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2015年4月 5日 (日)

ひねくれ者の入社式観

 古い話で恐縮だが、私は大学に入学して初めて受けた健康診断で、「不整脈の疑いあり」とされ再検査になったことがある。もともと持病などはなかったので、再検査では問題なしとされたのだが、引っ掛かったことには思い当たる節があった。大学入学、そして初めての下宿生活で、新しい生活環境に慣れぬまま極度に緊張した日々を送っていたのだ。心臓に負担がかかっていたのだろう。

 
4月になったのでこんな思い出が頭に浮かんできたのだが、4月1日は新社会人が入社式を経験する日であった。本来は晴れやかな気持ち、新鮮な気分で臨むものだろうが、私は二十数年前に自分がその場で何を考え、どういう感想を持ったかを思い返そうにも、何も記憶が残っていない。私と同世代の人は、果たして覚えているのだろうか……と思う。

 言うまでもなく、入社式は会社が新入社員を歓迎する儀式であり、企業トップや要職の方々から「おめでとう」と祝辞が述べられる。そして、新入社員は「有り難うございます」とお礼を返して決意を述べる立場にある。常識的に考えればこの通りなのだが、かつて読んだ本で、「そういう見方もあるなぁ」と感じたくだりがあった。ソフトブレーンの創業者、宋文洲さんの入社式に関する見解である。

《日本の多くの会社の入社式では、経営者や役員が新入社員の前に立って、こう言います。

「諸君、入社おめでとうございます」

いったい、何が“おめでたい”のでしょうか?(中略)

もし「おめでとう」と言いたいなら、一年ぐらいたって、その人が自分にフィットした仕事を見つけて、結果が出てきたときに言えばいいのです。(中略)

入社式で「おめでとう」と言うのは、経営する側の心の底に「オレが入れてやった」という感覚があるからかもしれません》

(『もっと怒れ!!!日本のビジネスマン』(2005年発行、宋文洲著、イースト・プレス))

 確かに、「何がおめでたいのか」という感覚は理解できる気がする。納得のいく社会人生活になるかどうかは、まだ皆目分からないからである。異端の部類に入るだろうが、かつて次のような挨拶を入社式で行なっていた企業もある。これも、単なる「おめでとう」とは趣を異にする内容で興味深い。

《ソニーの故盛田昭夫名誉会長は「ソニーという会社が自分に向いていないと思ったら、はやいうちに去れ」と(入社式で)毎年くりかえした》

(『会社のカミ・ホトケ 経営と宗教の人類学』(2006年発行、中牧弘允著、講談社))

 私にはひねくれ者の気があるのかもしれないが、入社式が「おめでとう」一色で彩られているから、長く記憶にも残らないのではないだろうか。「おめでとう」という歓迎の言葉は、定型的で、紋切り型で、形式主義に陥りやすいがゆえ、なかなか心に突き刺さってこないのだと思う。

 新入社員にしてみれば入社式は一生に一度のことで、会社側にしても相当な時間とコストをかけて開いているのだから、実のあることを伝えるべきであろう。例えば、他では絶対に聞けないようなトップの体験談(失敗談を含む)や、脳天が痺れるようなインパクトのある話があれば申し分ない。そこに、自信に裏打ちされた誠実さや創意工夫などを新入社員が感じ取れば、「この会社は凄いぞ」という思いを抱くのではないだろうか。そして、長く記憶にも残るのではないかと思う。

(2015年4月5日記)

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