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2015年3月 9日 (月)

将棋界ナンバー2棋士の仕事観

 将棋界のスーパースターと言えば羽生善治四冠(名人・王位・王座・棋聖)だが、羽生四冠を追うナンバー2の座にいるのが30歳の渡辺明二冠(棋王・王将)である。この渡辺二冠の著書を読んだのだが、その割り切った仕事観にかなりの衝撃を受けた。まずは、そのくだりを引用しようと思う。

《(40歳で子育てが終わってから先は?という問いに対して)どうにか老後を暮らしていける見通しが立ったら、仕事をやめます。日々の暮らしに必要なランニングコストを稼ぎ出して、いまの貯金額をキープする。それで一定の逃げ切れそうな年齢になったらやめる》

《向いていることをやらないと、お金にならない。趣味でやるなら好きなほうでいいけど、仕事だったらできるほうをやるしかない。僕はあまり将棋が好きではない。仕事だからやるけれど》

《誤解がないように言うと、僕が将棋が好きじゃないというのは、嫌いというのと違う。趣味の競馬やサッカー観戦に比べたら、好きではない、ということです。将棋は苦しいこともあるし、投げ出したいときもあるけど、仕事だからやってるんです》

《お金を稼ぐ必要がなくなったら、たとえば40歳を過ぎて子供も独立して、貯えもいくらかある。妻とふたり、年金なんかで暮らしていける目処が立ったら、今と同じレベルで日々の研究を続けることは難しいと思う。モチベーション的に。そこからは好きなことをやって生きていきたい》

《一日の過ごし方として、僕だってもっと競馬をやりたい、サッカーを観たい、飲み会の誘いだって全部受けたい、というなかで時間をコントロールして将棋の研究をしているわけですよ。基本的には毎日それです》

(『渡辺明の思考 盤上盤外問答』(2014年発行、渡辺明著、河出書房新社)より一部編集して抜粋)

 スポーツであれ芸能であれ、競争の激しい分野でトップクラスに位置する現役の人が、「仕事だから」とドライに割り切り、「趣味の方が好き」と言って憚らず、「早いリタイヤを視野に入れている」という人生設計を披歴するのは、そう滅多にあることではないと思う。もちろん、心の底でそう思っている人たちは少なくないだろうが、ファンを抱えた人気稼業という側面を持つ職業では、それを公けにするのは勇気の要ることだと思う。

 
渡辺二冠は以前から、ぎりぎりのバランスを保ちつつも、歯に衣着せぬ発言をされてきた方で知られている。発言だけを取れば微妙な部分があっても、将棋の実力、実績が申し分ないことから、そういう言い方をするキャラクターとして、同業の棋士仲間及びファンの間で受け入れられてきたのだろう。

 このブログの主旨は、こうした渡辺二冠を特別視したり、その勇気を称えることではない。とにかく注目したいのは、ご発言の本質的なところである。仕事よりも楽しいことがあるという箇所に代表されるが、偽らざる自分の気持ちに正直であり、それを「仕事は生き甲斐である」といった外界の見方で誤魔化そうとしていないところに、私は共感を覚えるのである。

 テレビ番組だったと思うが、昔、羽生善治四冠と激しく覇権を争っていた谷川浩司九段が、「人生があと1日しかないとしたら何をしますか?」と聞かれた際の回答を、私は今でもよく覚えている。質問者は「ライバルの羽生さんと将棋を指したいと思います」というプロならではの“模範解答”を期待していたようだが、谷川さんは苦笑いを浮かべてそれを否定し、「家族と過ごしたい」と仰ったのであった。

 こうしたことを回りに公言するのは簡単なことではないし、その必要性がない場合も多いが、自分の気持ちに素直になる、素の自分を冷静に眺めてみることは、実は人生を考える上で結構大切ではないか、と私は改めて感じている。つまるところ問題は、“私が考える私の人生”なのである。

(2015年3月9日記)

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