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2015年1月 1日 (木)

働くことの意義

 新年である。といっても、特段変わるところはない。元旦も一年の365分の1にすぎず、他の一日と同等である。少なくともこのブログは、昨年の延長線上で書こうと思っている。「新年だから…」「元旦だから…」と構えてしまうのは形式主義に流れていて、自分の流儀ではない感じがしてしまう。

 そんな前置きはさておき、働くことについてもう少し書いておきたい。『雇用改革の現実』(大内伸哉著、日本経済新聞出版社)を読みながら、改めて真面目に考え始めたことがある。それが「働くことの意義って何だろう」である。

 
この問いかけを出した時点で、私は既に世間一般の模範解答を想定している。自己実現、社会貢献、生き甲斐……といったことである。古くから言われている比較論を持ち出せば、キリスト教に由来して、労働を懲罰と見る欧米の“労働懲罰説”に対し、日本には労働に喜びを見いだす根強い考え方がある。ヤマト運輸で宅配便事業を興した故・小倉昌男さんの名著の中に、これが端的に表現された箇所がある。

《日本人にとって働くということは、生き甲斐である。収入を得るために好きではない仕事をいやいやする場合もあるだろう。そんなときは、労働が苦役に感じられるだろう。でも大方の日本人は、働くことに生き甲斐を感じている人が多いと思う》

(『小倉昌男 経営学』(1999年月発行、小倉昌男著、日経BP社))

 
この考え方は理解できるものの、『雇用改革の現実』を読むなかで私は疑問を抑えられなくなってきた。非正規社員の処遇を巡るものが多いが、今の日本には雇用・労働問題が非常に多く見られる(ゆえにこうした書籍が上梓されている)。そうした状況に照らしてみれば、小倉さんの言われる《働くこと=生き甲斐》というのは、あまりに楽観的で単純すぎる図式ではないかと思えてきたのである。

 
少し無理筋に思われるかもしれないが、そのうち私は、仕事は結婚と似通ったところがあることに気づいた。それは、どちらも“マッチング”が存在しているということである。結婚は男性(夫)と女性(妻)のマッチングであり、仕事は会社(使用者)と個人(労働者)のマッチングである。そして、マッチングというものには限界があり、興味深いことに、結婚については日本ではなぜか「我慢が大切」と当然のごとく説かれることが多いのである。「結婚は喜びです」と真顔で言う人は、調査するまでもなく少数派に違いない。夫婦の間で考え方や価値観に相違が生じるからこそ、「我慢が大切」と言われるのであろう。

 ここまでくれば、私が言いたいことは容易に察しがついてしまう。結婚と同様に、仕事も「我慢が大切」と言ってしまっても構わないわけであり、ことさら「生き甲斐」などという高尚なものに持ち上げる必然性はない、ということである。“マッチング”が存在する以上、仕事にも相性の良し悪しはついて回るからである(仕事との相性がいまいちならば、我慢が要るのは実感としても分かる)。

 従って、働くことイコール「生き甲斐」という見方もあれば、その対極に位置する「食べていくためにやむをえないこと」といった見方も十分ありうる。一つの色で、仕事という概念を染めてしまおうというのは、そもそも無理のあることだと思うのである。しつこいようだが、仕事と結婚は相似形だと思えば、以上のような理解の仕方も可能であろう。

(2015年1月1日記)

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