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2015年2月 9日 (月)

他人は嫌がるが自分はできること

 『死ぬな』(並木秀之著、新潮社)という本を読んだ。著者の並木秀之さんは、生まれつき下半身に障害を持ち、しかも五度もがんを発症しながらも、ハンディを乗り越えて生きてこられた方である。この半生記の中に、とても印象深い“気づき”の体験が記されている。

《(勤め先の公認会計士事務所の)職場では、主に破綻企業の整理を担当する業務が増えてきていました。周囲の社員は、誰もこの仕事をしたがりません。どうして“エリート”たちがこの仕事を嫌がるかというと、それは、破綻した企業や銀行の役員と一緒になって債権者の前で土下座をすることが、この業務内容に含まれていたからです。土下座は、債権者集会に付き物の“儀式”のようなものでした

 エリートたちに遅れを取ったと感じていた私は、このときとばかりに、“みずから進んで”この仕事をおこないました。というのも、自分が実際に企業を破綻させたわけではないし、私個人が「お金を返せ!」と言われているのでもありません。土下座はしょせん儀式であり、私にはちっとも気にならなかったからです。

 ところがこの儀式が、子どものころから優等生で、就職後も周囲から「先生」と呼ばれることに慣れたプライドの塊のような人々にとっては、耐えられないようでした。ある日のこと、私と並んで土下座をしている上司が、屈辱感で肩をガタガタと震わせているのに気づいて、ハッとしました。そのときに確信しました。

「ほかの連中にはなく、自分にしかない“強み”は、これだ!」》
『死ぬな』(2014年発行、並木秀之著、新潮社))

 私は、これは示唆に富んだ話だと思う。他人は嫌がるが自分は意外と平気でできることというのは、他者との差異化のポイント、強みになるのである。これは、生きていく上で、食べていく上で重要な着眼点だと思う。並木さんが教えてくれた“気づき”により、私はもうお一方の事例を思い出した。それは、西原理恵子さんが自分の漫画の売り込みに奔走された若き日のエピソードである。

《わたしは、数え切れないくらいの出版社を回った。訪問した数は、少なく見積もっても五十社。出版社にはそれぞれいろんな編集部が入っているから、部署でいったら百は下らない部署に行ったと思う》

《晴れて美大に合格してからも、わたしは大学は二の次で、これまで通り、せっせと売り込みをつづけた》

《自分の才能に自信のある子たちって、プライドだって高いからね。エロ本の出版社になんか、絶対に売り込みに行くわけがないもん……。だけどね、最下位のわたしのチャンスは、そういう絵のうまい人たちが絶対に行かないようなところにこそ、あったんだよ》

(『この世でいちばん大事な「カネ」の話』(2008年発行、西原理恵子著、理論社))

 西原さんは、美大の友達が決して足を踏み入れられないような出版社に営業をかけられたことが、漫画家としてデビューし成功する突破口になったと私には思える。そして西原さんの動き方には、並木さんの体験と通底するものを感じるのである。

 以上の話の教訓を活かせる場は、どのあたりにあるだろうか。私は真っ先に、若者の就職活動を挙げたいと思う。世の大学生は、こぞって大企業、有名企業の限られた新卒採用枠に入ろうとする。しかしこれは、かなりの狭き門である。そこでもし、大抵の学生が就職先として検討できない中堅・中小企業や地方企業にアプローチすることが苦にならなければ、正社員として社会に出られる可能性が高まるのではないだろうか。「中堅・中小企業や地方企業になんて就職できない」という考え方で凝り固まって就職浪人やフリーターになるよりも、賢明で現実的な選択ができるように思うのだが。

(2015年2月9日記)

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