« カレーパンと就活 | トップページ | 企業の希望退職募集を考える »

2014年12月17日 (水)

やりすごす力

 あるバラエティ番組で、女優・タレント・ニュースキャスターのHさんがこんなエピソードを披露されていた。HさんがLINEに書いた文章に「言葉の節々(ふしぶし)に……」という文句が含まれていたらしいのだが、一人の友人が「“節々”は間違いで、正しくは言葉の“端々”です」と反応、これによりHさんはLINEでのやりとりがぶった切られたと感じたという。そんな些末な言い回しのことで鬼の首を取ったかのように指摘し、コミュニケーションの邪魔をしないでほしい、とHさんは憤慨したのである。

 Hさんのこの言い分、分からないでもない。言葉の間違いは、やりとりしている話題とは直接関係がないからである。が、私には横槍を入れてきた友人を擁護したい気持ちもある。その友人は、こうも考えていたのではないかと想像したためである。「あなた(Hさん)はニュースキャスターの仕事もやっているんだから、基本的な日本語くらい正しく使わないと駄目でしょう」

 これはなかなか説得力があるように思う。一般人が相手であればその友人はいちいちミスを突っ込まないが、Hさんは言葉を正しく使うべき立場の人です、というわけである。

 もっとも、これにはHさんの側から再反論がありうると思われる。つまり、LINEでコミュニケーションの邪魔をしなくても、1対1で後でそっと誤りを教えてくれれば済んだのに、ということである。

 私がHさんのエピソードを思い出したのにはわけがある。ある日、駅に停車中の電車に乗っていた時、ホームのアナウンスからこんな音声が聞こえてきたのである。

「発車まで今少々お待ちください」

 それを言うなら普通は、「今しばらくお待ちください」でしょう、と私は心で突っ込んだ。私はHさんの友人のように指摘しなかったが、指摘しなかった理由は幾つかある。思いつくまま列挙すると、①車両の中にいたので、現実的に間違いを指摘する手段がなかったこと、②原稿を読んでいるわけではないので、口頭でうっかり言い間違いをしたに過ぎないかもしれないこと、③最低限、意味は乗客に伝わっていたこと、④この一件は、冷静に考えれば日常の些事に過ぎないこと、となる。

 最近私の頭に浮かぶことが多い概念に、“やりすごす力”がある。自分が日常生活の中で気付いた誤りを、その度に指摘するのは、時に相手を不愉快にさせるばかりか、寛容さを失って自分もストレスを抱え込むことになる。ゆえに、色々思うところがでてきても、最終的には「まあ、いっか」とやりすごすのも大切ではないかと感じるようになったのである。もしも我慢できず、相手に誤りを指摘するのであれば、その指摘が相手にどう受け止められるかまで想像して行なうのが無難であり、礼儀でもあろう。<あなたは間違っている、だから指摘するのだ>というだけでは、あまりに直線的すぎて、思慮に欠けるきらいがある。

 私はあまりこんなことを言えた柄ではない。なぜなら比較的、気づいたことを指摘するのが好きだからである。もっとも、逃げ道も用意してある。そもそも相手に知られないように固有名詞は控え、相手を傷つけないよう、ブログでエッセイとして書くにとどめている。ブログで呟いているだけだから、一線を超えてはいないだろう。

 
今日は纏まりのないことを大急ぎで書いたが、これもやりすごして頂ければ幸いに思う。

(12月17日記)

« カレーパンと就活 | トップページ | 企業の希望退職募集を考える »

ブログ」カテゴリの記事

人間関係」カテゴリの記事

生き方・人生論」カテゴリの記事

言葉について」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/573382/60826349

この記事へのトラックバック一覧です: やりすごす力:

« カレーパンと就活 | トップページ | 企業の希望退職募集を考える »