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2015年7月 7日 (火)

頑固な私・頑固でない私

 「私は頑固な人間である」と思って長年生きてきた。この“頑固”は良くない意味である。これには過去からのいきさつがあって、私は子どもの頃からことあるごとに、「あなた(お前)は頑固だ」と母や兄から指摘されて育ってきた。具体的に何を主張したのかこれといって思い出せないが、自説をそうそう曲げない私に家族は手を焼いていたのだろう(思春期という微妙な時期だったせいもあると思う)。

 身近で影響力のある人たちから言われる言葉は、非常にパワフルだ。「私は頑固な人間なのだ」という暗示を自らかけて、それを疑うことすらせずにずっと生きてきたのである。社会に出てから面と向かって人から言われたことはないが、礼儀をわきまえた人ならストレートに口にすることはないだろう。ゆえに、言われなかったことが、「私は実は頑固ではない」と思わせるほどの力を持つことはなかった。

 しかし最近、「ん?」と思うようになった。結婚して約二十年になる妻からは、一度も「あなたは頑固ね」と言われたことがないのに気がついた。もし聞けば、妻は言ったことがあると言うかもしれないが、私は全く記憶にない。そもそも私も妻も自己主張をしないタイプで言い争いが生じないから、「あなたは頑固」と突きつけられることがないのだと思う。

 世のサラリーマンでも、「愛想よくて外面がいいのに、家の中では仏頂面で口数も少ない」と妻に愚痴られている人がいると思うが、私と似たような点があるかもしれない。前段も後段も夫の真の姿であり、ただ家庭の中に、愛想のよさが現れない“種”のようなものがあるだけかもしれない。今、“種”と書いたが、当事者間の相性と言ってもいい。相性が左右して(よくないから)、愛想のよさが顔を出さない、ということである。

 「頑固な私」も「頑固でない私」もどちらも真実だと思う。頑固さを否定的に捉えるならば、その芽すら生じさせない妻との相性に、私は感謝しないわけにはいかない。実際私は、妻の前では相当に物わかりがよく、時には従順ですらある(と自認している)。かように性格というものは、決して一様ではなく、相性によって発現したりしなかったりすることがある、と思うのである。

(2015年7月7日記)

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