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2015年6月21日 (日)

“東大卒プロゲーマー”的生き方

 『東大卒プロゲーマー 論理は結局、情熱にはかなわない』(2014年発行、ときど著、PHP研究所)を読んだ。同書は、麻布高校、東大を経てプロゲーマーになったときど氏のいわば半生記である。私が読もうと思ったのは、本のタイトルが面白そうで、かつ“プロゲーマー”が馴染みのない職業だったためだが、若い人であれば“プロゲーマー”の仕事の中身に興味を持って手に取った人が多いかもしれない。著者のときど氏は、子ども時代からのゲーム好きが昂じて、幾つかの挫折も経験した上で最終的にプロとして生きていく決断をした、この道のパイオニアの一人である。

 本の中に頻出する質問がある。ときど氏が、何百回も浴びせられてきたという次の質問である。

《東大まで出て、なぜプロゲーマーなのか》

 私はこのシンプルな質問が本のタイトルに繋がっていると想像したのだが、実を言うと、私自身は「東大まで出て、なぜプロゲーマーなのか?」という疑問は抱かなかった。そこにはとりたてて意外感は覚えなかった。どうも私は、人よりも仕事や職業というものを、フラットかつ柔軟に(テキトーに?)考えているようである。

 このきっかけは、私が学生の頃に遡る。1980年代だったと思うが、国家公務員試験(Ⅰ種)に合格し、中央官庁に官僚として勤め出した東大卒の女性が、あるとき退職して地方で農業をやるというのがニュースになった。人が羨むようなキャリアを捨てるという選択である。当時それを知って私は、「こういう人生もあるんだなあ」と強く感じた。この一件が、<進学校⇒一流大学(進学)⇒大企業(就職)>という、人々が一つの理想形として描きがちな人生に囚われない考え方をする嚆矢になった気がする。

 とはいうものの、実際の私は、大学卒業後は大企業に就職したので、その時点で言行は一致していない。ただ、ステレオタイプ的な人生以外も十分にありうるという価値観は、その後長い間くすぶっていた。だから、約二十年の年月は要したが勤め先を退職できたわけであり、前書に倣って今の私を表現すれば、『東大卒、物書きになる』、『東大卒、派遣社員になる』、『東大卒、ブロガーになる』、『東大卒、個人投資家になる』といったものが頭に浮かぶが、いずれも自分では違和感のないものに思える。

 ステレオタイプ的な人生からはずれること自体を目的化するのは無理があるが、「はずれる道を歩んでみようかな」と思った時に、その自分の心をつぶさに観察するのはとても意味があると思う。心の中の変化は、自分自身の内側から自然に生じている正直なものであり、それは素直に耳を貸すべきところがあると思うからである。どんな人も人生は一回限り。人生のこの特質をよく踏まえれば、本人の気持ち次第で、どういう生き方や職業選択、進路変更もアリだと私は考えている。

(2015年6月21日記)

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