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2014年12月28日 (日)

他者性を考える

 以前、ある仕事の現場で、でっぷりと太った中年の女性と一緒になったことがある。見るからに不健康そうだったが、朝、近くの席に座った彼女の持ち物に驚かされた。買い物のレジ袋に、炭水化物いっぱいのお弁当が複数入っていて、その上にパック入りのみたらし団子が乗っていたのである。根が素直な私は、正直な感想を抑えきれず、心の中で思わず叫んだ。

「昼からみたらし団子食うかー」

 昼ご飯の後でどんなデザートを食べようと、人の勝手である。他人がとやかく言う筋合いの話ではない。彼女は、自分が食べたいものを食べようと用意しただけに違いない。が、私はこの日、彼女に“みたらしおばさん”とあだ名を付けてしまった。彼女の目を見張る言動は、このお昼の用意にとどまらなかったからである。自らの重さを持てあましている彼女には、他の人にはない次のような特徴的な動きが見られた。

 ・人の目を盗んで、とにかく座ろうとする。

 ・ちょっとした荷物を持とうとせず、周囲の人を巻き込んで、荷物を載せる台車を調達しようとする。

 ・荷物は運ばず、荷物を持った人が通れるよう、ドアを開け続ける係に徹しようとする。

 身体を動かさないばかりか、彼女は顔のむくみのせいか、しゃべり方に舌足らずなところがあり、彼女の話を聞く人たちから微かな嘲笑が私にははっきりと感じられた。そして極めつけは、私が彼女と仕事の話をした時に、甘ったるい生温かい口臭が私の顔にまとわりついてきたことであった。

 私はここで、太った人への嫌悪感を訴えたいわけではない。偏見を助長するような意図はない。実際、マツコ・デラックスさんや石ちゃん(石塚英彦さん)のように、太っているが好きな芸能人もいる。私が彼女に感じた不快感の大元は、“他者性の欠如”である。

 “他者性の欠如”は私が勝手に使用している言葉であって、意味するところは他者視点の欠如である。つまり、自分が他人の目にどう映っているかを意識しているかどうか、ということである。

 思うに、彼女は自身の食欲にとにかく忠実であって、自分の体型なり行動が他人の目にどう映ろうと頓着しない人である。他人がどう感じようと、全く意に介していないようなのである。それが私には耐えがたいことであった。まあ、本人が満足ならば幸せなことかもしれないが、実際には損をしている面があると思われるし、幾分でも不満足があってその原因が他人にあると考えているとすれば、まずは他者性を回復することが大切になろう。

 今日私がこんなことを書いたのは、他者性を欠いた人と一緒にいて、心地よい思いをしなかったからだ。かといって、そういう人に他者性を持てと言うのは、出過ぎたまねになるであろう。みたらしおばさんと一日いたことで、他者性の重要性につき書きたい気持ちを抑えられなくなり(その気持ちが今日まで消えず)、一気にここまで書き進めてきたという次第である。

 そういえば、鏡は他者性を思い出させる最強のツールである。自分が他人の目にどう映るのか、自分で確認できるからである。昨日鏡を見てまずいと感じたのだが、私は面倒臭がってもう2ヵ月も髪を切っていなかった。折しももうすぐ年始を迎えるので、人から清潔に見られるよう、年内に床屋さんに出かけるとしよう。みたらしおばさんの言動を評した私自身は、こうしてぎりぎりのところで他者性を保っている。

(12月28日記)

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