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2015年6月 1日 (月)

虚礼にもほどがある

 哲学者の中島義道さんほどではないが、私は中身を伴わない形式主義、定型的な言葉が苦手。日常生活で言えば、買い物をした時に投げかけられる「有り難うございました」や、仕事場での「お疲れさまでした」に「?」と疑問符をつけることがある。多用されるその言葉の裏に、本当に感謝や労いの気持ちが存在するかどうか、微妙に感じられる時がままあるからである。

 少し前の話。テレビの情報番組を制作する会社の人から、メールで取材の依頼があった。企画書などは添付されておらず、メール文面にて「○○○というテーマで企画立案中です。そこで事前のリサーチ取材になりますが……」と自分の都合を述べて、私の意見を伺いたいという内容である。

 私はこの後、少しメールをやりとりした後、最終的にある理由から依頼を丁重にお断りしたのだが、最初のメールの冒頭にあった次の文章が気になって仕方がなかった。ありがちな一文である。

「お世話になっております」

 会ったこともない人に「お世話になっております」というのは、理解に苦しんでしまう。私は一切“お世話していない”し、その人がどのテレビ局のどういう番組を手がけているのかも知らない。繋がりなんてないのだから、「お世話になっております」と親近感を醸しだされても、引いてしまうばかりである。私が書いた本やブログを読んでくれていたという繋がりがあったのかもしれないが、それに対して「お世話になっております」は、やはりしっくりこない。

 なぜもっと素直に、「初めてメールさせて頂きます」と書かないのだろうと思う。自分の心に正直な文章こそが、その人の人柄を伝えるし、メールの読み手がその人に関心を持つというものであろう。「お世話になっております」という無難な挨拶文は、読み手がそれをどう感じるか想像しておらず、思考停止に陥っていて致命的に思える。私の方が想像力を働かせて、(文章に気が回らないほど忙しいのだろうな)と少し同情もしたが、ネガティブな印象を払拭するには至らなかった。

 
こんな体験をして、『虚礼にもほどがある』というタイトルが頭に浮かんだ。が、実は「お世話になっております」は、私が知らないうちに相手不問の“万能挨拶文”としての地歩を固めていて、私の考え方の方がビジネスマナーを欠いているということはないか、気になり始めた。もしそうならば、私は偏屈者になってしまいかねない……少々心配である。

(2015年6月1日記)

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