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2015年8月26日 (水)

マニュアルを外れる危険性(前編)

 大変暑い夏の日だったが、昔、ある試験の監督員の仕事をした時のこと。私は、年上と思われる男性とペアを組んで一つの教室(試験会場)を受け持っていた。私が統括役の監督で、その男性は監督補助という役割分担である。具体的な監督業務は、事前に主催者から配布されたマニュアルに沿って行なうことになっていたため、特段難しいところはなかった。淡々と業務は進むはずであった。

 午前中の試験が終わり、休憩時間に昼食を食べていると、その男性が私に「ちょっと教室、暑かったですね」と話しかけてきた。私は朝から、教室のエアコンを所定の設定温度で運転させていた。そのため、我慢できない暑さとは感じなかったが、暑がりの体質の人には少々効きが足りなかったかもしれない。そういう感じも理解はできたため、私は「そうですね」と相槌を打った。これで会話は終わったが、それがこの後の“小事件”の元になったのである。

 午後の試験時間が近づき、受験生が教室に戻ってきた。概ね座席についたタイミングで、私が試験の注意事項をアナウンスするのに先立ち、彼が私に何も言わずに、いきなり次のように教室で話し始めたのだった。

「午前中、暑すぎると感じた人はいませんか?今の温度はちょっと、という方がいれば、手を挙げてください」

 私には急な、驚きの展開である。皆、目立つことを嫌ったのか、質問が不意を突いていたせいか、幸い誰も手を挙げなかった。お蔭で私は何もする必要が生じなかったのだが、この男性の発言は、実は問題を孕んだものだった。それはこういうことである。

 もしも誰かが、手を挙げて「暑かったです」と言えば、教室の監督者である私は、午後の試験開始までに何か手を打たなければいけなくなる。もしエアコンの温度を下げたとしたら、今度はそれまで適温だと感じていた受験生が、「寒い」と言い出す可能性がある。同じ教室の室温のことゆえ、一人への配慮が他の人にマイナスに作用することがありうるのである。男性は、一見、受験生に気を配っているように見えて、こうしたことまで考えて発言しているようには見えなかった。

 彼の行動には、もっと本質的な問題もある。「室温についてヒアリングすること」は、マニュアルに書いていない事項のため、そうした行為はそもそもやるべきではなかった。「教室が暑いです」という声が自主的に発せられてから、動くべきだったと言える。また、男性は私への相談や了承もなく、単独プレーで発言してしまったので、補助者が統括役の者を飛び越えて動いたのは、これもルール違反である。

 一般的な印象になるが、知識や経験が多い(と自負している)年配の人(特に男性)は、新しい職場や仕事において、自分が気付いたことを良かれと思ってすぐに行動に移す傾向があると思う。しかし、マニュアルが整った世界であれば、深い考えなしにそれを逸脱したことを勝手にすべきではない。マニュアル通りに業務を遂行することが、求められている仕事のほぼ100%と言っていいからである。従って、社会のベテランになればなるほど、自覚を持ってあえて自己顕示欲を封印し、マニュアルに沿うバランス感覚と節度ある行動が求められる、と私は考えている。


(2015年8月26日記)

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