそんなことを書いた記憶がないから、「いつのこと?」と聞いてみたが、時期は覚えていないという。

 小学生の頃は毎日結構楽しくて、死ぬことなんて考えたこともなかったから、時期が中学生以降であることははっきりしている。しかし、具体的に“自殺”という文字を書いたとすれば、精神的にかなり落ち込んでいたに違いなく、浪人時代ではないかという気がする。

 大学受験に失敗し、浪人生活に突入した時、大学ノートに『我が心の遍歴』という日記をつけ始めた。少しして予備校に通い始めた途端、盲腸(急性虫垂炎)に罹り、病院に入院して手術を受けた。そして、術後の回復が遅れて三週間ほど入院したため、退院後は勉強の遅れを取り戻さねばとかなり焦った。こうした状況により、暗鬱な気分が日常を占めていたことはよく覚えている。浪人時代なら、“自殺”と書いていても不思議はない。

 あの頃“自殺”について書いた文章があるとすれば、それは「私たちには自殺する権利がある」という内容だと思う。西洋的な個人主義の考え方を身に纏っていたのだ。それで、なぜ決行しなかったかといえば、死ぬのがただただ怖かったからである。残念ながら、生きることに大きな期待をかけていたわけではない。

 今の私はといえば、死ぬ死なないを意識することはなく、生かされるままに生きる、といった死生観に落ち着いている。「人の命は自分でコントロールするものではない」、「もっと大きなものにお任せするものである」という東洋的というか仏教的な考え方に依っている(要はこだわらないということ)。だから、今自ら死を選ぶことに積極的な意義を感じていないのである。

 母には昔心配をかけたようだが、今はこうして生きているのだから許してもらおう。こんな私が、今死んでしまいたいと自殺念慮を抱いている人には、次のようなことを伝えられると思う。

「人はいづれ死ぬのだから、今急ぐ必要はありません。そんなことより目の前の現実を変えましょう。どうしても学校が嫌なら学校から、勤め先が嫌なら勤め先から、家族が嫌なら家族から逃げてしまいましょう。それで、心のなかに巣食っている病巣がかなり取り除かれますよ」

(2015年9月11日記)

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