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2015年7月 4日 (土)

「お笑い芸人の出産シーン」考

 ネットを見ていてギョッとするニュース(?)に出くわした。某女性お笑い芸人の出産シーンがテレビで放映されるという。そしてそれに対して、「出産まで芸にするのは気持ち悪い」「子供を産めない女性に対して何も配慮がない」といった批判のコメントが多数つぶやかれたりしているらしい。私は男であり、しかもこの芸人のファンではないが、なぜかスルーできなかった。

 私は、匿名の人間が特定の人を、ネットを利用して一方的に批判・非難するのは卑怯な行為だと基本的に考えている。が、今回の件では、厳しいコメントをしたり投稿している人たちの気持ちも分かる気がして仕方がない。今日はそうした自分の気持ちを深掘りしてみたい。

 まず、命の誕生は素晴らしいものだと思うのだが、何から何まで見世物にするのはやり過ぎだと感じる。芸能人が、自宅の様子や結婚・離婚情報、さらには親兄弟まで公開・露出するのは今や当たり前で、テレビで頻繁に流れているが、極めてプライベートな出来事・瞬間である出産シーンまでもコンテンツ化されるのは、「ついにここまで来たか」の感が否めない。子を産んだ世の母親は出産を経験しているわけであり、それを取りたてて映像に撮って流すことに、当の芸人と無関係の一般人はどう受けとめればいいのか、と思う。

 産まれてくる子どもが気の毒、という気持ちもある。大層お節介なことだが、その子は将来、自分が世に出てきた時の映像を、世間の不特定多数の人々とシェアされていることについて、否定的な感情を持ったりはしないだろうか、と気になってしまう。今回の放映は、生まれてくる子どもの人格とか、子どもが将来大切にしたいと感じるかもしれない心の領域に、親が絶対的な力を使って立ち入ることにならないだろうか。子どもは生まれたばかりで拒否権がないから、これは一種の暴力であろう。

 こうも考える。当然私はこの出産シーンを見るつもりはないが、なぜ私はこういうニュース、いやトピックスやネタに触れなければいけないのか、と憤りたくなる気持ちもある。たまたまネットを見ていただけだったのだが、読みたくない文章を読まされた感じなのだ。立法化されていなくとも、“触れたくない情報に触れない権利”のようなものが私たちにはあると思うのだが、それを侵害された気分である。彼女(と旦那さん)のやろうとしていることのニュース自体が、多くの人の心をざわつかせている。なのに、そうした気持ちは慮ってもらえないのだろうか、と思う。

 
色々と書いたが、私自身の感情を一言で表現すれば「不快」であって、人の出産シーンを見るのは私には生理的に受け入れられないのだ。いくら理由を沢山並べても、“生理的に受け入れられないから”という大元に戻ってくる。だから、同じような受けとめ方をした人たちの彼女を批判・非難する気持ちにも、寄り添う気になるのである。

 さらにこんなことも想像する。くだんのお笑い芸人は、自分自身が亡くなる瞬間、つまり息を引き取る瞬間も映像に残して放映したりするのではないか。「自分の命が絶える瞬間を見てもらうことによって、命の大切さを伝えたい」という理屈もありえるから、決して絵空事ではない。ここでまた、先と同様の状況が生じるだろう。人が死ぬ瞬間の映像を見たくない人、その告知情報にすら触れたくない人が不快に思う感情は、葬り去られかねないのである。

「まあ、その頃には私は生きていないか」。そう思って私は心を鎮めることにした。やれやれである。

(2015年7月4日記)

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