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2015年8月22日 (土)

9月の祝日に思う(前編)

 私は相当鈍感なのか、最近手帳を開いてやっと気づいたことがある。9月には21日(敬老の日)、22日(国民の休日)、23日(秋分の日)と三日も続く祝日があった。19日と20日の土日を合わせると五連休である。今から楽しみにしている人、遠出の計画を立てている人も多いだろう。

 この祝日のなかでは、特に『敬老の日』が私は気になる。「いつまでも長生きしてね」という言葉が日本中で飛び交う日だと思うが、この半世紀~一世紀ほどの間に、長寿の人の希少価値が著しく減り、どんどん増え続けるお年寄りは、社会保障費増大の観点から、厄介者視されるようになった。“お年寄り”ならまだ響きがいいが、単に“高齢者”となると血が通わない感じになり、さらに“後期高齢者”なる区分までできて、‘社会のお荷物’感が増した印象さえ受ける。

 変な言い方になるかもしれないが、増えつつあるお年寄りは、コモディティー(汎用品)化した存在かのようだ。より若い世代がお年寄り一人一人に目を向け、その人生に興味を持ち知ろうとしないと、本当にコモディティーとしてぞんざいに扱われるようになるのではないだろうか。

 毎年やってくる『敬老の日』は、子や孫が親・祖父母に電話をかけるいいきっかけではあるが、なんだか形骸化しているように感じるのは私だけだろうか。自分自身、十分できているとは決して思わないが、普段の接し方こそ重要であると思う。至らなさへの反省や改悛の情(ちょっと大げさだが)を一年に一度呼び起こす日として『敬老の日』があると位置付けるのなら、そういう割り切り方も可なのかもしれない。

(2015年8月22日記)

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