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2015年4月10日 (金)

麻布高校の素晴らしさ

 教育関係の出版物は数多いが、『「謎」の進学校 麻布の教え』(神田憲行著、集英社)はなかなか異端の書であった。一つの高校のみを扱った本はなかなか見かけないからである。四十代後半の私がこの本を読む気になったのには、理由がある。それは、二、三十年前に全国有数の進学校として知られていた麻布高校が、今も受験進学校のヒエラルキーにおいて変わらぬポジションを維持していることへの驚きと、昔私が抱いていた麻布高校についてのイメージが合っているどうかへの純粋な興味である。

 後者について私が大学時代に感じていたのは、麻布高校卒の東大生は浪人生が多いこと、そして自由で気ままな校風である、というものであった。『「謎」の進学校 麻布の教え』には、1980年代に私が抱いていたこのイメージのままの内容が記述されていた。以下は、それらを裏打ちする文章である。

麻布の教えを(著者が)私流に乱暴にまとめるなら、「自由に生きよ」ということだと思う》

《「うちは東大合格率の高い学校という旗ではなくて、人間形成という旗を立ててやっている。自分で考える人を育てるというのは麻布の生命線だから、それができないということは、なんのためにこの学校をやってるのかわからなくなってしまう」》

(『「謎」の進学校 麻布の教え』(2014年発行、神田憲行著、集英社))

 
読んでいて、まるでタイムスリップしたような感じを受けた。長い歴史のある学校の校風というものは、そうそう変わらないものなのかもしれない。ところで実は、この本を読んで一番感銘を受けた箇所は、以上の内容とは全く違うものであった。あるページに、次の文章がサラッと書いてあった。

《「この学校はどんな子どもにも居場所があります」》(同上)

 こういう一文は、私の心を一瞬で掴んで離さない類のものである。こういうことを、自信を持って自ら言いきれる学校が全国にどれだけあるだろうか。少子化が進展するなか、多くの私立高校が生き残りに危機感を抱き、生徒の進学実績に神経を尖らせる状況にあると思われるが、私は《どんな子どもにも居場所がある》というだけで、進学実績の浮沈にかかわらず麻布高校には大きな存在意義があると感じた。世間では「変わった高校」と言われることも多いらしいが、私は「立派な高校」だと思う。

(2015年4月10日記)

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